2015年夏(Class of 2017)からの米国MBA留学を目指す、某仕事人の軌跡
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2014年11月11日火曜日

やっぱり来てしまった西海岸(UC Berkeley Haas編)

ビジット回顧録、最終回。

感想を一言、自分が目指すスクールは西海岸で間違いないと確信した。後はGMATをクリアし、合格を目指して一直線に打つべし、打つべし。

◆スケジュール

09:00~11:00 Haas授業見学(Finance)
11:00~11:30 アドミによるQAセッション
11:45~12:45 在校生とランチ
12:45~14:00 Student Ambasadorによるキャンパスツアー&Info session
15:00~17:00 GSE(Education)授業見学
17:15~18:30 日本人在校生とCoffee chat


◆気づき・収集情報

<09:00~11:00 Haas授業見学(Finance)>
8:30に一番乗りして到着。見学する授業が選べるというので、提示されたAccountとFinanceのうち、後者を選択(後で、実はMarketingもあったことが判明。そっちがよかった気が。。。)。

クラスでは、Net Present Valueなど、ファイナンスの基礎が中心。内容は新入社員の時に教わったレベルのもので、基礎中の基礎。教授と学生の議論が全て聞き取れるかをテストしてみた。理解度はざっくり7割程度で、高めていかねば、といった感想。

<11:00~11:30 アドミによるQAセッション>
東京のInfo sessionであったような内容ではなく、アドミがプレゼン資料で説明せずに、口頭での説明のみ。ポイントを列挙。
・4つのDefining Principlesの重要性を強調
Question the Status Quo
Confidence Without Attitude
Student Always
Beyond Yourself
・Cultural fit
・今年はEssayの聞くポイントを具体化。具体例をふんだんに盛り込んだ、Personalizeされきった内容にしてほしい
・Haasの質問にジャストミートする回答をしてほしい。他校向けにつくったEssayの使いまわしは、アドミとしては瞬時にわかる。
・インタビューのオファーは、締め切り後3~4週間後。それ以上かかる人もいるので、3~4週間で連絡がないからといって、諦めないでほしい
・毎年4000の出願、800~1200のインタビュー(最終的に合格が、バッファー入れて300とすると、出願⇒インタビューが3~5倍、インタビュー⇒合格が2.5~4倍の倍率)

<11:45~12:45 在校生とランチ>
参加者20名程度に対し、3人の在校生が対応。食堂で3グループに分かれて在校生から話を聞いた。自分のテーブルは1年生だったこともあり、学校生活やプログラムというより、出願のTipsやWhy Haasが中心となった。

<12:45~14:00 Student Ambasadorによるキャンパスツアー&Info session>
ポイントを箇条書き。
・Main purpose: Innovative leaders
・4つのDefining Principlesの重要性を強調
Question the Status Quo
Confidence Without Attitude
Student Always
Beyond Yourself
・Design Thinkingが1年生のCoreに含まれている。MBAの学生のみ。7週間。2年生でElectiveでDesign Thinkingの深堀を行う授業もあり、そこにはエンジニアスクールなど他スクールからも参加者あり
・UCBの他のスクールの授業も履修可能。卒業要件の51単位中MAX6単位(2~3コース) まで履修可能。
・ざっくり、2年間を通して40%がCore、60%がElectiveといったバランス
・HaasではExperiential learningが充実。1セメスターあたり通常1コースを履修。2年間で、大部分の人は1つ、多い人で4つ(Experiential learningはElectiveなので、全てのセメスターで1つずつ履修している計算)履修する。ワークロードが重いが、力には確実になる。IBD(International Business Development、Startup Labo、Social Sector Solutions、Design & Development of web-based productsなど、ざっと見た感じ30個くらいの選択肢があった)
・ 教授ではTerry Taylorがビジネスクールの教授全米5位にランク。若いのに力がある。

<15:00~17:00 GSE(Education)授業見学>
Technology Enhanced Learning in Scienceという、リサーチのクラスに出席。最後までよく状況がつかめなかったが、生徒がそれぞれ行うリサーチを発表し、フィードバックをしあう、という内容と理解した。

ケミカルのDrや、サイエンスのMasterなど、Education school以外からの出席者も多かった。
特に面白かったテーマの一つは、サイエンスを完全にオンライン教育化できるか(機械が先生をリプレイスした場合、子供たちは勉強するモチベーションを維持できるのか)を取り扱ったものであり、さすが西海岸!と感じさせる議論が繰り広げられた。

エッセイを書く観点からも、いいネタ集めになった。

<17:15~18:30 日本人在校生とCoffee chat>
 この一日の中で、一番気づきが多かった。
 ・共通するカルチャーは、チャンスにオープンであり、イノベーションにやたら反応する人が多いこと。その一方で、自信過剰だったり、独りよがりではなく、積極的に周囲と協力関係を形成しようとするマインドセットを持っている。
・学校のリソースは勿論だが、ベイエリアのリソースがものすごい。少し学外へ足をのばせば、ピッチイベント、ネットワーキングイベント、起業家やVCの講演など、山のようにある。
・良くも悪くも、2年間を通して、StanfordやHBSのような激しいワークロードがない(毎日3時間睡眠で頑張っても消化できないほどのHomeworkなどはない)。 KelloggやTackのようながっつり系の学内ネットワーキングもない。Columbiaほど個人主義でもない。興味の分野さえ重なれば、1学年240人というSmall classが人間を結び付けてくれ、やりたいことを深堀出来る環境にある。その辺の緩さがHaasは魅力
・ベイエリアの特徴として、Pay Forwardの精神が強い(Stanfordの在校生も同じことを言っていた)
・Opportunityがとにかく多い(Whartonでも同じ言葉が用いられているが、Whartonでは、スクールサイズが大きく、学内のリソースの文脈で使っているのに対し、ここでは学外即ちベイエリア一帯のOpportunityを指す文脈)


◆所感

Stanfordに続いてHaasをビジットしてみて、ベイエリアという広いエリアの一構成要素としてB-Schoolが存在しており、それぞれベースの価値観を共有したうえで、個性が色付けされている、という整理を自分なりにした。

StanfordはChange the world即ち一線を画すような壮大なチャレンジを起こすべく、世の中に足りないものやなぜそれをやらなければならないのかを徹底的に突き詰めるスタイル。Haasは、もう少し肩に力が入っていないというか、スケールの大きさにこだわらず(Change the worldするオブリゲーションはないという意味で、デカいことを狙わないわけではない)それぞれが好きなことを追いかけた結果としてイノベーションを起こしていこうというスタイル。こんな印象だ。あとは、Haasはイノベーションの手段として当たり前にITを使う発想になるので、結果的には、ITオリエンテッドになる傾向が強いが、StanfordはChange the worldが最初に来るので、名だたるIT起業家を輩出しているが、ITに限られていない、という違いにもつながるのだと思う。

いずれにせよ、起業家、VC、スタートアップなど、常に自分たちが没頭出来ることを追求しようとする飽くなき冒険者が集結し、成功者がチャンスを次の人に還元し、 挑戦者を歓迎し、失敗を許容し、更なる挑戦者を招く、という、エコシステムが確立しているのがベイエリアの特徴であり、そこに身を置くことの意義を強く見出す2日間のビジットとなった。

2009年の突撃訪問とは比べ物にならないほど中身のある2校へのビジットを終えみて、HaasとStanfordの距離が相対的に近づき、2校への志望度が突き抜けるほど高くなった。強い確信というのは、このことであろう。Stanfordが第一で、Haasが第二。

あとは、GMAT・・・。もうほんとに、これに尽きる。

このビジット前は、エッセイも始まって、仕事も立て込んでいたため、何かとGMAT攻略に言い訳をしてしまっていたが、2nd出願までのラスト2か月を頑張らなかったことにより、GMATの点が出ず、社費派遣が取り消しになるなどというシナリオが絶対にあってはならないと、胸に深く刻みこまれた。

次回GMATは11月22日。

全身全霊を込めて、この山場に臨み、神風を吹かせたい。

2014年5月17日土曜日

1万時間の法則

東京でなかなかIELTSの席が押さえられず、今週は岡山に上陸。

広大なキャンパスに、麗らかな春の日差しで、やっぱり行くなら西海岸がいいなぁと、改めて思いつつ、今日のつぶやき。

写真.JPG を表示しています

全くテストのスコアに関係のない話だが、今日のIELTSのReadingで少し励まされる英文に出会ったので、記録しておく。

「1万時間の法則」

天才!  成功する人々の法則


をご存じだろうか。ここ最近、その法則の真偽が色々と議論されてはいるが、2008年にマルコム・グラッドウェルが発表した著書で説かれている法則。

どんな「天才」と思わしき人も、才能でその輝かしい成果を残したのではなく、1万時間以上の練習の末に、マスターの領域に達したが故にそれをできたのだという理論。

4歳で初めて交響曲を書いた天才と言われるモーツァルトでさえ、実は父親が当時欧州で有名な作曲家で、2歳の時から毎日15時間以上父からトレーニングをうけたからこそその芸当ができた、とその著者は語っている。

そんな記事がテストの題材になっていた。

不勉強な筆者はこの記事を通して、この考えを知り、テスト中ではあったものの、大変励まされる想いをした。

初めてStanfordに行ったのが2009年9月。気づけばもうすぐそれから丸5年が経つ。本格的に勉強に着手した2010年1月から約丸4年経った。MBAのための勉強に費やした時間は、、、と考えてみると、、、

平日:5時間/週(2時間勉強したり、全くできなかったりしているので、均すとこの程度か)
休日:10時間/週(全くできない日があったり、一日で14時間勉強する日もあったりしたが、均すと土日足してこの程度か)

15時間×52週間×4年=累計3,120時間

それなりに頑張ってきたつもりだが、時間ばかり経ってしまって、自分にはMBAは高くて超えられない壁なのではないかと、くじけそうになったこともあったが、こうしてみると、なんだ、まだ3000時間か、という印象。

いい意味で言えば、まだ全然道半ばであり、何か物事を成そうと思うとそれくらい時間が経って当たり前なので、焦らず、引き続き地道に頑張り続ければいいではないかということ。

逆に悪い意味で言えば、3000時間も費やしたのに、それにしてもまだこの点数しか取れてないのは、勉強の効率が悪くないか、もっと有効にこの膨大な時間をつかえたのではないか、ということ。

例えば、この3000時間を短期に詰め込み、その勢いで点を取ってしまうことができたのではないか(勉強は、穴の開いた水槽に水を注ぐことになぞらえると、ちょろちょろとしか水を注がなかったり、途切れると、いくら注いでもいっぱいにならないように、だらだらやっていると成果がいつまでも出ない)、漫然と勉強していた時間があったのではないか、など、振り返るに反省も多い。

今後こうした反省を踏まえて、時間の使い方には改善を加えて、更にもう7000時間費やして、それでもダメなら、本当に自分にはMBAは超えられない壁なのだろう。それまでは、何度打ちのめされても、挑み続ければよい。

学生の頃、今は昔「ヒルズ族」の方々とよくお付き合いをさせて頂いていたが、某有名ITベンチャー企業の副社長が言っていたのを思い出した。

「僕は今まで11回、起業した。そのうち、10回は、失敗して倒産した。色んな人に迷惑かけ、その度に人格を否定され、何度も自分はダメな人間だと思った。でも、失敗するたびに、色んな人から支えられ、励まされ、助けられ、また頑張れた。そして11回目で、やっと成功した。色々あったけど、つまるところ、最後に勝てば、それでいいんだよ。言わば、勝ち逃げだな(笑)。勿論この成功は砂上の楼閣かもしれない。その時にはまた失敗者になってしまうけど、また勝ち逃げするまで挑戦すると思う。」g

要は、10,000時間を突破するまでは、自分がこれだと思ったものに成果が出なくても焦る必要ない。そして、その過程で何度失敗しても、最後にホームランさえ出れば、それでいいじゃないか、ということ(ビジネスで言えば、失敗すると人に迷惑をかけてしまうので、上記の副社長の言う通り、最後だけ勝てばいいという単純な話ではない面もあるが、特に英語のテストに関しては金をドブに捨てるだけなので、最後にだけ良い点出ればそれでよい)。

今年は例年以上に頑張っているつもりだが、それでも、時間で言えば、

平日:10時間/週
休日:14時間/週
合計:1,240時間/年

くらいにしかならない。なんだ、まだ5000時間にも満たないじゃないか。人にはそれぞれのペースがある。自分は大学は私立中堅大学出身で、思い返すに、中学は週7日部活。塾は行かず、推薦で公立高校に入学。3年生で部活を引退するまで、毎日部活で、終わってから帰って寝るだけで、大学も独学で受験、英語を勉強をした時間について言えば、MBA志願者に多く見られる東大、早慶の出身者からすれば、かなりビハインドしてきたと思っている。

発射台が沈んでいた分、それを取り返すのに少々時間がかかり、そのうえで積み上げているという点を考えれば、これくらいの時間がかかって当然だ。

と、海辺にでもありそうな真っ白なパラソルの下で、心地よい風に吹かれながら、また気持ち新たに、目の前に立ちはだかる高いハードルにファイティングポーズを取る次第である。

さて、間もなく、IELTSスピーキングテストだ。IELTSに詳しくない方に参考までだが、IELTSはTOEFLと同じく、R、L、S、Wの4パートで構成されている。L、R、Wが9-12時ぶっ続けであり、その後ネイティブスピーカーの試験官と対面形式でSのテストを行う。東京・大阪では受験者数が多いため、筆記は土曜、Sは日曜に分かれており、面倒だが、それ以外の地方都市は、午前に筆記、午後のどこかでSという具合だ。

ということで、昼下がりのつぶやきはこの辺にして、テスト頑張りますかー

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2013年12月13日金曜日

転機

転機は突然訪れた。

2015年夏(Class of 2017)で、社費派遣、決定。

昨日の夕方、現在所属する人事部ではなく、出身母体の金融事業部門の上席から内線がかかってきた。

「はい、[筆者名]です」

「おめでとう」

「はい?何の件でしょうか?」

「だから、おめでとう」

「えっと、、、何かありましたっけ、、、あ。もしやあの件ですか?」

「その件だよ。これからが一番大変だから、頑張って。留学までには・・・(以下略)」



以前のEntryにも書いた通り、今年の夏あたりからキャリアゴールや受験タイミングなど、複数要素でブレが生じ、迷走状態に陥っていた。

その後もGMATの勉強はぼちぼちつづけながら、社費選考も今回が最後(落ちたら今年か来年に出願し、それをもって退職)と思って取り掛かっていた。

そのため、勉強の優先順位、アロケーションとしては、

①本質的な英語力の向上
→すなわち、英語でのコミュニケーションの絶対量の増幅。平日週2回早朝にLOI Englishでネイティブと1時間英会話。毎週土曜日はBritish Councilで3時間の英語レッスン(英会話中心だが、宿題も含めると、読み、書き、聞き、話しがそこそこバランスよく学べる)。通勤時には最近ご無沙汰してきた通勤時のWall Street Journalのリスニング復活など、コミュニケーションにフォーカスを当てた勉強をしてきた。

②社費試験への対策
→今まで社費試験にあたっては、そんなに思いきり時間をかけもしないし、想定もしようがなかったので対策はしてこなかった。それが筆記試験や面接試験当日に仇となり、パフォーマンスを出せず、過去2回落ちたのだと思われた。過去2回の失敗を踏まえ、アプリケーション、筆記試験、面接試験、上席各位との個別面談(根回しに近い)、その他アセスメントテストの全てに個別対策の時間を設け、Affiance土佐先生にも適宜アドバイスを仰ぎながら、今回は事前に打てる手は全て打った上で臨んだ。この点、孫子の兵法の一節にある「彼(てき)を知り、己を知れば、百戦危うからず」に素直に従った形だ。

③GMAT
→何となく後回しにしてきた結果、いつも正答率が驚くほど低く、知らず知らずのうちに苦手意識が芽生え、課題となっていたRCを中心に、地味に勉強を続けてきた。

という感じで取り組んできた。

10月頃からはきれいに上記の優先順位で取り組んできたので、わかっていたことだがGMATに専念できない状態になり、RCに集中した結果、SC、CR、Mathはほったらかしてしまい、総力としては下がってしまい、結局年内は一度も受験しないという結果になった。

「まとまった時間を投じないとGMATはいつまでもクリアできない」

改めてGMATの壁の高さを再確認した。

その一方で、これまで辛酸を舐めてきた社費試験には、10月頃から今までならぬ気迫で取り組んだ。振り返ってみると、アプリケーション、筆記テスト、その他アセスメントテストが小出しに出てきたこともあり、朝通常GMATの勉強に充てる時間をこれらの対策に投じた。思いの外時間がかかり、GMATに時間を割けないもどかしさとの葛藤もあった。

一向に上がらないGMATのスコア(Prepで測定)を見るに、今年の出願(2014夏からの留学)の道は徐々に閉ざされつつあった。そこまでして社費を優先したにも関わらず、落ちたらどうなるか。社費の合否が出るのが年内と聞いていたので、それからGMATを巻き返しても出願は3rd Roundとなり、不利な戦いになる。そこで無理して戦うか、来年まで見送るか。来年まで見送ったとしたら、私費となると、帰国後の年齢が33歳になることもあり、転職活動に苦労が生じるのではないかという不安がよぎった。いや、それなら今あるNPOをもっと安定して稼げる形にして、帰国後すぐそちらに全て身を寄せるべきか。。。

そんなことが頭を駆け巡り、悶々とし、時にはモチベーションが低迷したこともあったが、歯を食いしばって出来ることをひたすら打ち込んでいった。

その結果、筆記試験、面接試験いずれも略想定内(むしろほぼドンピシャ)の問題・質問が出され、想定シナリオ通りの対応をしていった。

試験の詳細については守秘性の観点から記載は控えるが、一つだけ印象的であったやりとりを記録しておきたい。

面接時、こんなことを聞かれた。

「よく3年も社費選考受け続けられますね。やりたいことが沢山あるだろうに、きっとこれまで準備に多大な時間やお金を投じたでしょう。そこまでして留学したいと思うモチベーションの源泉はどこにあるのですか?」

「会社への事業の拡大に貢献する(本音では会社の事業に限定したくないが、面接では会社の説得の観点から、こういう文脈で語った)という『確信』があるから、ここまでやれるのだと思います。実際に学校へ足を運びました。日本人が中心ですが、これまで200人くらいはMBAホルダー・キャンディデートと会って話をしたと思います。その中で、MBA留学をすることで、国籍・産業を超えたネットワーク、断片化していた経験の体系化、世界から集まった屈強なキャンディデートと本気でぶつかり合いを通したリーダーシップ・コミュニケーション力の獲得が期待できることがわかりました。そしてそれらを得ることで、帰国後の事業へのコミットを通して必ず、留学をしていない前提で自分が出せるパフォーマンスを超えると確信しています。その確信が既に分かっているからこそ、留学が実現するまで、こうして性懲りもなく門を叩きに来ています。」

もはや面接で緊張もしなければ、変に飾り付けたりへりくだったりもしなかった。これでダメなら辞めて私費で行きますという覚悟が今まで以上に定まっていたからだろう、むしろ開き直りの心境にも近かったと思う。


そして昨日の内線。

一人で消化するのも良いと思ったが、まず頭に浮かんだ両親に、この事実を報告しようと思い、残業で遅いはずだった父を引っ張り出し、母も呼び出し、実家付近の居酒屋に行った。

たまに実家に寄ったと思えば、「今度こそ」と言うばかりで結果が出ない息子。

そんな姿を何も言わず見守ってくれた寡黙な父。
「あんたなら大丈夫よ!」と、何の根拠もなく只々背中を押してくれた陽気な母。

昨日、留学実現に一歩近づいた事実を伝えた。

「そうか。受験に合格するまでは気を抜けない。」と2時間くらいの飲食中、本当に一言だけの父。
「あらよかったわね!ちょうどそろそろこんな知らせが来るんじゃないかと思って英語の勉強を始めようと思ったの!留学中に遊びに行った時に話せなきゃね!お父さんは話せるからいいかもしれないけど。それと・・・(以下略。長い。)」と相変わらずマシンガントークをかます陽気な母。

いつもと何も変わらない会話のテンポ。その日常に少しの変化を感じた一夜だった。


今、感じていること、それは、喜びというより、むしろ恐怖にすら近いプレッシャー。

なんだかんだで、留学時期が後ろ倒しにできたため、タイムリミットがあるようでなかった。
GMATの受験回数は年間5回だが、待てば実質何度でも受けられた。TOEFLは結果が出るまで受け続ければよかった。

もうこの甘えは、許されない。

明確なデッドラインができた。GMATも、来年のこの時期に出願することを考慮すると、きっかり残り5回しか受験できない。その間に、TOEFL103点の有効期限も切れるため、再度ハイスコアを出さなければならない。

これまでその壁の高さを嫌というほど見て来たので、社費が決まった現時点においては、戦々恐々としか表現のしようがない。

来週には土佐先生と電話会議をすることになった。今後の受験戦略を再構築するにあたり、そのアドバイスをいただく。

今までの生活スタイルにおける時間配分は、総見直しが必須。

世の常で、いつもながらに大変な仕事。
急成長ながらも組織の拡大により課題山積のNPO法人。
もう後がないMBA留学。

ここ2年ほど、仕事、NPOと並行してMBAに取り組み、そのバランスの難しさを痛感してきたが、向う一年は、さらにそれに拍車がかかることになる。

ただ生活全般を見渡してみると、何だかんだ生活の隙間時間を有効活用できていなかったり、流されるままに上司・同僚・友人と飲み歩いたり(時にそれも大事ではあるが)、NPOで人に預けられるタスクを抱えてしまっていたり、最適化されていない部分もそれなりにあることは認識している。

こういう時間を向う一年は大胆に整理し、結果を出すための時間に変換しなければならないだろう。

また、キャリアゴールも腹落ちするレベルまで再定義する必要がある。軌道に乗るNPOはどうするのか、今の会社で真に成し遂げたいことは何か、深く、深く、自分に潜り込んで、ドロッとしてきた部分も洗い出して、しっかり練り上げていかなければならない。

さぁ、これからが大変だ。無理なギアチェンジでエンストしないよう気を付けながら、緊張感を持って結果を追求したい。


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2013年3月10日日曜日

ブートキャンプ生活Phase1 折り返し地点

久々に筆を執った。

前回のEntryではまだAffianceでのブートキャンプ生活に入ったばかりで、ひたすら多読をしていた頃だ。

その後、1月は3週間の出張があり、相当激務の日々であったため、勉強のペースを緩めざるを得ず、やや調整不足感は否めなかったものの、待ったなしで、帰国直後の2月第1週の土日からMathの授業が開始となった。

教室に入ると、自分含めて受講者は5人。ひとたび授業が始まると土佐先生(以前のEntryでは「クソオヤジ」と呼んでいたが、もはや今は大先生である)は優しさ溢れる語り口で、「これから2か月頑張ろう」と切り出し、まずは受講者の自己紹介から始まった。

「自己紹介」といっても、単に自己紹介するのではない。ニックネームを必ず自ら周知する必要があるのだ。これは、ふざけているのではなく、チーム一丸となって助け合いながらGMATを攻略していく風土醸成にあたり、欠かせない要素であることが、折り返し地点に来てよくわかったことである。

自分に限らず総合商社、メーカー、金融といったバックグラウンドの受講生であった。

早速授業開始。

冒頭では、「できない人のペースで進める」と土佐先生が明言した通り、「そんなこと聞くなんてアホか」と突っ込みたくもなるであろう初歩的な質問であっても、懇切丁寧な説明がなされた。

今まで筆者はAGOSのMath Strategyのコースを受け、マスアカを3度も4度も繰り返したが、正直、腑に落ちないというか、理解が追い付かなかったというか、ずっと悶々としていた。

Affianceに来てわかったことがあった。

筆者は、中学は地元の何の変哲もない公立校、高校の偏差値は50台、「数学は何か嫌だ」という惰性のもとに高2の文理選択で文系を選び、「国立はいまさら無理だ」という更に安直な発想から中堅私大を選んできたという、経歴。

こんなスペックの筆者が、某T京大学、KO大学をはじめとする上位校の出身者の様に、中高の頃から各科目においてしっかり努力をしてきた人と同じ土俵に立って、そのペースで進められても、ついていくには無理があろう。それにも拘わらず、今までは、そうした人を前提につくられたカリキュラムに乗っかって、ベースの知識があって当然という環境の中で勉強してきたが故、どうも解説がわからないまま進んでしまったのだろう。突然公式が表示され、「後はこれを使って解くだけです」と言われても、「はて?」となってしまったのは、振り返っても無理ない。

その点、アフィアンスでは、こうした前提の違いを土佐先生が説明して気付かせてくれ、「それでも大丈夫。だからアフィアンスでは基礎をちゃんとやるし、今まで数学が抜けてしまって苦労している人にもわかるカリキュラムにしている。」という言葉をかけてくれた。

最初は、救われた、ここに来てよかった、という気分でやる気が出たが、実際授業が始まってからは、自信喪失の連続。

これまでは、自己完結の世界の中で淡々とブートキャンプ生活を営んでいたが、これは比較対象が「自分」しかおらず、妥協しそうな自分に対し、妥協しなければ勝負に勝ったことになり、何となく満足できていた。

しかしここでは、5人という限られた人数の中で、歩調を合わせながら授業が進むため、自分がありえないくらい理解が浅いこと、ペースが遅いこと、ミスが多いことが抉り出され、周りのメンバーと目を合わせられないほど情けなかった。

初日授業が終わった夕方、土佐先生も同伴で近くのファミレスに受講生一同で行った。こうして毎回授業後に教室以外でみんなで集まり、補助テキストで計算練習をしたり、その日の授業を復習を一つのテーブルでするのは、アフィアンスの名物文化とのこと。この初日の授業後のセッションで、自分だけみんなの2~3倍ほど復習と宿題の処理に時間がかかり、「なんでこんなに足を引っ張っているんだ、自分は・・・」と、とてつもない惨めさと焦燥感に駆られたのは、今でも記憶に新しい。

赤の他人で始まったこの授業も、面白いもので、2~3週間もすれば、自然と年齢関係なくタメ語で全員会話するようになり、ニックネームで呼ぶようになり、自分の様な劣等生は数学が得意な人に教えを乞うようになる、という人間関係が構築される。1か月経った今では、不思議と同志にでもなった気分である。

授業そのものは、自分にとってはとてもありがたい内容だ。「数学」として小難しく教えず、「算数」レベルまで噛み砕いて解説をしてくれるほか、機械的な一発斬りのプリントを配るというより、本番で使える裏技をコッソリ教えてくれたりと、他の予備校やテキストにはないカリキュラムとなっている。

数学についてはまだ復習中の身なので、まだエラーも多いものの、授業やテキストだけ何となくこなし、なんとなく力がついた様でついていなかった、今までよりは確実に前進している手ごたえはある。

また当初は授業の度に自身の不甲斐なさを感じ、授業に行く度に溜息していたが、もうそんな出来ない自分に幻滅するのではなく、むしろ恥じらいなくチームで数学が得意な人に教えを乞えばいいではないかと開き直ってからは、「あとはやるしかない。やれば必ず結果は出るはずだ」というマインドセットになっている。


そんなこんなで早くも2月の土日すべてをかけて行われたMathの授業が終わり、今日から3月いっぱいかけて行われるVerbalの授業が始まった。

3月からはさらに5名が加わり、10名体制での授業。不思議と2月から受講を開始した人がカルチャーを形成し、すでに和気藹々とした風土が形成されている。

たまに先人のブログや口コミで、Affianceはやや宗教がかっている、と批判されることはあるが、筆者の感想としては、一切そういった雰囲気はなく、ただ単にチーム内での結束を高めるような施策が講じられており、土佐先生自身も公私ともに距離の近いところで授業をしてくれるがために、そういった評価をする人がたまに現れるのだろう。

また、土佐先生の講義そのものも勿論レベルアップの場であるが、先生から出されるヘビーな宿題がまた基礎力を高めるのに役立っていることは言うまでもない。

以前のEntryで書いたように、とにかく多読だ!とか、中学生の数学だ!とか言われ、最初は本当にこれをひたすらやって能力が高まるのだろうかと若干心配ではあったが、確かに今週末久々に授業でSCやCRを解いてみたところ、読解力とスピードが上がっていることが自身でもわかるほどになっている。

話は変わるが、週末NPOの活動において、折しも2年かけて温めてきたサービスをついに今月ローンチするという感慨深いイベントが重なっており、日々の生活においては、タスク過多もいいところで、体力的に相当辛く、音を上げそうだが、MBA、仕事、NPOどれも手を抜くわけにはいかないので、20代最後の一仕事だと思って、正面から向き合っている。

タイトルが「ブートキャンプ生活Phase1 折り返し地点」となっているが、

Phase0:受講開始まで
Phase1:受講期間(2か月のプログラムのうち、1か月目が終了した現在は「折り返し地点」)
Phase2:受講終了後(授業が終わっても、GMATクリアするまで毎週チームで集まるらしい)

と位置づけており、これからまだまだブートキャンプ生活に終わりはなさそうだ。

前回のEntryで書いたように、兎角、「強い意志」「継続力」を常に念頭に置き、今年こそGMAT・TOEFLを卒業したい。そして、留学を実現したい。そんな勢いで、喜んでブートキャンプ生活を楽しんでやろう。


【追伸】

ついにこのブログも累積PVが15万を超えました。自分でもこんな展開になるとは予想だにしませんでした。

最近では、筆者のブログを発見する人が周りで気持ち悪いほどに増えており、発見した方からは、「MBA関連のワードで検索するとすぐ上位に出てくる」というフィードバックを受けており、いよいよ下手なことは書けなくなってきましたし、結果を出さずしてとんずらすることもできなくなりました。

すべてのコメントに対応できないこともありますが、読者の皆様からの応援はひしひしと感じており、可能な限り対応していきたいと思います。

また、なかなか結果が出ず苦労しているアプリカントの皆様、自分もこうしてもがきながら、諦めずに日々努力をしています。辛いことは書けばキリがありませんが、それでも歯を食いしばってやり抜けば、その努力は決して裏切らないものと思います。自分もしみったれ男なので時には愚痴を言いますし、周りに日々救われながら何とかやっています。こんなブログでも読んで「ああ、大変なのは自分だけではないな」と元気を少し取り戻していただけたら、筆者は嬉しい限りです。今後も頑張っていきましょう!!

C.S.Cowboy

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2013年1月4日金曜日

GMATブートキャンプ生活の進捗報告

あけましておめでとうございます!!今年も気合い入れて過ごしたいと思いますので、皆さま宜しくお願いします!

前回の投稿よりすっかり時間が空いてしまった。
最近は超高速回転の毎日で、この重要なブログへの記録活動も疎かになってしまっているが、あまり事後報告事項が増えるのもよくないので、ここらでいっちょ書き記しておきたい。

前回のEntryで鍛錬の日々が高らかなファンファーレとともに始まったことは、ご覧のとおりである。

それからというもの、怒涛の毎日が始まっている。

一日の過ごし方を書いてみたい。

<平日>
05:55 起床→即多読開始
08:10 多読終了→朝食・支度
08:30 出発→徒歩:余裕があればPod cast(Harverd business review)or余裕がなければ無心で徒歩、電車:英単語Input
09:15 出社
20:00 退社→徒歩:NPO活動(メール)、電車内:英単語Input
20:45 帰宅→多読の残り部分or文法or数学
23:00 勉強終了→NPO活動(メール)or読書or無心タイム
24:00 就寝
※たまに宴席で帰宅後の勉強時間カット

<休日>
05:55 起床→即多読開始
08:10 朝食(自炊)
09:10 多読→終了次第、文法or数学
11:00 Break
11:10 文法or数学
12:20 昼食(自炊)
13:30 文法or数学
14:30 シエスタ(昼寝)
14:40 文法or数学
16:30 ジム/土手でマラソン&筋トレ
19:00 夕食(外食)
20:30 英単語
21:30 勉強おつかれっした!→NPO活動(メール・資料作成)
23:00 読書or無心タイム
23:30 就寝
※たまに飲み会や友人結婚式2次会等で19時以降の勉強時間カット



ご覧の通り、つくづく時間が足りない。就寝についても、就寝というより「気絶」に近く、ベッドに入った瞬間、目覚まし時計が鳴る感覚だ。(ちなみに筆者は睡眠時間が極めて大事な人間なので、最低6時間は確保するようにしている)

もっと多忙な人は世の中にたくさんいるので、上記ごときで、「大変だ、忙しい」などほざくのは100年早いが、こと自分のキャパシティ内での話とするならば、「キャパすれすれ」な状態が続いている。

前回のEntry以降の生活を振り返ると、ブートキャンプ生活突入後、特に朝がつらかった。

しかし、「習慣化する力」とは本当にすごいもので、機械的に生活のリズムをつくってしまえば、感情をはさむことなく自動的に体が動くようになるのだ。

このオートマ機能を活用して勉強を進めた結果が以下。それぞれどんな取り組みをしているかは、前々回のEntryを参照。


■多読(進捗率:66%)

Penguin readerをひたすら毎日読む。分量が多いものは一日で読み切れず、持ち越してしまう場合があるが、よほどのタイトな理由がない限りは、毎日読むようにした。

また、下のExcelの通り、所要時間を必ず計測し、単語数(同書には必ず単語数の記載がある)を割り算して1分当たりの読解語数を割り出すほか、理解度(主観が入るが10段階評価。読解スピードとの関連性を明らかにする狙い)、感想(読解スピードとのジレンマや、単純なる言い訳の記載を記載 苦笑)を記載することによって、アナログからデジタルへとパフォーマンス測定の仕組みを変えた。

これは効果覿面。同じシリーズを読み続けることによる、定点観測が容易になるほか、文章タイプの違いに対する自分の得手不得手がわかる。また、累計語数を積み上げることで、ゴールまでの達成率も可視化され、モチベーション維持にも一役を買うのだ。(ただ、直近の読解スピード・理解度ともにパフォーマンスが悪いので、要改善。。。)

これにより、「毎日多読をやらないと気持ち悪い」レベルまで現在達しており、このテンションを継続したい。




■単語(進捗率:49%)

個々のパッセージが短いため、通勤電車内でこなすには丁度よいタスク。

2月の受講まで4回転という数字をパッセージ数で割ったところ、1日あたり10~12パッセージを1セットにするとよいとの結果が出た。通勤時間の20~30分程度では消化しきれないことが多く、帰宅後やるか、2日で1セットになってしまう日もあった。

現在は、3テキストについて間もなく2回転が終了するところ。

ややビハインドしているので、パッセージ数を増やす、穴をあけないなど、対策が必要。


■文法(進捗率:40%)

12月まではかなり後れをとっていたので、年末年始はほぼこれに力を注いでいる。

文法は大学受験当時から「臭いものにはふた」状態だったが、これに真正面かつ1ページずつ取り組むことで、いかに自分が基礎を疎かにしてきたかが再確認できた。

例えば、、、

・他動詞/自動詞(識別をほぼしないまま、もやっと動詞を使う)
・関係代名詞/関係副詞
・分詞構文

あたりは特に理解が曖昧で、時間をたっぷりかけて振りかえりに時間を費やしている。


■数学(進捗率:40%)

中学1年生から順に振りかえっている。なめんじゃねーよと思ってサクサク取り組んでいたが、中2の方程式(A君は徒歩のため分速XXメートルで、1周3.5キロの川を右に回り、B君は自転車のため分速YYメートルで左に回り、、、といった問題)あたりからつっかえが目立ち、ここでも基本が疎かになっていたことを痛感。

平日はなかなか纏まって時間を取れないため、一気に週末に取り組むようにしているが、週末は週末で結構タイトなため、この進捗率にとどまっている。


といった感じで、そもそものボリュームが多いこともあり、全て思い通りに進んでいるとは言えないが、できることを着実に、焦らず、無理せず、しかし妥協せず取り組んでいる。

2月のコーススタートまでにこれらを100%にまで持っていきたいが、1月中旬からコース初日の前日夜まで海外出張が入ってしまい、この間はどこまでできるか未知。

土佐先生に相談したところ、「多読だけははずすな」とのアンサーだったので、出発時点で100万語に満たない語数分のPenguin readerと、コンパクトで骨太な内容のある文法、そんなに荷物にならない単語(中級2冊)については持参しようと思う。

となると、出発までに多読をどれだけ積み上げられるか、単語(初級)、数学をできるだけ進めておくかが大事になってくる。

今年のはじまりは、去る年末に宴席やNPOの合宿で頑張りすぎてしまったことにより持病の喘息が悪化したため、非常につらい状況。(現在もステロイド等複数の強めの薬を投与し乗り切っている)

だが、これにめげず、1月2日より5:55起床、終日勉強(今日はNPO対応&ブログde気分転換と決め、18時で勉強終了)のまま貫いており、明日も終日を使って可能な限り駒を進める所存だ。

去年の春から秋にかけ、言い訳ばかりで実質何も成長がなかった分、今年は強い意志を持ち、習慣を味方につけることで、成果を出したいと思う。

ということで、机の前の張り紙をアップデートした。記載内容からも、しみったれた感じから、前向きな感じに成長したことがお感じいただけるだろう(笑)


<Before>


<After>

ということで、今年も皆さん頑張っていきましょう!!!

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2012年11月6日火曜日

久々に出会った「クソオヤジ」

(以下、比喩的に「クソオヤジ」と表記していますが、個人の誹謗中傷では全くありません。)

今日は久々に「クソオヤジ」と出会い、いてもたってもいられなくなり思わずブログに投稿してしまうこととする。

「クソオヤジ」とは、実名をいきなり出してしまうが、GMAT予備校Affianceの土佐代表である。

前回のEntry以降、仕事とNPOで忙殺されている毎日が続いており、GMATの勉強といえば、土曜日の朝から夕方までの6~8時間、宴席などない翌朝平日1時間程度勉強するという近況。

圧倒的に不足しているなかで、そのかろうじてする勉強でも、正答率が上がらず、本当にこのやり方でだらだら続けていてもいいのだろうか、という危機感を感じざるを得ない日々が続いていた。

「こんな時こそ予備校などに頼らず、正面から、自力でOGを解けばいいではないか!!」と思い、OGをこのまま続ければいいではないかと思う面もあったが、でもどこかで、勉強方法そのものがいけないのかもしれない、それを根治するべく実績のある人から学ぶことはあるのではないか、と考え、ふと、YESでも、Affinityでも、AGOSでもない、自分の中では有名GMAT予備校の中でも異色との認識であったAffianceの門を叩いてみたのである。

なぜ異色だと思ったかといえば、

・定番のコースが、2か月の土日を全て授業に投入させる内容
・強制的にチームビルディングを行い、その中でObligation的に勉強をさせる
・上記コースが50万円という一見強気なプライシング

という点が挙げられ、なぜチームをつくるのか、缶詰なのか、という点において、やや宗教じみた臭いすら漂う予備校だったからである。


そんなこんなで、つい先日の土曜日に連絡をしたところ、すぐに返信と時間指定があり、今日会ってきた。

場所は、御茶ノ水の某マンションの一室。玄関は全く普通の家の様だ。

長方形のリビングに可動式の小さなテーブルつき椅子がいくつか並べられている。その椅子を正面に向けて、面談が始まった。

色黒で、声はやや低くドロッとした語り口。ちょっと悪そうなオヤジという印象。

話し始めるなり、予め提出してあった自分の勉強状況を書いたシートを眺めながら、全てに対してダメ出しが始まった。

・TOEFLの点数が新基準になり、今の点数(103点)ではTop校は到底難しい
・Stanford、Whartonなど、書いてあるSchoolではそもそも103点では足りない。106点は必要だ。
・(自分が普段読んでいる英文を言うと)英語力をつけるためでなく、趣味で読んでいるに過ぎない。それでは英語力がつくはずがない
・商社の人間には勉強に対して甘い認識の者が多い。
・NPOをやっているみたいだが、自己満足にしかすぎない。そんなものは今すぐ辞めた方がいい。
・(Why MBA的な質問をされ、持ち時間がどれだけ与えられているか不明だったので非常に簡単に回答すると、その言葉尻一つ一つを拾い上げ)100%勘違いしている。そんな考えなら、落ちるにきまっている。そもそも行かない方がいい。転落人生を歩むだけだ。

まぁよくこんな言葉を放てるものだと、逆に感心してしまう様な心境で話を聞いていた。
そして当然こちらも、「おいおいオヤジ、ちょっと待て、俺の話をちゃんと聞けよ」という状況になって、なぜMBAに行きたいか、どういう想いでこれまで勉強してきて、どんな社会的使命感からNPOを立ち上げたか、打ち返してやった。

するとオヤジは、自分が金融に関する問題意識に言及したことに関して、「では金融をやっている人間に聞くが、日本が初めて80円を切ったのが何年か知っているか」「海外事業比率が何%になると円高がクリティカルになるか知っているか?」「アメリカ大統領選挙がレバレッジ規制にどう影響するか知っているか?」など、こちらが言葉を詰まらせてしまう質問を打ち込んできた。そしてオヤジはそれらを全て正確に説明した。

このオヤジはGMATの講師ではなかったのか?なんだこのオヤジは?という念が生まれてきた。

オヤジは打ち込む。

・日本の昨今の留学生は、近代史を勉強しておらず、どうした歴史的背景の元に現在の社会問題に発展しているか正しい理解が不足しており、また当然それに対して真っ当な意見を述べられるものが少ない。MBA留学すると、すぐにそうした意見を聞かれ、答えられないと、すぐ相手にされなくなる
・今の若者には、自分の仕事や所属する業界についてはそれなりに語れるやつはいるが、もっと広い経済の仕組みにまで演繹して思考できるやつは少ない
・新聞の情報を多角的な情報ソースから検証するCritical thinkingができるやつが少ない

批判的な指摘が多いものの、そのどれもが一理あり、聞いていてなるほどと思う部分も多くあった。

しまいにはこんな指摘をされた。

・君には人間力が不足しているようだ。まずは月刊「到知」を読め。←いったん聞き置いたが、けっこうよさげな雑誌のようだ
・NPOからは極力手を引け、いつでもできる。←これには、代表としてのコミットメント、責任、周囲への迷惑などの観点から、完全に引けるものではない旨説明し、そうか、との反応
・数学が苦手な者、GMATで400点代の者は、通常の何倍もの努力が必要だ。その覚悟がないならMBA留学をやめた方がいい。←選びに選んで仕事、MBA、NPOという軸に定めているので、生半可な取り組みでMBAを志すという気持ちは微塵もなく、心外である旨、説明
・君の様に想いが強いのはいいことなのだが、やり方まで詰め切れていない者がよくある受からないアプリカントの特徴←これには返す言葉がなかった

と、こんな感じで押し問答が続き、気づけば2時間ほど経過していた。

オヤジは淡々とした様子で、「今日はこの後も予定があり、タイムアップだ。今日は大枠の話しかできなかったので、改めて、何をどう勉強するのか、中身の話がしたい。」と言い放った。自分もここまで話したら、ああそうしましょうという姿勢で、2週間後に再び会うことになった。

帰りがけ、ようやく、「うちは集中して勉強し、余裕を持ってGMATを受けてもらえるよう2月~11月までしか授業を行っていない。それまでは君にできることをやってもらうことになると思う。やる気があって、勉強したいというなら、いくらでも付き合う。」と言って、開講スケジュールを渡された。

部屋の出がけ、クソオヤジはやたらフレンドリーに「今日は敢えて気分を悪くしてしまうかもしれないくらい厳しいことを言ったが、全く悪意はない。ただそれだけMBA留学が難しいということは伝えたかった。是非頑張ってほしい。」と言われ、ありがたく頂戴し、その場を後にした。

マンションを出て、小雨を感じながら、久々に腹ただしい2時間だったと改めて思ったが、しかしながらクソオヤジはロジック力、知識量、人間力において、優れた点が多々あり、自分の守備範囲である金融分野においても、知識面で彼に負けている面もあり、その点、自分の完敗でもあった。

ここ最近、こういう「俺の屍を越えて行け。ただしお前が越えられるならな。」と不敵な笑みを浮かべながら試してくるクソオヤジに会っていなかった。自分は、こうやって発破をかけられると、「なんだと、この野郎!?」と火がついてしまうタイプなので、良いきっかけになったことは間違いなかったと思う。

久々に面白いクソオヤジに出会ったので、是非心行くまで食らいついてみようと思う。次回会うのが何だか楽しみだ。これが新たな展開のきっかけになることに少しながらの期待を寄せ、それまでにまたクソオヤジにぶん投げてやる話題を探し、自分の英語力も少なからず鍛錬しておきたい。


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2012年5月23日水曜日

Good Luck Party 2012

久々の更新。

5月20日(日)に、MBA友の会が主催するGood Luck Party2012に参加してきた。
自身も運営幹事を務めているが、今回は当日参加のみ。

「Good Luck Party」とは、MBA友の会が主催する、毎年恒例のビッグイベントで、その年の夏頃から留学に旅立つキャンディデートを盛大に送り出す壮行会イベントである。

毎年150~200人程度集まるこのイベントには、ホルダー・キャンディデート・アプリカントが程良くまじっていて、自分と同じステージの人はもちろん、それぞれのステータスの人と交流できる有意義な会だ。

例年ビッグな講演者を呼んでいて、例えば当時ファーストリテイリング社長だった玉塚氏、DeNA創業者南波氏など、名だたるMBAホルダーの著名人から刺激あふれる話を聞ける貴重な会だ。

今回はKellog97年卒、日本交通の川鍋一郎氏がゲスト。

創業者3代目として継ぎ、債務超過の会社を立て直し、「タクシー王子」というニックネームを持つ大物。


見ての通りナイスガイで、講演開始早々ユーモアあふれる話しぶり。聴衆がみるみる話に吸い込まれていく様子がわかった。

創業者3代目として入社したときは、債務超過。社員の士気は低い。おかしな柵や慣行だらけ。前代の社長がメモしたノートがあらわにもスクリーンに投影されたが、そこには「どうせ300億円(だったと記憶)なんて無理!」と、借金を返せずバンザイしてしまうような暴露トークもあった。



そんななか、川鍋氏が注力したのが、地道に分析して導き出された「小さな改善の仮説」を、とにかく数が勝負との割り切りのもとチャレンジして、10個に2個くらいヒットを打つくらいの気持ちで取り組み続けるということだった。

はじめは改革者への風当たりは強く、労働組合の刊行物に

「一郎社長はどこまで社員を苦しめれば気が済むのか!!」

と書かれたり、クールビズをやろうと社内にメッセージを発信したときには、

「一郎さん、暑苦しいのはあなた。あなたがいなければ、会社はもっと、クールビズ」→(会場、笑)

などと社員からメッセージがあり、くじけそうなことが何度もあったとのことだ。

しかし、何度も、何度も、何度も、社員を集めて意識改革を呼び起こす対話に時間を費やしたり、10個に2個くらい本当にヒットを打ったりと、結果を出したことによって、響く社員には響き、協力者があらわれ、社員の士気高揚と業績の回復につながったとのことだった。

印象的だったのは、以下。

・出しやすい結果、目に見える分かりやすい結果をまず出す
・結果が出たら、アピールしまくる。逆にミスったら流す(隠す、ではない)
・10個やったら2個必ずあたるから、とにかく数をこなす

こんな話を聞きながら、

「結果を出す」→「信頼を獲得する」→「信頼の集積によって、大きな組織を動かす」

というLessonを感じ取れた。

また、プレゼンのスライドでは、随所で明らかに社内文書と思われるものや、「そこまで言っていいの!?」という情報も含まれていたが、ぎりぎりまで伝えるからこそリアリティと説得力が出るし、競合に聞かれて困る話だって、本質ではマネできないので言っても差し支えない、との説明で、あっぱれ、というところだった。

最後、「質問は一人だけ受け付けます」と司会が言うので、これはチャンスと思い、まっすぐ手を挙げた。

挙げたのは筆者一人。川鍋氏からは「このシチュエーションで真っ先に手が上がるとは、すばらしい!」とお褒めの言葉を頂きつつ、素朴な疑問をぶつけてみた。

「抵抗勢力に立ち向かう中で、自分が潰れないようにするために、どんなポイントに気をつけたのですか?」

答えはこうだった。

まず、「好きな人としか付き合わない」こと。これは理解できない人を簡単に見切るような視野の狭い行動ではなく、徹底抗戦の姿勢を見せる人より、まず理解し味方してくれる同志と一緒に過ごす時間を選択的に増やすという意味だった。

やはり人間弱いもので、人に突き刺されるような仕打ちをされればテンションは下がる。当り前だ。一人二人と、打たれても打たれても戦い続ける先鋭的な戦士は探せばいるもので、こうした人たちとチームを組むことで、抵抗勢力と戦えるようになるとの話だった。

また、自分も戦えば戦うほど戦闘能力が上がり、多少の矢であればひょいひょいよける(受け流す)身軽さもついてくるので、余計なストレスを感じずに戦えるという回答だった。

たしか前にStanfordのAlumniイベントで元・産業再生機構COO/現・経営共創基盤創業者の冨山和彦氏とお話させていただいた際にも、抵抗勢力との戦いにおいて重要なのは、無理に人の考えを曲げようとしても反撃をくらうだけなので、理解してくれる人から固めにいく、というようなお話を聞いた記憶があっただけに、重なるところがあった。 

単なるナイスガイではなく、苦難を乗り越えて偉業を達成した男の話は心に響くものがあるなぁ、と痛感した筆者であった。



講演は大きな拍手で幕を下ろし、すかさず名刺交換を済ませ、歓談タイムへ。


このブログから知り合った方が某トップスクールに合格されていたのに驚き、またその方から声をかけて頂いて、こういうブログを書いていたことでいろんな人と繋がれて面白いなぁなんて思っていたら、その場で一緒に話していた方が「あれ、その(筆者の)ブログ、読んだことある!」となった。更には近くにいた方から、「あのブログの筆者の方ですよね?」次々と声をかけられ、驚きが止まらなかった。

そういえば、もうすぐこのブログも累計PVが9万に達する。最近は1日400~500PV、月間12000~15000PVにも上る。PVの数字の感覚がよくわからなかったが、これほどまでにインパクトがあるのかと気づいた。


2次会へ。

ここでもまた話した方から「ブログ読んでいますよ」と伺い、ますますこれは留学達成しないとやばいぞという、いいプレッシャーになった。

また、1次会でもう一人講演をしていた、ロコンド.jpの田中社長とも、少々込み入ったお話をすることができた。

ここではあまり書くつもりはないが、筆者が立ち上げたNPO団体で、ちょうどファンドレイズを行っていることもあり、田中社長がどうやって09年にUC BerkeleyのMBAを卒業し、起業してからわずか1年で22億円の出資をベンチャーキャピタル(ドイツVCから15億、日本VCから7億)から獲得できたのか、Tipsを聞いてみた。

非常にシンプルな回答だった。

・「やりたいことはコレ、それを実現する仲間がこれだけいる。」というような、30秒でわかるピッチ(説明)をする。
・FactでGapをえぐりだす(例:▲の市場はアメリカで●億円ある、中国でも●億円ある、でも日本では●億円しかない。But▲は誰もがつかう。日本で▲の市場が膨らまないはずはない)
・電話かメールが一番早い、資料は作らんでいい。特にパワポは悪。エクセル1~2枚でOK、あとは口で説明すりゃわかる
・金余っている人世界でたくさんいる。片っ端から金くださいと聞けばいい。聞くのはタダ。当たればウン億。安いもん。


ちなみに筆者のファンドレイズの状況を聞いて一言。

「NPOだから、財団じゃない?早いところまずビルゲイツ財団に聞いてみなよ。ホームページからメールするだけだよ。もし断られても、しばらくしたら相手忘れるから、また時間置いてチャレンジすればいい。」

冗談ではなく、いとも簡単に言ってくれた。並ではないことをする人の視点は、常人のチャレンジ感覚を凌駕していた。早く自分もその視点まで首を伸ばしたいものだと思った。



最近はGMATの勉強を進めながら、前回のEntryに書いたとおり、2014年夏に留学時期をずらす方向が濃厚になってきていることもあり、MBA留学を通して得られる「何か」を改めて確認したくなっていた頃であった。

MBAコミュニティに関わることで、飛び抜けた経験をした人たちに自然と会えることがまさに今回のGood Luck Partyへの参加から再確認できたので、大変有意義な一日となった。

日々の地味な勉強の合間に、取組み意義に立ち返るこうしたイベントに顔を出すことは大事だなぁと感じた次第であった。


PS.最近はブログを読んでいる方とリアルに繋がる機会が増え、ブログに書くことがこっぱずかしいことも増えてきましたが、これまで通りしみったれたことも、嬉しかったことも、全て赤裸々に書き綴っていこうと思いますので、今後も読んでいただけたら幸いです!


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2012年3月31日土曜日

【超大作】2011年度を、そしてMBA留学への想いを振り返る

※今日のEntryは超大作ですので、読者の皆様、悪しからず・・・


今日で2011年度が最後だ。

明日からは2012年度、もう自分もWork experienceは満5年、まもなく28歳、MBA留学的にはもう残りわずかの年齢だ。

結論からいうと、この一年間を振り返ってみて、いろいろやったようで、何も結果が残らない一年だった。

TOEFL: 100点未満。TOP校に出願するレベルに到底至らず
GMAT: 400点台。まったく話にならないお粗末なスコア
奨学金: フルブライトは2次書類選考で落選、社費は最終選考まで残るも落選
エッセイ: せっかくAGOSの特別奨学生に選抜されるも、スコアメイクができずほとんどエッセイコンサルタントと会話できないまま受講期間終了

ご覧の通りだ。

自分ではそれなりに頑張った気がする。勉強をしなかったわけではない。TOEFLだって、もう嫌になるくらい受験した。ただ、結果だけを並べるなら、この惨憺たる状況だ。

ただ、この理由は自分でも十分納得できている。何をやるにせよ、中途半端だったからだ。

今日たまたま、ハーバードEducationに留学し、その後教育系NPOを立ち上げた、筆者よりひとつ年上の方のブログを読んでいたところ、こんなことが書いてあった。

----------------

2006年12月  キャンセル
2007年1月   62点
1月   68点
2月   78点
3月   85点
4月   91点
5月   96点
5月   98点
6月   99点
8月   101点
8月   100点
9月   103点
10月  104点

本当につらかったな~

平日は仕事をしているので、4時間~6時間の勉強時間
休日は13時間

----------------

点数の伸び方が、勉強の密度で十分説明できる。結果を出す人とは、これだけコミットして勉強している人なのだろう。

一方自分はどうか。最近は正直、留学への想いと裏腹に日々の勉強に対するモチベーションが落ちていることもあり、平日は0~2時間、休日3~5時間程度しか勉強していない。

これでは点数が伸びるはずがない。

そんな状況で無駄に受験ばかりするものだから、間もなくTOEFL受験が30回に到達しようとしているのだ。

彼のいう「本当につらかったな~」と、筆者のいう「つらい」「テンションがさがっている」「気を取り直してがんばろう」は、全く言葉の重みが違ったのだろうと、自分を翻りながら読んだ。

つまるところ、自分には単に努力量が足りないだけなのだと思う。いろんなことを言い訳にして、すぐ逃げる悪い癖がついているし、年末に「気持入れ替えます」的なEntryを書いたにもかかわらず、相変わらず本質的には気持が入れ替わっていない。

2012年に入ってから、そのだらだらした状況が続いている。早いもので、それで一年間の4分の1を浪費してしまった。スコアは先日報告したばかりだが、その状況が一目瞭然だろう。

こんな状況では、いつまで経っても結果は出せないだろう。

年度末を締めくくるこの一日で、自分の甘さを改めて認識し、安易な方向へ走らず、厳しく鞭を打ち続けなければならないと痛感した。



MBAへの想いを振り返る意味で、Why MBA?とキャリアゴールに関して、最近少しずつ起きている心境の変化も含め、自分の考えを整理するためにも、丁寧に書いてみたい。



◆はじまりは、"Where is YOYOGI station?"

高校時代にまで話は遡る。大学受験の勉強に打ち込む毎日のなか、親友から「気晴らしに新宿へ買い物にいこう」との連絡があった。たまにはいいかと思い、いざ新宿へ。一通り買い物も終わり、帰りの切符を買おうとしたところ、外国人に声をかけられた。

"Where is YOYOGI station?"

たったこれだけの質問。新宿から代々木へは隣へ山手線でいくだけ。

だが、何も答えられなかった。テンパったというのもあったが、英単語ひとつすら思いつかなかった。筆者が泡をふいているうちに、彼らは質問したことに恐縮し、「OK、自分たちで何とかするよ」という素振りを見せ、去って行ってしまった。

帰り道、自分の不甲斐なさに憤慨した。

なぜ受験勉強と称して、毎日英語を3時間も勉強しているのに、道ひとつ説明できないのか?
なんのために英語を勉強しているのか?
英語というツールを使って、コミュニケーションをするためではないのか?
ではなぜ自分は今日コミュニケーションができなかったのか・・・

日常のなかで見つけた、大きな問題意識であった。


◆失意の入学と世界一人旅

いつしか毎日の勉強に追われ、複数大学を受験し、入学したのは関東6大学のうちの一校。本当は自由闊達な校風に惹かれ早稲田に行きたかったが、受験日に高熱を出してしまい、朦朧としながらの受験で、結果は不合格。

一年浪人を考えたが、いわゆる「MARCH」のうちの一校から、一般受験での成績優良を理由に在学中学費全額免除のオファーを受けたので、これも何かの縁だと思って、一抹の失意を胸にしながらも入学することに。

しかし、入学した直後、やはり志望校へ行けなかったことへの憤りが心のどこかでつっかえになっていて、「どうせ2流の大学に入ったのだから、1流のやつらができないことをしよう」と、アウトローなやり方で自分だけの4年間をつくってやろうと思った。

そこで思い返したのが、新宿でのあの日だった。

「英語をもっとうまく話せるようになりたい。あの悔しさを晴らしたい。」

ネットで見つけた、とある旅行代理店へ走った。日本人がいない場所へ行って、どっぷり英語の環境につかりたい。同時に、語学学校のような狭い教室にとどまるのではなく、フィールドワークを通して生の英語を身につけたい。そんな想いの交点を、その旅行代理店は「現地集合現地解散の、International Volunteerによる、環境保護プログラム」というオーストラリア全土でのプログラムで満たしてくれた。

1ヶ月半の滞在のうち、半分がそのボランティア、半分は旅程を決めないバックパッカーの旅だった。はじめは英語の習得を目的としていた。だが現地に渡ってみて、10人前後での世界各国から集まったボランティアたちと寝食をともにし、語り合い、チームに与えられたミッションを達成するという経験を通して、英語は単なるツールでしかなく、コミュニケーションの手段であること、英語を使いこなせることにより世界70億人のスタンダードのなかで生きられることの喜びを学び、もっといろんな国・地域の人とかかわりたいという想いが沸き起こってきた。

 <ボランティアのメンバーと>

<道中の景色>

それからは、怖いもの知らずで、インド、ネパール、タイ、ラオス、エジプト、トルコ、ペルー、ボリビア、ブラジル、台湾、モンゴルなど、世界各国を飛び回り、現地の人々はもちろん、道中であう欧米人、日本人、韓国人などと交流をもち、「異なる価値観を掛け合わせることで新しい何かが生まれる」という可能性を自身の中核的考えとして思うようになった。

 <灼熱のエジプト>
<アマゾンのワニと一緒に>

◆転機 ~ビジネス入門~

バックパッカーとしての毎日に突然の転機が。大学3年目を目前に控えある春休みの日に、タイの山奥にいる首長族に会いにいくために、道なき道をバイクで爆走。行きはなんとかうまくたどりついたが、本物の首長族に会い、気分をよくしていたのか、気を許して転倒。左足に大怪我を負ってしまった。

<合成ではありません>

これが転機となり、当時引越しのアルバイトをしていたのが、しばらく稼動できなくなり、「体を使えないのなら頭を使おう。頭を使えるなら、卒業して社会人となったときに生きるビジネスの分野にフォーカスしてみよう。」と考え、学生団体が開催する起業家セミナーや著名経営者による講演会などに片っ端から参加した。

その中で縁が会って加わったのが、早稲田の学生が中心となって設立する目前のNPO法人だった。当時のその団体のミッションは「Gapyear制度」を日本に導入しようというものであった。Gapyear制度とは、イギリスの大学で一般的な制度で、大学入学した1年目を、海外留学、ボランティア活動、インターンシップなどに投じ、それを学校にレポートすることで、1年目の必要単位相当分をすべて取得できる制度で、課外活動を通じ社会に通用する学生を育成できる制度だ。

これに共感し活動に参画、直後には法人化し、学生に課外活動を紹介するフリーペーパー発行やイベント企画を中心に活動し、筆者は企業協賛の獲得からイベントへのタレントブッキングなど幅広く貪欲に活動した。


◆次なる転機 ~NPOの法人化失敗、そして自分は何がしたいのか~

一時期学生スタッフ50人を超える組織にまで拡大、代表の鼻息も荒くなり、「代々木公園のイベントスペース(アースデー東京などを開催している野外コンサート会場)を貸し切って、学生3万人を読んだイベントを開催しよう!そしてそれが成功した暁には、その収益金を元手に株式会社化しよう!」とぶち上げた。



イベントのコンセプトは、芸能人によるフリーライブなどで若者を集客しつつ、留学支援・ボランティア・インターンなどを募集する企業・NPOを多数招きブースを設立、学生に課外活動が人間的成長をもたらせてくれる素晴らしいものであるということを周知する。またイベントの規模を武器にメディアを通じて広くパブを張り、大学に制度導入を促そうというもので、やろうとしていたことは間違ってはいなかった。

しかし、あまりにアグレッシブで無知な学生たちには度を超えたイベントだったのだろう、収支計画がずさんで、見込みのない収入をベースにイベント出費だけ豪華になっていく。芸能人もそれなりの人が来てくれることになったのはいいが、ギャラはどうするのかあいまい。一方で広報が不発で参加者の見込みが立たない。

こんな状態が続き、イベント準備は迷走。大学3年生の3月、本当であれば就職活動の真っただ中だ。株式会社化、そしてそこでの幹部就任を約束されていた筆者は、「シューカツ」なるものには興味がないとたかをくくっていたが、さすがに危機感をおぼえた。イベント当日は4月中旬。イベントには全力投球するが、きっとこのイベントは大ゴケする。そうしたら、就職先がない、まずい。

サラリーマンで何の変哲もない父に、ある日正直に全てを話した。

その彼から思わぬ叱咤をされることに。

「事業をやる人間にとって、収支計画は命だ。何が見込める収入で、その収入の確度はどの程度で、だからここまで金が使える。こんな簡単なことだが難しいのがビジネスだ。お前の話を聞く限り、収支計画の「し」の字もない。そんな甘い考えで何が起業だ。ビジネスをする資格はお前にはない。ビジネスのことをもっと本気で考え、一から勉強しなさい。」

その通りだった。

勢いで作った会社は必ず潰れる。しかも従業員やその家族を背負ってまで、だ。想いがどんなに正しかろうが、素晴らしかろうが、経営計画をまともに立てられない、ビジネス感覚のない企業に明日はない。

NPOの活動の傍ら、ふとした縁から六本木の某クラブのオーナーと仲良くなり、足しげく通っていたのだが、ヒルズ族の社長、その社員、芸能人、政治家と毎日のように会い、「大企業なんかかっこ悪い、ベンチャーで自分の力を発揮するんだ」とありがたく説教を頂いていた。

その影響もあり、盲目的にベンチャー志向に突っ走っていたのだが、自身の追い込まれた状況を振り返り、「どんな大企業だって、設立した日はベンチャー起業であった。逆にいえば、100年潰れなかった"ベンチャー"では、どんな経営をしているのだろうか」という点に興味を持ち、大企業へ進むというキャリアパスを考え始めた。


案の定、結果から言うと、400万円ほどの借金を抱えて大失敗。野外イベントだったこともあり悪天候で人足が遠のき、見込んでいた飲食の収入が振るわなかった。協賛金も目標額に達していなかったため、これを穴埋めできなかった。その後の損失処理については、言うまでもなく辛いものであったが、ここではその具体的な話は避けたい。

それまでの人生で最も苦しみ、辛酸を舐める経験となったが、ここでの教訓である「損するビジネスに意味はなし」は決して忘れないし、完膚なきまでに打ち砕かれた経験は人間を強くするもので、間違いなく今の自分を前に突き動かす力の源泉の一つとなっている。

この経験から、負けないビジネスを遂行する経営力を身につけ、将来的には当時の自分と同じように、想いがあって世のために活動しているのに、経営力がなく潰れていく企業や組織を救いたい、と思うようになった。



◆次なるステージへ ~総合商社における金融事業部門~

では、どこで経営力が身につけられ、また具体的にどうやって潰れていく企業を救えばいいのだろうかと次に考えた。

<どこで?>

経営者に近い立場、という意味では、どの会社でもいいから経営企画部に入ればいいのではないかと最初に考えた。だが経営企画部に入るには、営業やその他部局での長い下積み生活を積まなければたどりつけない。

では経営コンサルティング会社はどうか。残念ながら3月中旬にはもうほとんど有名ファームの募集は締め切られていた。また筆者の大学のレベルでは、マッキンゼーやBCGなどトップファームはまず受け入れてくれないだろうと容易に想像ついた。

次に出てきたのがリクルート。社長製造マシーンと言ってもいいほど数多たる社長を輩出している特殊な企業だ。だが、業界が人材や広告会社に集中しているし、またバックパッカーでの経験を通して、世界70億のスタンダードの中でビジネスを展開していきたい、という考えからすれば、国内メインのリクルートのフィールドでは、満足できないと思った。

そして行き着いたのが総合商社。「事業投資」―単なる投資をするのではなく、経営権が獲得できる相当分の出資を通して、事業そのものの価値を中長期的に向上させ、必要であればずっと株式をホールドしインカムゲインを享受するし、それかキャピタルゲインを狙って売却する、というビジネスモデルを確立している。

事業の価値を向上させるために、「ヒト・モノ・カネ・チエ」を惜しげもなく注ぎ込む。若手であっても、日常レベルでの業務は泥臭いタスク処理もあろうが、投資先の経営陣と対峙し事業をどうするべきか同じ目線で考えることができる。

そしてそのフィールドは全世界に張り巡らされている。日本という島国だけの発想では世界には通用しない。多様な文化を許容し、ロジックをゼロから組み立てなおすことで、真に価値あるイノベーションが生まれる。

こんな総合商社という世界に魅せられ、自分はどうしてもここに来たいと思った。

<どうやって?>

では、総合商社に入れば問答無用に経営力が身につき、経営力がなく潰れていく企業や苦境に陥っている企業を救えるのか?

事業にあまりに軸足を置きすぎて、特定事業には強いが、その事業の世界だけでしか戦えなくなってはいけないとも考えた。

「純粋にどんな企業であっても経営できる経営力」とでも言おうか、ユニバーサルな経営力を身につけたいと思い、その折に、「金融」の機能に着目した。

金融とはその字のごとく「金」を「融通」する機能だ。ゴールドスミスの逸話にもあるように、余っている人の金を、必要としている人に融通する。融通してもらうのだから、融通してもらった人は利子というFeeを上乗せして貸主に返済する。

たとえば、ある若者が素晴らしいビジネスプランを思いついたとする。だが彼には金がない。どうするか?

佐川急便で5年汗水流して1000万円貯めるならどうか。一番堅実のように見える。だが、今日のプランが5年後も通用するか保証はない。今だからこそ、うまくいくビジネスだってある。

ビジネスプランを1ヶ月で綿密に練り上げて紙に落とし、エンジェル投資家、銀行に2週間かけて巡ってみてはどうだろう?その内容に隙がなければ、その場で金が出てくる場合が起こりえる。そこで調達した1000万円を元手に、プランを実行へ移し、案の定大当たりとなれば、借金の返済または投資家への利益分配ができる。本人はビジネスを形にしてHappy、世の中にサービスが生み出されUserはハッピー、投資家は余った金で収益を生み出せてHappy、みんなHappyなのである。

さらには「ファンド」も典型的な金融手法の一つだ。ファンドは砕いて説明するなら、「宝の山集金BOX」であるとよく筆者はたとえる。

「宝の山」があっても大抵は一人で辿りつけないことが多い。激流が待ち構えている。途中豪雨が襲ってくる。崖の上にある。誰でもアクセスできるところに宝の山なんてものがあるなら、とっくに誰かが到達し持ち去っているからだ。

それ故、橋をかけたり、雨合羽を買ったり、クライミングブーツを買ったりしなければならない。トレジャーハンターたちを雇ってチームを結成なければならない。これには当然金(=コスト)がかかる。だがこれらのコストを払ってでも宝の山に到達できれば、莫大な利益を獲得できる可能性がある。その金を投資家から集めるのが「宝の山集金BOX」だ。そのBOXには、以下のようなことが書いてある。

・集金額に比例して利益が分配される
・宝の山だと思って金を投じても、藻屑となるリスクがある
・集金後2年間は返金できない
・etc

こういう条件付き集金BOX(=ファンド)という「仕組み」をつくることで、一人ではできないことを実現できる。金融にはそんな力が秘められている。

日本には今、個人金融資産が約1400兆円ある。これまで世界の製造工場として自動車やエレクトロニクス製品を輸出し、言うなれば「日本株式会社」として蓄財してきた資産が山積している。この資産の約7割が日本国債に流れている。つまり、リスクフリーの資産、言いかえればタンス預金しているようなものだ。

日本人は、清貧の文化、投資を博打と見る志向を持つ傾向にあり、投資に対する姿勢が最も保守的な国の一つである。リスクを見極める能力を持った上で、こうした余った金を融通して、金を必要としているところに投じていく。日本に必要とされているのは、金融への知見とリスク耐性の向上ではないだろうか。

ただし、金融はあくまで機能であり、実ビジネスがその先にあって初めて意味をなすものであり、事業に裏付けられた金融プレーをするべきと考えた。

こんな問題意識から、上記すべてを当時の学生の自分が考えることはできなかったが、概念的にこのようなことを考え、総合商社における金融事業部門へ進みたいと熱弁し、見事その扉を開いたのであった。



◆Why MBA?

実際に念願の金融事業部門に配属され、ビジョンを達成する天命を与ったのだとの思いから、やれることは一通りやった。

最初に担当したのは、国内の某自動車リース会社への投資および経営管理。投資先の経営企画部と連携し、営業戦略の立案、社内ITシステムの刷新、全社的なコストカット、企業買収まで、若手ながら様々な業務に携わることができた。約2年半の経験である。

次に、早期グローバル人材育成を掲げる研修プログラムに抜擢され、南米のコロンビア共和国へ。ここでは商社ビジネスの最前線を見ることができたが、何より経験の糧になったのは、派遣元の部署が投資する自動車リース会社が現地にもあり、その経営管理に携わったことだった。

2週間ほどそのリース会社にデスクを設けてもらい、ほぼ全部署の部課長と面談させてもらった。日本で得た経験をベースに、面談する部課長一人一人に、こういう手法で顧客をつなぎとめるといいのではないか、この部分のコストがカットできる、自動車の仕入れはこうするともっとディスカウントできる、など、次々に経営改善策を提言。最後は社長にそのサマリーをプレゼンし、実際にいくつも提言をその後の経営に取り入れてもらった。

ちょうど半年間の研修を終えて帰国した直後からMBA受験を本格的に覚悟し、勉強をはじめた。2010年の4月の話だ。なぜか?

上記は仕事のほんの一部のポジティブサイドで、実際は、これらをその場の思いつきベースで進めてきたにすぎなかった。その場での対応で一応それらしい仕事はできてきただろうが、これらを体系立てて整理する時間や、そういうケースに直面した場合に適用できる理論としてどういったものがあるのかを落ち着いて考える時間がないまま突き進んできた感が否めなかった。

また、コロンビアに行った際には、英語力はそこそこあったものの、もっと突っ込んだ議論ができていればさらに面白いビジネスが生まれたのではなかっただろうと感じる面もあった。

さらに、これから事業と金融の両輪を回していくにあたり、資金の調達先、投資先のビジネスのいずれも世界に張り巡らせていかねばならない未来が見えているなかで、会社からスポット的な世界戦場が与えられるタイミングを待っているわけにもいかない、つまり自分から世界に打って出なければならないと考えた。

その点、まさにビジネススクールは、世界各国から、さまざまなビジネスバックグラウンドを持った腕利きが集まっており、意識高くその想いと頭脳力をぶつけあい、ケーススタディ、お互いの知見などあらゆるソースから将来自分が実現したいことのTipsをTake awayする。

そして卒業後は、金融の力を使いつつ、事業そのものの価値を向上させるプレイヤーになっていきたい、その実現に向けて、MBAという環境に20代最後の2年間を投じたい。この想いから、強い想いを持ってMBA志願を志したのである。


◆ポストMBAの行方

<初志>

当初のシナリオはひとつ。会社を辞めて私費で留学すること。実現したいことがより明確になりつつあるなかで、その達成のために必ずしも今の環境に固執する必要がないと思ったからだ。

実現したいことと何か。たとえるなら、「ポンコツ機を一機でも多く空にかえしてやること」だ。即ち、昔は大空を自由に飛び回っていた飛行機も、ポンコツ機になり飛べなくなるときは当然ある。原因は、パーツの老朽化かもしれないし、飛び方が空のコンディションにあっていないのかもしれない。こうしたポンコツ機を前に、足りないものは部品(モノ)、整備士(ヒト)、調達資金(カネ)、直すためのノウハウ(チエ)を掛け合わせて、ポンコツ機のパイロットやクルーたちと一緒になって修理する。

そして、ここからが重要だが、修理したポンコツ機のコックピットに、一員として乗り離陸、運命を共にすることだ。もしかしたら一緒に墜落するかもしれない覚悟をして手掛ける修理は本気であるし、再び空にかえれたときにはクルーたちとその喜びは分かち合える。

そしてフライトを一本終えて、もはやポンコツ機が立派なジェット機に返り咲いたその姿を見届けて、次なるポンコツ機の再生にひた走る。そうやって、世のため人のためになろうと頑張っているにも関わらず苦しんでいる企業を救いたい。Gapyear制度を日本に導入しようとひた走り、辛酸をなめた経験があるからこそ、同じ苦境に立たされている企業のために力を尽くせる。そんな想いだ。

具体的なキャリアで言うならば、事業再生ファンドやプライベートエクイティ(PE)ファンド(のなかでもディストレスに近いプレイヤー)にJoinしたいと思った。

ここまで明確になれば、あとはその方向に突き進むだけ。異動が前提の総合商社にとどまる理由はもはやないとの結論から、私費留学(偽りの説明で社費を獲得し、MBA卒業後すぐ辞めるのは潔くないとの考えから社費は全く考慮に入れず)を考えたのだった。

<変化 ~本当にやりたいこととは~>

初志に少しずつ変化が表れ始めたのが、昨年10月の部署異動がきっかけだった。それまでは一事業投資家の目線であったので、そのほかの投資家が何を考えているかを深く考える機会がさほどなかった。

一方、異動してきて担当になったのは、①不動産ファンド組成と、②子会社の証券会社のマネジメントであった。前者は国内の不動産に投資し、それをファンド化して投資家に売るという仕事、後者は、親会社(=筆者が所属する事業部)や外部のファンドから投資商品を仕入れ、投資家に売る会社であり、この会社の経営管理。いずれも顧客は日本が中心だ。

要はいずれも、投資家に投資機会を販売するのが仕事で、はじめて日本にはどういったタイプの投資家がいて、何をもとめていて、ボリュームとしてどうセクター配分(株、債券、不動産、ヘッジファンド、PEなど)されているかを認識した。

また、PEは発祥国アメリカでは相当なボリュームがあるものの、日本ではバブル崩壊後に弱体化した会社を一部PEファンドやディストレス投資家が買い叩き「ハゲタカ」というネガティブなブランディングがされてしまったこと、アメリカ的なドラスティックな経営再建を日本人のネイチャーでは実行できず、「事なかれ」主義の銀行や系列親会社がなんとかうまく延命させる風土であることもあり、下火状態が続いている。この事実も、書籍を通じてある程度は知っていたが、業界に入り投資家の声や様々なレポートから実態を知り、課題が多いことも分かった。

また、日本における事業再生の代名詞とも言える産業再生機構についてもかじってみたところ、素晴らしい功績は残したものの、その後解散し産業革新機構に移行してからは、事業規模も人材の質も以前のようにはいかない様子が見えてきた。

こうした時勢を鑑みるに、「この業界を俺の手で変えてやる!」という「パッション」、MBAという名前だけではすでにありふれた「こん棒」を両手に携えてPE業界に突入することが、果たして初志を成し遂げる解となりうるのだろうかと、立ち止まって考えるべきではないかという気もしている。

先に「ポンコツ機を空にかえす」という話をして、かつそれが自分の過去の体験に日もづいていることを書いた。またその想いへの前に、事業と金融を掛け合わせたビジネスを展開したいことも書いた。

どちらも根っこは同じで、要は、「事業経営を軸足におきつつ、金融の力を使って、世界に価値を創造すること」が根源的なビジョンであるということなのだ。その一つの側面が、住んでいる地域という意味で日本の個人金融資産1400兆円をなんとかしたいという考えであったり、NPOの失敗という過去の強烈な体験という意味では苦境に立たされている企業の事業再生であったりと、個別具体的な話に落とし込んでいくことで辿り着く枝葉の話なのである。

<この先の身の振り>

今実際にこの文章を書きながらはじめて自分でも整理できつつあるが、根源的なビジョンに立ち返ると、今いる会社でも外にいる会社でも実現は可能だ、という結論に到達する。

今いる総合商社の金融事業部門では、不動産投資、PE投資、リースが柱で、いずれも実物や実業をベースとする金融事業を展開しており、その地域は、各セクターにより偏りはあるが、日本、アジア、中東、欧州、北米と、世界へ張り巡らせている。

また、日本のマーケットにおいて今いる会社のプレゼンスは相当なものであることを感じており、日本の金融の在り方に一石を投じられるポジションにいることが、足元を見直すことで確認できた。

実際、先日より国内のとある一大プロジェクトに携わっているのだが、これまで積みあがってしまった負の遺産を、金融の力を使って対処しようという主眼で取り組んでいる案件であり、まさに事業の非効率を金融の力で変えるビジョンに合致した仕事だ。このプロジェクトのためにいくら深夜まで残業しようが全く疲れなかった理由は、そこにあるのだろう。

一方、外へ目を向けてみると、たとえば、以前からマークしているベインキャピタルはPEの最高峰の一つで、コンサルティングメソッドを最大限発揮して事業改革を推進し、一定期間で株式価値を高めて売却することで、投資の受け手も出し手もWin-Winの関係構築を実現しているプレイヤーだ。

また、ブラックストーンはPE、不動産、ヘッジファンドなど多様なセクターへ巧みに投資しつつ、それぞれのセクターでは綿密な精査を行ったうえで果敢にリスクを取りに行くアグレッシブなプレイヤーだ。そのほか、踏み込んだリスクを取ることで高いリターンを獲得するディストレス投資を得意とするローンスターについても言及しておきたい。

ただ、これら外資プレイヤーで仮に働くとするとそのDisadvantageは、日本の拠点スタッフとして採用されるケースが基本で、働くフィールドが日本に限定されることが通例であることだ。ややもすれば、中国の金が日本に流れてきたり、日本での経験を生かしてシンガポールに拠点を移し、そこからインドネシアに投資する時代が来て、外資系にJoinしても世界をフィールドに働ける時がそう遠くないうちに来るのかもしれない。ポイントは、そのリスクにBetするかどうかだ。

当初は私費(会社を辞める)が大前提の想定であったが、こうして考えてみると、まずは根源的なビジョンが、会社にとどまってもそうでなくても実現できることがわかったことが一つの発見である。

また、①日本経済を大きな視点から捉え金融の力を使って価値を生み出していきたいのなら今の会社、②グローバルベースでの活動が将来的に可能となることを期待し、かつドラスティックな経営改革と徹底した金融スキルの発揮により価値を生み出していきたいなら外資PEにいくべきだ、という現状の分類も改めてできた。

とするならば、どちらを選ぶか、であるが、これは今日のところではまだ決定できない。どこかの時点でする必要があるかもしれないし、あえてどちらも決めずにMBAに向かって突き進み、社費がつけば今の会社に、そうでなければ辞めて外資の道に、という「縁」で決めてもいいのかもしれない。

実は、このブログにはほとんど書かなかったが、数ヶ月前に社費選考に受験した。結果は最終段階でNGだった。私費が明らかに見えているのに、人事部をだまして社費でいこうという魂胆にはなり下がるまいと思っていたところを受けたのだから、心境の変化はあったはずだ。だがその時点では「迷い」に近い心境で、本当に自分がやりたいことがどこでならできるかをやや見失っていたのかもしれないと振り返って思う。

だが、こうして整理してみると、私費と社費のシーソーの中間点に帰ってきたようで、またリセットして考えていこうという気になった。


◆最後に

私費と社費、どちらを想像しようが、何はともあれ現実に戻ると、留学をするために必要なHomeworkをきっちりやらなければ、もとも子もないわけで、まずは足元のTOEFL・GMATをまずきっちりやろうぜ、という結論に至る。

今日は土曜日で時間があったということもあり、書き始めてからなんと6時間ほど経っている。最近、空き時間があってもなぜか勉強する気になれないことが増えてきており、このEntryの冒頭にも書いたとおり、勉強へのコミットが弱まっていた。

しかし、ここ最近自分がどの方向へ向かっているのか、大方針はぶれていないものの先端がぼやけていたのでモヤモヤしていたし、それもあって勉強に身が入らなかったのかもしれない。

いつのまにかこのブログ始めて以来の超大作になってしまったが、自分の整理のために書いたものであり、もしその思考プロセスを知りたいという読者の方がいれば、その方にお見せすることは一向に構わないというスタンスで書いたこと、ご理解とご容赦いただきたい。


では、一呼吸おいて、勉強再開しますか!!!!!


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2012年1月8日日曜日

過去との向き合い方

今日はTOEFL@茅場町という大事な日だが、軽い準備体操と思ってTEDを見ていたら大変共感したTalkがあったのでシェアしたい。

これから壮年期に入る女性の話ではあるが、これは世代を問わず当てはまること。
深く自分と向き合い、今まで起こってきたことがどう自分に作用してきたか、どう世の中や周りの人との関係をとらえてきたかを知る。そしてネガティブサイドから見てきたことでも、見方を変えることでポジティブな経験に変わったりする。

自分は10代の頃はずっとネガティブ思考な人間であったが、学生時代にバックパッカーの旅で世界を放浪していたとき、ふと気づいたことがあった。

「過去は変えられない」

と多くの人はいう。

しかし、自分は「過去は変わる」と思った。

つまり過去に起こった「事実(出来事)」は変わらない。
しかし、過去に起こった事実の「解釈」が変わることで、過去は変えられる。

変わった過去が何に影響するかといえば、ほかでもない、自分が変わるのである。

今まで自分の足を引っ張ってきた過去、目をふさいでいた事実が、ある日突然、自分を前に進める原動力になってくれたり、自分を誇れるIdentityになったりする。

昔は、起きたことを何でも斜に構えてとらえる癖があり、「だからうまくいかないんだ」「ほら、やっぱりできないじゃないか」と物事をとらえていた。

しかし、この気付きがあってから、起こった事実を柔軟に解釈し、次へ進む力にすることを体得した。

いまもそうだ。TOEFLでうまくいかなければ、「これだけ失敗してから結果を出したら、後で波瀾万丈の面白い留学実現日記に仕上がるだろう!」と思うだろうし、今年結果が出せなかったら、そこから「集中して取り組まないとどんな偉業も達成できない。コミットメントが重要である」ということを真摯に学び、次に生かす。といったように、次につなげることにフォーカスをあてる思考回路を構築している。

このTalkに深く共感したのは、きっと、こんな考えを持っていたからなのだろう。ぜひ見ていただきたいと思い、共有する次第。

さーて、TOEFL頑張りますかー!!!目指せ100点越え!!!




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2012年1月1日日曜日

新年の決意

新年明けましておめでとうございます!!

昨夜から束の間の実家での休息を経て、今日からまた勉強モード。

新年の挨拶を決意と読み替え、ここに記しておく。

去年は、結果を出せない一年間であった。
理由は明確、詰めと徹底さが足りなかったからである。

今年は、結果を着実に出す一年間としたい。
そのために、まず勉強、次に勉強、詰め終わってから他のこと、という着手の優先順位を明確にし、追い込む姿勢で臨みたい。

簡単ですが、一言まで。

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2011年11月23日水曜日

百折不撓

百折不撓(ひゃくせつふとう)

意 味: 何度の失敗にもめげずくじけず挑戦すること。

解 説: 「百折」は、何度も挫折すること。「不撓」は、くじけないこと。「撓」は、くじけるという意味。

負けっぱなしの最近の戦況であるが、ふと、なぜか、「何度負けたって、MBAという向う先はいなくなるわけではないし、自分が諦めなければ必ず勝つ日が来る」と歩きながら思いつき、何かこれを表す言葉はないかとネットで探したところ、この言葉を発見した。

まだTOEFLで「折」れたのは「百」ではなく「十七」回。GMATで折れたのは「一」回。この四字熟語が存在するということは、死ぬ気で百回挑戦して結果がでず、それでも鬼気迫る挑戦をした先人が本当にいたのだと意味しているのだろう。

20日(日)にお馴染み横浜駅西口でTOEFL18回目を受験してきた。
26日(土)にはまたもや同じ会場でTOEFL19回目を受験する。

12月6日(火)(1日から出張のため変更)にはGMAT2回目を受ける。エッセイはまだ着手しておらず、仮にスコアが出たらそこからの超急ピッチでの作業となる。自分自身でもイメージが正直湧き切っていない。

依然焦りはある。

ただ、確かに焦りはあるものの、先ほど書いた様に「MBAは逃げない。自分が逃げたら終わり、逃げなければ終わらない」という非常にシンプルな気づきを先ほど得てから、なんだか気が楽になった。やらなければならない、という切迫感とは違う。今年は無理だという挑戦放棄とも違う。

「要はやるだけ。Just Do It」

ということだ。何度か今までのEntryでも似たようなことを書いてきたが、辿りつくのはこの解なのだろう。

元から持っている能力だけでは到底MBAにいけないことを、痛いほどわかった。中途半端な努力でもだめなことも分かった。

やりますか、やれるだけ。





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2011年10月7日金曜日

冥福を祈ります

世界のモバイルライフの定義を変え、感動をもたらした偉大なる一人のEntrepreneurがこの世を去った。

Steve Jobs

彼から紡ぎだされる言葉はもはや魔法。聞く者を一瞬にして彼の世界に巻き込む。そんな彼が若くしてこの世を去ったのは残念でならない。

個人的には彼の生き方、考え方には非常に共感するところがあっただけに、これから彼からインスパイアされる名言を聞けなくなってしまうのは悲しい。

彼への哀悼の意を込め、最も好きな、そして最も有名な彼のスピーチをこのブログにかかげたい。



2010年12月31日金曜日

MBA友の会 忘年会

今年5月に開催された、新Candidate壮行会の企画側で参加して以来、付き合いをさせてもらっているMBA友の会(通称:M友)の忘年会を、この度セットする役目をあずかった。

M友はメーリングリストを受信できる一般会員と、その中から何らかの理由でピックアップされるM友運営を務める幹事メンバーという2つに分けられるのだが、自分は後者にお声掛け頂いたため、忘年会の幹事長をつとめた訳だ。

といっても小規模かつフランクな会で、日比谷のHUBで20人ほどで開催する忘年会であった。

いつもの慣れた顔の方から、初参加の方まで、業界で言えばコンサル、金融、製薬、IT、化学等、色々な人がお見えになった。

特に面白い方にお会いし、店を追い出されるまで熱く語り、感銘を受けたので、それを御紹介。

その方は、Kelloggを90年代(確か94年くらいだったと思う)に卒業し、今は50歳手前、偶然にも自分の直属の上司と留学中の同期だったとのことで、話ははずんだ。

今は某自動車メーカーに勤務しているのだが、09年には東京オリンピック招致活動委員会に出向しており、企画・広報エグゼクティブディレクターを務めたとのことだった。

結果的には敗れてしまったのだが、本気で取り組み、無数の貴重な教訓を得たとその方は言っていた。

一つ印象的な話を紹介。

「何ができていたら、東京オリンピック招致が成功していただろうか」

これを同氏はこう説明した。

「人に何かが伝わり、心が動くには、3つの要素があると思う。①正しい動機、②正しいメッセージ、③正しいプレゼンだ。足りなかったのは③だったと言えよう。」と。

曰く、①については、どんなに大きな会社を育てようが、素晴らしいと言われる政策を打とうが、それが自分の利権獲得を目的としていたり、単なる金儲けを目的としていたら、人は本当には動かない。世界の進歩のため、国益のため、誰かを救うため、そんな純粋な動機からしか、真に人の心を動かすアウトプットは生まれない、という意味だった。

②については、動機がきちんとしていても、それを一人の頭の中のイメージだけに閉じ込めておいて、言葉に落とせないと、人には伝わらないとのこと。

③については、言葉にうまく落とせたとしても、人に伝わるプレゼンをしなければ、効果は相当程度薄れてしまうという意味だ。日本人は③が圧倒的に欠落していると同氏は言った。

国会答弁を見ると演壇に置いた資料を棒読みする政治家が蔓延。企業の社長も手もとのカンペないままスピーチできない人がほとんど。容易に理解できる。

しかし同氏によると、カンペを読むのは世界共通で、プレゼンがうまいと言われているアメリカ人でさえ、その多くがカンペを使ってスピーチをするのだという。

下の写真をご覧頂きたい。




おなじみ、オバマ大統領。彼の目線の先にある透明な板が何かご存じだろうか?

「プロンプター」である。

透明の板に文字が浮かび上がる機材で、オバマ大統領は大小20のプロンプターを所有、演壇の足場や聴衆の位置に応じ複数セットして、さも聴衆に語りかけるようにカンペを見ながら、用意した原稿を読んでいるのだという。

昨年IOCのプレゼンで石原都知事がスイスに飛び、オリンピック候補地の代表者が最終プレゼンを行うというイベントがあった。

これに先立ち、同氏はイギリスのサッチャー元首相専任のプレゼン指導者を迎え、石原都知事にみっちり指導、更にプロンプターをかき集め、正しい動機で、正しいメッセージで伝えようとしている、東京で行うオリンピックの意義を、援護射撃しようとした訳であった。

最終的に石原都知事は、自分のスタイル(=紙原稿+自分の言葉)でプレゼンをすることにこだわった。45分のプレゼンを石原都知事含め12人のリレーでつなぎ、全力を尽くしたが、結果は読者の皆さんご存じの通り、無念の敗退となった。

帰りの飛行機で、石原都知事は、ある明言を残した。

「名もなき同胞の奮闘に、男泣きに泣いた。」と。

この日のプレゼンの為に、同氏を始め、実に多くの実務担当者が昼夜問わず走り回った。プレゼンも練りに練った。やれることは全てやった。その集大成が45分のプレゼン。石原都知事も自らがその一部を担った。まさに、東京を愛してやまない有名無名の戦士たちが、彼国で戦ったのである。

石原都知事はその同胞達をたたえ、元作家らしく、一言を残したのだと。

聞けば聞く程そこにはドラマがあり、一つの目標に向かって走っていくプロジェクトが、最高にカッコよく見えたのだった。

また、MBA留学に直接繋がらないかもしれないが、MBAホルダーが海外で戦って身に付けた精神力、知力がこうして日本の発展の一翼を担っていることを、「MBA」をきっかけに集まったこの会を通して知ることができ、改めて留学への強い気持ちに追い風が吹いた一日であった。

なお、この方は今度首相官邸に転職し、6月18日に閣議決定された新成長戦略(経産省発表)の実行実務部隊として、国家の為に働いていくとのことであった。

「この国を本気でよくしていこうというオジサンがちゃんといるんですから、この国もまだまだ捨てたもんじゃありませんよ!」

と意気揚々と語る同氏を見ていて、自分もこうした先人を追いかけ、世界を相手に戦い身に付けた能力を活かして、国家の為に何かしらの貢献ができる人間になりたいと、切に思ったのであった。(右寄りの人間というわけではないですよ 苦笑)

うーん、年を締めくくるには、これくらい熱い話しの方がいいか!

それでは皆様、よいお年を!!

2010年10月22日金曜日

米国東海岸ビジット総括

今回の東海岸ビジットを経て、実に多くの学びと、課題と、反省が得られた。

◆スクールの特徴

まず、各スクールの特徴がはっきりとしていることがわかった。

Top校の在校生と話していて、「まずは受かってから考えるべき。最終的には米国ならTop5のどこかに行ければ、どこの学校でも学びたいことを学べるし、あまり変わらないよ。」と聞くことは今回ビジットを含めて多いが、とはいえ授業のスタイルや集まってくる学生には相当程度違いがあることを実感した。

色んな切り方はあるが、一つ書いてみるなら、こんなのがあるかと思う。


横軸が授業の傾向、縦軸が卒業後輩出する人間の傾向、という軸で切ってみた。

授業がConceptualでLeaderやGeneral managerを輩出することを狙っているのがHBS。その教育システムは、賛否両論あるが少なくとも自分は魅力を感じた。限りなく実務者を求めるMIT、研究者気質を持ったChicago、金融業界の実務者を送り出すWharton、といった様に、自分の中ではこの様にざっくり整理した。

ビジットを通して、行きたいところは見つかった?と聞かれれば、HBSかChicago、というのが現時点での回答。

HBSは最もUncomfortableな環境だったから、逆に成長の場になるだろうと思った。今の会社に貼った時の動機と極めて近い。自分は元来アウトローにガンガン道なき道を切り開くときに一番ドライブがかかる人間。伝統的なCommunityは息苦しいし、前例踏襲なんてクソ喰らえと思って生きてきた。

ただMajorityの考え、EstablishmentされたCommunityの価値観がわからなければ、大きな動きを世の中に仕掛けていくことには限界がある。敢えて対極的な思想で動く人間の中に身を投じることで、彼らの考えがわかり、自分自身も今までにない思考回路を身につけることができるかもしれない。

それでいて、個性を失わずにいれば、その組織に新たな思想を流しこめるかもしれないし、いつかその環境を飛び出しても、Majorityの考えがわかったアウトローとなり、結果世の中を動かせるかもしれない、こう思って今のお堅い企業にいる。

HBSとStanfordを並べると、官僚組織とベンチャーの対立構造が想起されるのではないだろうか。性に合っているのはStanford、対極にあるのはHBSと、自分には整理される。HBSに魅かれるのは、ブートキャンプの様な環境で、徹底的にHBS流思考回路を叩きこまれ、Establishment達のコミュニティへの切符を手に入れることが同時にできるからと思っている。

いつか独立するとしても、Establishment達とのネットワークは必ず生きてくるだろう。そんな意味を込めてHBSが行ける行けないに関わらず、志願レベルが上がった。

次にChicago。理論を理論として学ぶのを追求するに最高の環境と思った。HBSの様な軍人養成所は別だが、MITはほのぼの過ぎて理論の追及がさして感じられないし、Whartonでは証券アナリストかCFAの試験勉強をすれば書いてありそうな数式を学ぶ機会が多そうだし、アカデミックレベルで言えば、Chicagoが一番本気度が高いとの印象であったためだ。

意外とアントレが多いのも魅力。またWhartonがCorporate finance寄りであるのに対し、ChicagoがInvestment寄りであり、ここには大きな違いがある。自分は投資により企業経営を活性化していきたい立ち位置なので、これが合致するのがChicagoではないかと思っている。


◆キャリアパス

日本人在校生との会話の時間の大半をキャリアパスに関する議論に充てただけあって、様々な角度から考える機会を得た。

Wharton在校生とは「外資系×ドメスティックビジネス」「日系×グローバルビジネス」のトレードオフについて議論した。MIT在校生とは、商社とPEのValue Upの違いを、「機能ごと海外に持ち出す商社」と、「特定の地域に集積してきた企業同士を繋げるPE」に分けて議論を展開。Chicagoでは極めつけ、キャリアパスを実現する場として、商社内完結か外資を渡り歩くかを語り、大きなInsightを得た。

ここまで複眼的にキャリアパスを考慮できたのは、まさにビジットで多くのバックグラウンドから集まった在校生と突っ込んだ会話ができたからであり、行動を起こした成果と言える。

商社内でキャリアを形成するのであれば、当然社費を考えるべきで、今回のビジットにより社費の可能性がゼロから2くらいまで上昇したことは意味があったことと言える。


◆「サイドをとる」ことの重要さ

ビジットの前提として、会社を辞めて私費で行くというサイドをとっていたがゆえに、私費の思考回路から会う人を選び、キャリアについてリスクリターンについて考えた。会社を辞めるという覚悟を定めたから、今いる会社がとてつもなく別れ惜しい会社に見えるようになった。

サイドをとることによって、見える視点が切り替わるし、話す内容も変わってくる。サイドを取ると、同じくサイドを取った人から突っ込んだ話を聞ける。逆サイドの人からは、逆サイドに引き込むようなロジックで言葉を投げかけられる。彼らのロジックに耳を傾けると、なるほど一理ある。

こうした議論はサイドをとらずして起こり得ない。「社費私費どちらも考えている」と曖昧なスタンスでいると、話す内容も一般論を超えず、相手も議論に乗ってくれない。PEという指定をしなければ、Value Upをキーワードを口にしなければ、今回ビジットでできたような発見はなかっただろう。

今自分がとっているサイドがあるから、全て見つかったのだと思う。サイドをとることも重要だし、サイドを取ってみたら、そのサイドが好ましくないことがリアルにわかるかもしれない。その時は逆サイドに修正すればいい。ただサイドを真に決めていないうちは、逆サイドに修正できる道を残しておくべき。何事も意思決定のプロセスにあたっては、情報収集→分析→決断というプロセスがあるもので、サイドを取るというのは、情報収集→分析までは修正できるが、決断→実行としてしまうと修正できなくなることが多い。

サイドを取って情報収集→分析まで行い、最後に覚悟を持って決断すればよいのである。決断までの時間にサイドを取ったがゆえに得られた突っ込んだ情報とその分析を重ねて、真に進むべき道を自分なりに定めたい。


◆英語力

これは相当痛感した。「サイドを取る」にも繋がるが、1年半後にその場にいて、授業で発言をすることをリアルに想定したところ、全く自分が授業についていけないレベルだと思い知らされた。ものすごいスピードで議論が展開していくのを、聞いて、考えて、すぐに発言に変換しなければならない。

日本での勉強姿勢が甘かったことを如実に感じ、TOEFLテストも何やら言い訳をつけて受けていないのも情けなく思われた。

早速TOEFLを受けるが、それ以外にも、英語で会話をする機会を作り出さなければ、テストは何とかいったとしても、留学実現後に得られるものに雲泥の差が出てくるはず。今から留学中を見据えた英語力訓練を考慮しなければならない。


◆最後に

ということで、ビジットレポートの総括としては、「さらに加速して、キャリアパスを煮詰め、スコアを取り、英語コミュニケーションの機会を増やす」ことを今後推進していく、という一言に括られるだろう。

変な憧れや、MBAインフレみたいなものは終息した今、残っているのは受験プロセスといういばらの道、英語圏での戦いに備えた訓練、キャリアパスという壮大な課題だ。これら一つ一つに妥協せずに取り組んでいくことのみであるので、抜かりなく取り組んでいきたい。

最後に、ここで書くことで直接的には届かないこと承知の上だが、この場を借りてお世話になった日本人在校生と日本の諸先輩方に厚くお礼申しあげる。



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2010年10月1日金曜日

刻む

今日総合商社(他社)の友人と飲んだ。

数々の刺激的な話題が出た中で、印象的だった話をいくつか。

・自分の将来に責任をとってくれる人は他に誰もいない、自分だけである
・自分の置かれている環境ありきで、その環境の延長線上にある未来だけを考えてはいけない
・「ものさし」の大きさは、意識的に大きくしていかなければ、大きくならない。そのものさしが大きければ、大きなものごとを動かす力を得られる
・地頭の良さは少数の天才を除き、おおよそ一緒。頭を使い鍛錬していく意志があるかないかで、将来に歴然とした差が出てくる

それぞれのトピックについて詳しく書きたいところだが、箇条書きに留めておく。

MBAへの道を志している自分には、響く話が多かった。自分の責任で未来を考えた結果、今の環境に縛られることなく道を創り上げていくべきだと思い、MBA受験の決意をした。

ただ走り出す前から、特段優れた学歴を持たない自分が、果たしてハードルを越えるに値する脳味噌があるかと自問し、最後には「積み上げた努力が証明するだろう」と腹を決め、地道に頭を鍛錬し合格を目指している。

こんな状況の自分にとって、今日の話は響いた。今週末からもうビジット。きっとエキサイティングすぎて、えらいテンションが上がると思う。その中で、精神論だけでなく、具体論からもMBA留学実現に向けたステップを踏んで行こうと、改めて思った次第。

2010年8月20日金曜日

8/14 Stanford GSB 説明会@六本木

やはり、Stanford GSBは、してやってくれた。

MBA留学を志すきっかけをくれたのも、Stanford GSBだった。

この日は改めて、MBA留学、そして特にStanford GSBへ行きたいという気持ちに火をつけてくれた。

まず説明会の始まりは、Steve Jobsの伝説のスピーチの抜粋からであった。



いくつかのMBA説明会に足を運んだが、Stanford GSBの説明会の独特な雰囲気は他のそれにはないものだった。

変化と進化を真に求めている。CompetitiveとCorperativeが融合された校風を持っている。アカデミックな部分にきちんと重きを置いている。そして、シリコンバレーとのアクセスが豊富で起業家を輩出するメッカである。

これらは、こうして書いてみるとその重みが伝わりきらないかもしれないが、説明会に出たことで、肌から伝わってきた。

特に、多くのスクールでDiversityの重要性が叫ばれているが、これらは通常、円グラフで国籍別、性別、 前職業種別などに分類することをもって説明されているのがほとんどだ。

GSBでは、勿論そういったデータはあるが、それに触れず、それぞれのパーソナリティ、価値観、過去の経験含めどんな人間として成り立っているのか、といった視点におけるDiversityを軸としている様に感じた。そのDiversityを追求した結果、国籍も前職業種も異なっているだけであって、始めから意図的にDiversityありきで人を選んでいないようにも受け取れた。(テクニカルには、アドミッションでDivercityを意図的にコントロールしているだろうが、ここでは本質論の意味で言っている。)

また、留学中の2年間を通して、CompletelyにTansformすると言っていた。これも多くのスクールで語られるがGSBでは、特にEntrepreneurialなMind setや、思いついたBusiness ideaを近くの学生とLaunchしやすい環境があることから行動を起こしやすい人間になる、という意味でTransformするのだと理解した。

最後に、Alumniとの交流タイムがあったが、ここでは面白い人たちと出会った。

まず、Alumni。 おなじみTEDにおける、TED Tokyoの設立者と出会った。彼は在学中にSocial businessの会社を起こし、その後Social businessを支援するNPOであるAshokaに移籍、現在は日本でTED Tokyoの設立者として従事している。

交流タイムはずっと彼と話していたが、流石Entrepreneurとあって、話は興味深かった。

日本はTeamworkを重視し、Hard workを厭わず、Outputの能力が優れている。しかし、リスク回避志向が極端に強く、失敗に対して許容度が低い。そのせいで、組織にリスクをAllocateしようとする働きや、前例に倣ったまわりくどいプロセスが必要となり、素直にやりたいことができず、動きがSlowになる。これがどこでも起きているため、日本経済全体がSlowになっている、と彼は指摘していた。

だが、日本にもリスクを取って自らの事業を思い通りに実行している人間はいて、そういう人間と繋がること、またその考えを理解しうる人を集めて価値観を共有することが大事だと言っていた。TED Talkstが日本でも収録される日があり、またSocial Entrepreneurが集う会らしきものがあるようで、こういうものに声を掛けるよ、と言い名刺交換をしてくれた。

彼との刺激的な会話の後には、15分ほどこの会話を共にしていたアプリカントと名刺交換をした。
この際、経済産業省の方(国費で今年中に受験をするステータス)と話し たが、これまた刺激的で、役所にいる方とは思えない程、Entrepreneurialな発想に対してAcceptableであった。

その心を尋ねたところ、こう答えが返ってきた。

日本経済をSlowにしているのは、変化に対し拒絶的な日本の体質が問題である、と。日本経済を動かす企業を束ね、日本国としての多様なプロジェクトを纏めていくにあたり、新しいものに挑戦しようとすればするほどリスクが発生する。Stanfordの様な場所で、いかにリスクのある挑戦に人を巻き込み実現させていくかが学べれば、そのプロセスを日本に持ち帰り、保守的なプレイヤーをもっと納得感をもって動かせるようになる、と。

なるほど、Entrepreneurからは程遠い政府機関であっても、こうした観点を得るためにB-Schoolに来るのか、と感心しながら話を伺った。

この後も意気投合し、帰りの電車の中でも、経産省が6月18日に発表した新成長戦略についての話題があり、日本がインフラをパッケージにして輸出することについて、自分からは日本企業のみにこだわるのでなく、例えば韓国も巻き込み、プロジェクト自体の質が上がれば良しとする発想を持つべきだ、と提案したりと、あっという間に時間が過ぎた。

School、Alumni、そこを目指すApplicant、やはり何かを自ら企てる人は、集まるところに集まってくるのだと再確認し、経産省の方との時間を後にした。

こうした有意義な時間を通して、MBA留学を志して良かったと思うとともに、ここへ行くために勉強に励もうというモチベーションが高まった。

このプロセス一つ一つが大事なのだ。この積み重ねが1年後の受験で結実するよう、地道に勉強し英語力を高めていこう。

2010年7月24日土曜日

純バカと準バカが世界を変える

世の中には2つのバカがいると思う。

純バカと準バカ。

純バカは純粋なバカで、いわゆる「イっちゃってるヤツ」である。
誰も思いつかないことを信じてやまず、実行に移してしまう。周りから止められていることすら気づかないこともある。
本人は純粋にアドレナリンが出すぎて、楽しくてやめられないだけだ。

次に、準バカ。この人種は基本的に常識人であり、普段は全く変哲のない世界の住人だ。
しかし誰かバカなやつを見ると、ついつい自分も楽しくなって加わってしまい、結果的にバカなことをできてしまうタイプである。

この2つのバカ以外は、一般人であり、バカなやつを見ると「バカだなぁ」と言って批判してみたり、傍観しているのが通常。

だが、戦時中の日本やドイツに見られるように世界が熱狂して、熱狂している状態が常識になったりすると、バカになるのが普通であると認識し、バカの集団を形成するのである。

得てして起こりうる順序としては、以下だ。

1.純バカが全くもってぶっ飛んだことを始める
2.準バカが純バカを見てインスパイアされ加わり、集団バカを形成する
3.さらに準バカが集結し、もはやバカが普通となり、一般人もバカに加わり、ムーブメントが起こる

人間の集団心理とは、そんなものではないかと思っている。
そんな折、おなじみTEDで面白いネタを見つけた。

それがこれ。





3分間の映像とトークで、人間の集団心理を刻銘に描写しており、笑い半分ながらに感心した。

自分はどの部類の人間かというと、専ら純バカである。

・東京から富士山まで人力(チャリ+徒歩)で往復しようと仲間たちを募り、実行した。
・学生時代の最後に「全国の学生が、学生自身の手で卒業式をつくろう!」と仲間を集め、全国5都市、延べ1000人以上の規模で卒業式を開催した。
・大晦日の日のダイビング中に空気が詰まり瀕死状態になったが、New yearを迎える瞬間のナイトダイブをどうしてもやりたくて、無理やりダイブした。

だって、しょうがないんだもん、やりたくなってしまうんだからさ(笑)

バカは死んでも治らない。死ぬまでバカなのである。

 しかし、時にはバカが世の中に必要なときだってある。
確立されすぎた集団、例えば日本社会という洗練されすぎて、ルールと権力にしばられた巣窟かもしれない。

バカでもいいから、ストレートにこの国を憂い、天下国家を語り、国のあるべき姿を説いていく。
仕事上がりの飲み屋でそんなことを話したら、旅行でドライブ中の仲間たちに話したら、大抵は「バカじゃねぇのかこいつ、空気が読めないのかよ。」と思われるかもしれない。

ただ、こうしたバカが現れたときに、「たしかに、お前の言っていることは一理ある」と誰かが言えば、その空気は一瞬にして変わる。この時、周りにいる人たちは、「この会話をバカと言ったら、自分が空気が読めないやつになるだろう。」と察知する。この瞬間、当初バカだと思われたやつの発言は、重みのある言葉に変わるのだ。TEDの動画で言う、臨界点なのだろう。一人の人間が放った言葉は変わらない。変わったのは、周囲の人間という集団の「風向き」である。この風向きを変える風見鶏が「準バカ」なのだ。

自分は専らの純バカだ。最近目指す先への努力を重ねているから、目立ったバカはしていないが、根っこは変わらない。だから純バカで居続けると思う。

見えていなかった存在は「準バカ」だ。感覚的には、掴んでいたと思う。いつも自分がバカなことを思いついたら、まずは信頼できる仲間、一緒にバカやってくれそうな仲間を口説くことから始めた。

一緒にとことんバカをやってくれる仲間が集まった。濃すぎる思い出がいくつもできた。一緒にいた期間の長さなんて関係ない。一緒に過ごした時間の密度が、途切れない絆を作ってくれた。

だから、今でも、これからもその絆は消えないと思っている。

ふと、TEDの動画を見ていて、先陣切って踊っているやつみたいに、バカやっていないなーと思い、「また久々にバカやりてぇな!」なんてぼやいたりしたが、それ以上に、自分みたいに純バカが先陣切ってバカやった時に、初期から一緒になってバカやってくれる「準バカ」の存在が、いかにありがたいものだったかを気付かされた。

自分の中で、MBAの準備期間は将来に大きな飛躍をするための、しゃがみこむ時間だと思っている。2年後に飛び跳ねるときは、日本というコミュニティにとどまらず、世界中から集まったやつのなかで、そして米国という異国の地で、思い切りバカをやるはずである。

その時には、準バカの存在をより大事にして、仲間たちとムーブメントを作っていくことをより意識して物事に取り組みたいものだと思った。

バカな動画から、なんだか熱いトークになってしまったが、まぁたまにはこんなのもいいだろう。

2010年6月28日月曜日

守るべきもの

ついこの前、とあるアーティスト(歌手)と飲んだ。彼はメジャーデビューを目指して曲作りをしている。

積もる話を色々としていた。この人 と飲むと決まって、女の話半分、将来どうやってびBIGなやつになるか野望の語りが半分、といったところだ。今後のライフプランの話になった。

コ ロンビアでの半年間の生活を経て、もっと日本人が世界に開かれた人になっていかないとこの国は世界にビハインドしてしまうという危機感を抱いたこと、自身 に翻って、世界で戦える人材になるべくMBA留学を決意したことを話した。そして、今務勤めている文句の付けようのない程「良い会社」を辞めようとしてい ることを話した。これに加え、こんな安定的な会社を辞めるようなリスキー(と世間一般からは思われる)な男では女を幸せにできそうにないので、しばらく彼 女はいらないと話した。

「今は独り身だし、リスクを取っても失うもの、守る人がいない。だから今のうちに走れるだけ走っておきたい。」

彼 はこう切り返した。

「それって逆じゃね?守る人がいるから走れるし、走らなきゃいけないんじゃないの?いつ、どこで人生のパートナーと出 会えるかわからないだから、そのチャンス大事にしようぜ。もちろんMBA留学の準備は大変だろうから、その合間の時間では大変かもしれないけど、それを理 解してくれる人であれば一緒にいた方がもっと頑張れると思うけどな。」

なるほど、この考えはなかった。

とはいっても、今 は彼女がいるわけでも、特定の彼女候補がいるわけでもない。

これまでのマインドでは、MBA留学準備中は、たとえどんなにいい女が現れて も、これに取り合わない、というのが基本であった。
これを境に、MBA準備の支障をきたすほど女を追いかけないながらも、いい女がいれば普通に付 き合えばいい、と思う転換となった。

自分の生き方も重要だが、将来の伴侶選びは、人生の半分を一緒に過ごす相手を選ぶことになるから、直 結的に自分の将来に影響する要因になるし極めて大事だ、と上司が言っていた。

MBA留学のブログにこんな私的な話を書いてすんません。昨 日は友人の結婚式がすごく良かったので、思わずつらつらと書いてしまった次第。
女性の読者がいたら、極めて男性脳の持ち主である僕をご容赦あれ。