2015年夏(Class of 2017)からの米国MBA留学を目指す、某仕事人の軌跡
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2014年2月7日金曜日

0(zero)

来週2月15日にTOEFL復帰後一発目のテストを受けるので、本来この時間はテスト勉強に専念しなければならないが、どうしても書き留めたいほどの閃光が走ったので、投稿したい。

突然、

「0(zero)」

が頭をよぎった。




社費試験を通ってから、会社の人事部関係者から事あるたびに

「どこに行きたいんだ?」

と聞かれ、自身が金融畑の出身であることを踏まえて

「Financeという意味ではWhartonですかねぇ、いや、InvestmentではChicagoもいいと思います。ただ、PEファンドが多いという観点からはBostonも外せず、その意味では・・・」

と、まず金融に強いスクールから名前を挙げつつ、腹の底ではどこか徒手空拳に近い感情が入交り、何かが違う、これは心から湧き出ている声ではない、とどこかで思っていた。

この数年間、どれだけ志望校のことを考えても、TOEFL・GMATのスコアが出なければ、土俵にも立てないことは身に沁みてわかっていたので、その煮え切らない感情を抑えながら、日々勉強に打ち込んでいた。

今日、仕事の関係で参加していた3日間の社外缶詰研修(新任人事部員向けの研修)が終わり、最後に講師から一言あった。

「これまで3日間、人事制度や人事周りの基礎について、講義をしてきました。運用の課題や最近のトレンドは敢えてあまり語らず、諸制度がどういった成り立ちで、どんな精神のもと構築されてきたのか、時代に流されないことを中心に話してきました。これから皆さんは人事の仕事に深くかかわっていくことになると思いますが、常に原点に立ち返り、なぜそういう仕組みになっているのか、なぜそうしなければならないのか、考えながら働いていただけたらと思います。」

この一言がきっかけで、なぜ最近志望校の話になると口ごもってしまうのか、本当に自分が行きたいところはどこなのか、ぼんやり考えながら家路へついた。

本当に行きたいところはどこか。。。

考えてみた。

だが、考える前から、答えが出ていることも、同時にわかっていた。


Stanford


自分の心に正直に従ってみると、ここ以外に思い浮かぶところはなかった。

それを、ドリームスクールだから受かる可能性低いし、落ちたときに恥ずかしくない様、「Stanford行けたらいいですねぇ、でもやはり自分の実務との関連性の観点からは・・・」なんて言いながら、ごまかしてきた。

でも、入れるとか入れないとか、勉強についていけそうだとかついていけなさそうだとか、考慮せず、純粋に自分の心が向かう先を素直に言葉にしてみると、Stanfordしか出てこなかったのだ。

なぜだろう。

帰りの電車の中で、肩ひじ張ることなく、自分の心から湧いてくる声を、ひたすら携帯に文字として打ち込んでいった。

すると、一つの答えらしきものに行きついた。

0(zero)

原点である。

Stanfordは、限りなくゼロに近いというか、ゼロの中にある場所であり、そこに身を投じたいがため、行きたい。それが理由なのだろうと思った。

どういう意味か、説明したい。

シリコンバレー、そこに隣接するStanfordには、アントレプレナーシップ溢れた人間達が集積し、その名の通り、日夜イノベーションを生み出している。

世間一般では、ここ一帯がベンチャー企業を量産するエリアだと捉えられているだろう。数多たるベンチャー企業が生まれているのは事実で、統計的な裏付けはないものの企業のライフサイクルも他のエリアに比較し圧倒的に短いはずだ。

そんな場所に行きたいと誰かに言えば、こんな返事があるはずだ。

「そうか、君はスタートアップや、新規ビジネスの創出に興味があるのか。」

だが自分には、"Partially yes"としか答えられないと思った。

なぜなら、シリコンバレー一体で起こっていることは、目新しい何かを生み出すことだけではないと考えるからだ。

そこでは、原点に立ち返り、全ての前提や思考の制約を取り払い、世には何が必要か、何があったらより面白い世界になっていくか、そのために何をすべきかを、核心に迫り、命綱なしでロジックを構築しなおす、だめならすぐ壊して、また構築し直す、そういったループが無限に起きているのではないか。

シリコンバレーの住人たちが真に追い求めているのは、表面的な目新しさではなく、0から1を構築することであり、その結果、

①既存の考え方や手法が最も前衛的であることが証明されることもあれば、
②既存の考え方や手法にスパイスが加わって姿が変わることもあれば、
③全く新しい概念が創出されることもあり、

それらのうちたまたま③がインパクトが大きく、センセーショナルであるから、そればかりのイメージが先行し、「シリコンバレーは新しい何かが生まれる場所」と表現されてしまうのだろう。

だが、③はあくまで0から1を生み出したいくつかの結果の一部にしか過ぎず、①②だって重要なアウトプットの一つなのである。

つらつらと書いているが、何が言いたいかというと、今の自分は、①②③のどの結果が生まれるのかなんてものは気にせずに、ひたすらゼロにこだわり、一切の思考の制約なく、ゼロを追求していきたい、そしてそこで鍛えたマインドを持って、卒業後のビジネス・諸活動に生かしていきたい、それを可能にしてくれるZONEがシリコンバレー一帯、即ちStanfordを求めているということなのである。

そんな考えが、筆者の頭を揺さぶったのだ。

これを説明するには、筆者の幼少期まで遡らなければならない。

10歳頃のことだ。

筆者が通っていた公立の小学校に、新しい担任の先生が就いた。彼は脱サラした当時30代前半の男性教師で、社会の厳しさを会社で学んだあとに、自分の天職は教師だと思ったのであろう、リスクを取って全く違う教育の世界に飛び込んできた。

小柄で、天然パーマ。人懐っこい性格で、熱血。人により好き嫌いは当然あったが、筆者はすぐにその担任を頼もしく思うようになった。

ある日、事件が起きた。

先生が何度注意をしても、給食の後片付け当番が自分の役割を全うしない(皿、スープが入ったバケツなどを片づけない)者がおり、ついに激怒した先生は、その状況が改善されるための案が提示されるまで、授業はしないと怒鳴って教室を出て、職員室に籠ってしまったのだ。

始めは、水を打ったかのような静けさが教室を包んだ。次第に、「さっきすごかったね」と恐る恐る話し出す者、「あんなに怒鳴っちゃってさ!」と茶化す者が出始め、クラスはざわついた。1時間もすれば帰ってくるだろうと生徒たちは思い、緊張感のない時間が広がり始めた。

しかし、2時間、3時間たっても帰ってこない。ついにホームルームの時間になってしまった。

さすがに何人か、まずいと感じ始める。自分もその一人だった。解決策はないが、まずは先生に謝りにいこう、緊張しながら、自分含む何人かで先生のもとへ。

謝った。

「で、どうするの?」

と一言。答えはない。

「じゃあ、明日も授業はやらない、帰ってくれ。俺はクビになってでも、この問題が解決されるまで、授業はしない。」

本当に授業をしてくれなかった。

翌日、小学生ながらにも、本気の議論が始まった。

まず、犯人捜し。誰のせいだ。あいつか、こいつか、出てこい。いや、お前だ。
こんな調子で、責任の擦り付け合いが始まる。

何も解決しない。

ようやく本質的な議論へ。

「何が悪かったのか。原因は何か。」

「○○が当番を忘れるから。」

いや、そんな議論ではない。それではさっきの責任のなすりつけあいと同じだ。

さんざん議論したところで、筆者は提案した。

「まず、今までは、皿なら皿、バケツならバケツと、仕事が個人に割り当てられていて、誰かが忘れたら、そのモノは忘れられて終わりだった。人の動きを見る、つまり当番の人がきちんと片づけるように給食を食べ始める前に本人に知らせ、食べ終わる頃に持ち場に立たせ、きちんと片づけたことを確認する人を置けばいいのではないか。」

つまり、タスクの処理責任が個人に任されていたところを、管理責任者を置くことで、人の動きをマネジメントする仕組みを発案したのだ。

考えれば誰でも思いつくし、経営学の視点からすればごく原始的なマネジメント手法として説明されるこの仕組みではあるが、一切の知識がない当時の子供たちにとってはとんでもないBreakthroughであった。すぐに先生にこれを説明しにいった。

先生は静かに

「よし、わかった。今日からこれでいこう、授業再開だ。」

と言い、帰ってきてくれた。

その後、運用はうまくいった。

小学校を卒業してから久々に母校に帰り先生と思い出話に花を咲かせていたときに

「そういえば(筆者)君があの時発明してくれた後片付けのシステムは、今も引き継がれているよ」

という話をもらった。

他愛もない話だが、子ども心ながらにこの時、問題の根源(ゼロ)を特定し、それを解決するためのアイデアを、頭を振り絞って考え出すことが、結果的に生み出されたアイデアが世間一般でいう既存/新規どちらであったとしても、重要なことなのだと心得たのだと思う。

それからの短い人生を振り返っても、自身のターニングポイントとなった強烈な経験があるたびに、「本質とは何か、最終目的とは何か、真の原因は何か」にふと原点に立ち返ったり、それを考え抜くことが多かったように思う。

インドでバックパッカーの旅をしていたある日、リキシャー(サイクル人力車)に乗った若い兄貴が、「ジャパニーズ、そこどきな!」と勝ち気な笑みを浮かべながら筆者と目が合ったとき、受けた衝撃。自分の仕事に全身全霊をつくしているのだろう、覇気に満ちていて、経済的な尺度では表せない、プロフェッショナリズムを感じたあの日。今でも、真に自分の求める仕事をするには、あの目をしていることが必要だと、自分の基準になっている。

金融畑で仕事をしていた頃、所属していた部の合宿で、当時の部の事業戦略を考えるというお題が何の制約もなく与えられた。自分のチームでは、筆者は先輩のメンツを気にすることなく、そもそも自分たちのビジネスのドメインは、今のとらえ方でよいのか、わが社の間尺で考えるなら、こういう定義で、ここまで目指し、その時間軸は、よくある2~3年の軸なんかじゃなく、10年単位で考えるべきだ、と、こんな議論を展開し、出来たのが、数兆円にも上る規模のビジネスの青写真。誰もが「合宿らしい壮大なプランが出来たな」と皮肉ったが、その後、これを面白いと思った部長が事業部の役員まで持って行ったところ、目に留まり、なんと略そのまま社長まで上がり、事業部の中期経営計画の骨子として社外に公表されるに至った(勿論筆者だけの力だけではないが、構想レベルでは間違いなく筆者の実績)。

個人の活動においては、自分が受けてきた教育に問題意識を持った。学校で勉強や部活に没頭した先に、どんな未来が待っているのか、親も、先生も、テレビも教えてくれない。核家族化が進み子どもと社会の接点が薄れた中で、生き様や職業観を感じられずに、教科の中での教育に囚われた学生たちは、テクニックの修得に走り、或いは勉強自体を放棄し、本質的な学ぶ意味を理解しないまま、就職活動というエスカレーターによって社会に放り出される。これではまずい。もっと早く、多様な生き方があることを知り、将来どんな選択肢があるのか、又は創り出せそうか、考え、学ぶ動機を内発し、自分の手で自分の未来を作り出せる子どもたちを増やしたい。そんな想いと、仲間と、ネットをごく自然に使うアイデアが組み合わさり、自分の価値観をWeb上でインプットすると、自分の趣味や価値観が近い大人が検索されるWebサービスをつくろうという着想を得て、仕込を続けた結果、更なる仲間、資金などに恵まれ、NPO法人を立ち上げ、サービスをローンチするにまで至った。

どれも共通して、既存の枠組みに疑問を覚え、ゼロという釘をそこに打ち込んだ結果、それに一石を投じるような変化が起きたことをは確かで、それは、全く新しかったかと言えばそうかもしれないし、既存の流れにドライブがかかったと言えばそうなのかもしれない。

一方で、会社は長い歴史の中で仕組みがある程度出来上がっているため、どうしても既存のフレームや前例を踏襲したワークスタイルが定着している環境下、一人だけ振り切った考え方で仕事をするのは憚られる。教育のフィールドについても、産業自体の硬直性が高く、入り込めば入り込むほど、思考の幅が小さくなっていくように思えてくる。

0を大事にしている自分を解き放ちきれず、知らず知らずのうちに閉塞感に包まれているのが現状なのだと思う。

0のZONE(Stanford)でやりたいこと、それは、思いきりゼロの世界にのめり込んで、「ありとあらゆる0から1が生み出される(た)瞬間に触れること」だ。

勿論、経営学としての知識やフレームワークは学業として勉強する。金融出身の者がいれば、どんなアセットが今面白いのか、どういうファンド運営が投資家に響くのかといった、ビジネス動向は聞き取る。

だが、0のZONEに身を投じるからには、0から1を生み出そうと、必死に0をさまよっている人、0から1を生み出した人(結果が既存のものだったか、全く新しいものだったか問わない)と同じ空気を吸い、彼らの生の興奮に触れ、言葉を超越した想いに魂を震わせることに重きを置き、一切の思考の制約なく受け止めてきたい。

それを通して、卒業後にやれることが3つあるのではないかと思う。

①金融畑での仕事を通して、日本の眠れる金融資産を経済に開放すること
②NPO法人の活動を通して、子どもたちの将来設計の可能性をMaximizeすること
③働きながら社会を変えるワークスタイルを普及すること

<①について>
あまり具体的に書いてしまうと身元がバレれしまいそうなので、敢えてぼかして書くが、現在自分がいる金融畑では、日本の眠れる金融資産がより生きた形で経済に流れ、資金を受けるべき者に届き、その受け手がその金、即ちSource(バランスシートの右側)を適切なResource(バランスシートの左側)に変え、事業を行い、価値に裏付けられた超過利潤を投資家に分配する一連の流れをコーディネートするビジネスを行っている。

商社が取り組む意義としては、これまで金融資産として馴染まなかった、実物性の高い資産にも投資対象を広げていくことから、これからこのビジネスを拡大していくにあたり、「本当にそんなものに投資できるのか?」という疑念に耐えながら、0から1を生み出すようなビジネスを仕掛けていくことになる。

また、眠れる金融資産を預かる日本の金庫の扉は堅く、その金融資産を世に開放するには、金庫番たちの考え方の根本を変えてもらいがら物事を進めていかなければならない。これも同じく、0から1を生み出すと同じに等しい努力が必要となるであろう。

その観点からすれば、まさに卒業後にも0の経験が役立つと考えられる。

<②について>
活動を始めて間もなく3年ほど経つが、日本の教育システムそのものが硬直化していて、誰も動かすに動かせない状況になっているのではないかと肌で感じている。革命的な力で揺さぶるべきなのか、「ゼロの釘」をどこかに打ち込んで、部分的に変化を起こしていくべきなのか、今はまだわからない。

しかし、少なくとも、今持っているサービスのタネ(まだ始まったばかりのサービスなので、「タネ」と表現した)を膨らませることで教育産業に一石を投じることは可能であり、その観点からは、IT・Techの総本山であるシリコンバレーに身を投じることは十分Make senseする。在学中にエンジニアと意見交換をしたり、いっそのこと支部を設立し、エンジニアを巻き込み、開発を進めてしまい、帰国後は東京・米国の2拠点体制で事業にドライブをかけていくことだってできる。その点、ポテンシャルは相当高い。

<③について>
今は仕事とNPOの二足の草鞋を履く状態となっており、これが本当によい形なのかは結論が出ていないが、一方で全く異なる2つのフィールドで、それぞれの問題意識に基づき、動き、社会を変えていくことは大変面白いことであると思う。

特に教育の世界に足を踏み入れて分かったことは、教育産業は、とにかく、金がない。儲からない、即ちここに身を投じると、生活が成り立たない(少々大げさだが、確実に言えることは、生活的にもだいぶ厳しくなるということだ)。そのため、パッションだけで教育業界に身を投じることもできるのかもしれないが、結局はもうからずにやろうとすることが小さく収まってしまったり、金を稼ぐために本来の目的を見失った事業に走ってしまうリスクもあり、理念を貫くためには、仕事を続けて生活を担保しながら、NPOの活動をすることでバランスが取れるという考え方も成立する様な気もしている。

ただ、ここは、マネタイズが成立するまでのブリッジ期間であるとも考えられ、マネタイズが出来たときには、金融か教育か、真に自分を投じるフィールドはどちらか、決断する時が来るのかもしれない。もしくは、「選択と集中」というビジネスの格言に敢えて反旗を翻し、仕事では金融を、NPOでは教育を変えるという、2つのゴールを同時に追求するという道を切り開くのも、面白きことなのかもしれない。

こういった点まで含めて、0のZONEで心行くまで考え抜いてきたいと思う。


MBAでやるべきことは、時間と共に薄れていく上滑った知識・フレームワークを得るためでもなく、業界が変われば途切れてしまう見せかけの人脈でもなく、目先の転職に結び付きそうなインターンシップでもなく、次の10年20年を見据え、Leapできるために、感覚を解き放ち、思考の制約を取り払い、ありとあらゆるものを吸収し、出せるものは全部出し切る、そんなことなのだと思う。

その観点からすると、どんなことだって寛大に受け止めてくれる、西海岸に次の成長の地を求めた方がよいのではないか、そんなことを思った次第である。

まだまだ荒削りだが、今日書かずにはいられない内容であったので、こうして記しておくことにする。



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2013年9月8日日曜日

迷走

近況を一言で表すと、こうなるだろう。

「迷走」

言い訳の様な書きぶりも一部入ってくるが、それも事実であるので、自分の頭の整理のためにも、つらつらと近況を書いてみたい。

まず、5月まで。アフィアンスのブートキャンプ期間を3月に終え、それから2カ月はクラスの卒業生とほぼ毎週コンスタントに集まり、GW含めてかなりIntensiveに勉強していた。平日も、業務が落ち着いていたこともあり朝2時間程度勉強時間を確保できていた。

変化は6月頃から。NPOの活動が、週末の相当部分を占めるようになってきた。そもそもこのブログではMBA以外の話は基本書かないつもりだったが、そろそろNPOの活動がキャリア形成にも影響しうる存在になってきたので、軽く言及したい。

NPOはキャリア教育をテーマにしている。元は共同代表である自分と、もう一人の共同代表が、2年半ほど前にある問題意識を持った。

「なぜ勉強や部活をするのか、自分が大学に入る前に誰も教えてくれなかった。その割に、いい大学へ行け、いい会社に入れ、と、手法ばかり押し付けてくる。そうではなく、ありのままに生きる大人をもっと若者へ見せ、いろんな生き方があること、そこに意外と学校で学んできたことが何らかの形で繋がっていることを見せたい。そうして将来に希望を持ち能動的に動く若者を増やしたい」

それから、次世代の若者、特にキャリア形成の大きな分かれ道となる大学への入学の前の中高生にターゲットを絞り、講演や自前のWebサイトを用いて、多様な大人の生き方を見せるというNPOを立ち上げ、活動をしてきた。

話を本線に戻す。そのNPOが2年間のインキュベーション期間を経て、ようやく表にサービスを出すフェーズに至り、またメディアに取り上げられたことなどもあり、一気に引き合いが増加、それまで任意団体でやっていたものをNPO法人化するなど、急速な勢いで成長したのが6~8月。

メンバーは皆平日企業や公的機関で働いており、週末のボランティアでやっているため、誰か一人にタスクが集中しないように努めていたが、どうしても立場上自分がやらなければならない部分もあり、あれよあれよと週末の時間がそちらに振り向けられるようになった。

同じく6月以降、1年限定の任期で着任した現在の仕事(あまり具体的なことは書けないが、経営の中枢に近い仕事)の佳境を迎えていたこともあり、連日残業や関係者との宴席の毎日を過ごし、勉強の時間的コミットが目に見えて減っていった。

当然その状況においては、勉強の効率が下がるどころか、かろうじて勉強に時間を充てても身が入らない様になっていったのは自覚もしていた。一方、アフィアンスを同時期に卒業した仲間たちが続々とGMATを受験し、700点以上をたたき出して終了したり、そこまで届かずも高得点を出して前進する姿を見るたび、自身の非力さをただただ痛感するばかりだった。

その状況に際どい話が舞い込んできた。

現在の職務終了後の異動先の話だ。MBA受験も考えると、あまりコロコロ仕事を変えず、もといた金融部隊の部署に戻り、粛々と今年の秋冬に私費前提で受験をしようと思い、出身母体の上席に相談しにいった矢先、思いもよらぬポジションが通達された。

10月から人事部。

金融の仕事を一年だけ休憩するのは、現在の部署で新しい刺激が得られることも考慮すると、やむなしと思っていたが、また新しい仕事(現在の仕事も人事的な要素もある)がオファーされた形になった。

しかも、よく知っている上席だったこともあり、もう本音でぶつかってしまえと思い、MBA留学を実現するためなら会社を退職することも辞さない、というスタンスを当初出していたのだが、「そこまでいうのなら、十分君の想いは考慮する。だから辞めるとかいうな。社費で行け。」と、公平な社費制度の中においても、筆者の想いが反映されるかのようなグレーな発言もあり、ますます際どい状況になった。

正直戸惑った。会社を辞める覚悟はあるものの、提示されたグレーな社費留学の可能性と全く新しい業務。私費前提なら、今年の秋冬には出願し、受かれば2014年夏からの留学が実現。ただし社費の場合、2015年夏からのサイクルになってしまい、また一歩遠のいてしまう。

聞くにこれまで自分が社費に2回チャレンジし、落ちた理由は英語のSpeaking力とWriting力の不足感とのこと。以前のEntryにも書いた通り、社費の有無はあまり関係ないが、前述の様な餌をちらつかされ、今停滞しながらも勉強している時間を、社費試験をパスすべくSpeakingとWritingに振り向けるべきか、それともそんな餌には惑わされずひたすらGMATのハイスコアを狙い、私費前提で突っ走るか、躊躇った。

更にこの迷いに重なってきたのは、NPO法人だ。現在の仕事とは全く関係ない分野だが、ここに強い問題意識を持っており、当初は週末だけの活動としてきたが、実は本業にしてもいいのではないかという考えを持つようになってきた。一緒にやっている仲間はビジョンの共有・能力の観点から最高で、生活をなげうってでも本業にできるのではないかと、酒飲み話で頻発するくらいまでになっている。

実際本業にするとなると、NPO法人では食って行けない懸念があり、株式会社化する可能性も相応にあり、MBA経験のレバレッジの仕方も、留学自体の目的意識も、大きく変わってくる。

ではもしNPO法人を本気で本業にするのなら、そもそも社費と躊躇うことがおかしいのではないか、即ち社費なんか気にせずGMATに突っ走れよという話になる。そこにも迷いがある。なぜなら、社費をパスすれば現在たまっている2年分相当の授業料・生活費のCashを起業時の資本金にできるからだ。ただし帰ってきてすぐ辞めると違約金として授業料相当額を返還する義務が発生。さらには「どうせ社費出してもすぐやめる」と会社が幻滅し、後輩の道が閉ざされるという迷惑も発生する。

仕事は変わるし、キャリアゴール自体もふらつく中で、仕事は多忙を極め、高速回転過ぎる毎日に飲み込まれていった。

8月に流石にこの状況に手を打たねばならないと思い、アフィアンス土佐先生に率直なアドバイスを求めた。

彼曰く、まず新しい仕事とグレーながらも社費の可能性が高まったことについては、おめでとうと。そしてこれまで会社を辞めていった人、辞めないで行った人、若くして行った人、少々年食ってから行った人、など、様々な人を見てきた経験も含めての客観的なアドバイスとしては、「今年の受験はパスしろ」と。

即ち、純ドメスティックな自分には、TOEFL・GMATのスコアが出ないところからもわかるように、本質的な英語力が不足しており、これを何とか詰め込みの勉強でスコアを高めて留学が出来たとしても、行ってから得るものが少ない懸念があるとのコメントだった。

スコアを取るのは当たり前で、スコア以上に現地では相当な語学力が求められ、テストはパスしても本場の英語についていけずに勿体ないことをしてきた人を数多見てきたことから、自分にもその節があるとのことで、そういったアドバイスを頂戴した。

もう29歳になり、社会人生活も満6年を迎えた。留学を志した2010年1月から起算すると、丸3年も「MBA留学浪人」を続けている。このままズルズルいくと、2年制への道さえも閉ざされる。焦っているのは事実。そのことを土佐先生に吐露したところ、「まだ若いから大丈夫。6年苦労して勉強していった人もいる。焦るよりも、ちゃんと現地でモノになる経験をするために、我慢せよ。」との回答。

その時は受け止めきれず、今も受け止めきれていない。が、事実としては、相変わらず平日は仕事でほぼロック、週末もNPOで丸一日はロックされており、GMATをこの調子で受けたらまず門前払いを食らうだろう。

そして土佐先生の指摘の通り、付け焼刃で何とか点を取れても、きっと現地で吸収できるものもできないだろうと思った。なぜならここ1年程ろくに英語を話しても、書いても、聞いてもいない。TOEFLは完全にお休みモードで、英語力の減退は著しいだろう。

アドバイスをもらった真夏の一日以降、GMATは引き続き勉強しながらも、Speaking・Writing・Listeningの強化策も再構築する動きを取り始めた。

まず、Speaking。話す頻度を増やすことが最初に思いついた。

すると、定番レアジョブを真っ先に思いつき、まず体験授業をしてみた。

コスパは最高だし、授業も悪くはなかったが、所詮セミネイティブのフィリピン人(蔑視しているわけではない。事実、ネイティブではないから。)相手では日常会話の域を超えない。フィードバックの質も特別高いわけではない。

やはりネイティブを相手にするのが、必要だろう。そう思い、ネイティブ縛りで調べてみた。

①バーチャル英会話レッスン
②English Village
③eigox
④LOI English

①はネットでグループレッスンするというもの。コスパは月々7980円とよいが、グループレッスンのため、効率が悪いと判断。
②は40分2100円とそこそこ安い気もするが、オンラインではないため、移動時間に難点あり。
③は25分700円とコスパはかなり良く、無料レッスンも受けたが、何となく短すぎて話が上滑りそうな印象を受けた。またアメリカ人がすごく多いわけではなかった。
④は55分(実際はだらだら60分)22ドルと、決して安いわけではないが、講師が豊富で、アメリカ人が大半。初回の授業も洗練されていた。

ということで、④に決めて既に3回授業を行った。講師を変えてみたが、講師が毎回引き継ぎメモを書いているようで、「前回はこんなこと話したんだね、では今回はこの辺行ってみる?」という話もあり、なるほどと思った。

生活に馴染むレベルまで使い込んでみようと思っており、週2回ペースで行っていくつもり。

また、土佐先生から、本物の英語力をつける一つの手段として、British councilとLingo LLCの林先生を紹介された。

British councilは英国の公的機関が世界的に運営していることもあり、グループレッスンではあるものの、概ね1時間当たり3000円程度で、質の高い授業を行っているとのこと。実際無料レッスンを受けたところ、教師のテキパキ度には感心した。

また、レベルチェックテストを受けて受講コースが決まるため、ある程度自分と同じレベルの受講生と会話し、そこに先生もつくので、グループレッスンだからといってマンツーマンレッスンに著しく劣るわけではないことも確認できた。自分はビジネス英語(中級上)を受講可能という判別が出た。

Lingo LLCには丁度今日の昼間に林先生にコンタクトを取ったところ、週明けの面談を快諾してくれた。彼はリスニング力強化の名物講師とのことで、本物のリスニング力を鍛えるために必要な勉強法含めて教えを乞いに行きたいと思っている。

次はライティング。例えばこのようにまとめてくれているブログのように、コスパがよい選択肢がある様だが、内容は選定中。

更に、アフィアンスの勉強仲間から勧められた、通勤中にタブレットでScientific Americanのダウンロード版の術をそのまま採用し、Kindle fire HDを購入し、毎日通勤中に読むことで、Reading力減退を食い止めている。ちなみにScientific Americanは生物や天体などに偏っているかと思いきや、ITのテクノロジー進化、脳科学、教育の課題、心理学、資源効率など、非常に幅広く取り扱っており、雑学本のように「なるほど!」と連発するような面白い記事が多い。それでいて、アカデミックな文体のため、TOEFL・GMAT的には丁度良い読み物。筆者はデジタル版で年間40ドルもかかっておらず、その割に過去のアーカイブもダウンロードし放題で、これはおすすめである。

と、勉強方法はGMAT一直線ではなくなってしまい、忸怩たる思いはありながら、自分の努力・コミット・能力不足を受け止め、英語学習の再構築を行っている。

今年の出願はどうなることか、正直現時点では見通しがつかない。GMATを捨てきれないから今後も勉強するだろうし、しかしこれだけ再構築して時間配分を変えてしまっている以上、恐らくGMATのスコアが伸びるかあやしく、また今年も情けなくも土俵に立てずして(スコアが出ずして)出願見送りとなってしまうかもしれない。

つらつらと書き連ねて、何となく整理されてきた。

要は自分は、再構築して英語の本質的な力を身に着けたいと思う一方で、GMAT(=今年の出願)を捨てきれず、ふらふらしているということ。

ふらふらし続けはよくないのはわかっているが、もう少しふらふらは続けてしまうと思う。GMATは一度遠のいてしまうとリカバリーがゼロベースになってしまうと思っているからだ。と、結論めいたところですらこの様子なので、ここらで一旦筆を止め、今日は休むことにしよう。

優柔不断ですみません。
でも、こうして書いたことで、少し前進したはず(それでは甘ったれかもしれません)なので、どうかご容赦ください・・・。

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2012年3月31日土曜日

【超大作】2011年度を、そしてMBA留学への想いを振り返る

※今日のEntryは超大作ですので、読者の皆様、悪しからず・・・


今日で2011年度が最後だ。

明日からは2012年度、もう自分もWork experienceは満5年、まもなく28歳、MBA留学的にはもう残りわずかの年齢だ。

結論からいうと、この一年間を振り返ってみて、いろいろやったようで、何も結果が残らない一年だった。

TOEFL: 100点未満。TOP校に出願するレベルに到底至らず
GMAT: 400点台。まったく話にならないお粗末なスコア
奨学金: フルブライトは2次書類選考で落選、社費は最終選考まで残るも落選
エッセイ: せっかくAGOSの特別奨学生に選抜されるも、スコアメイクができずほとんどエッセイコンサルタントと会話できないまま受講期間終了

ご覧の通りだ。

自分ではそれなりに頑張った気がする。勉強をしなかったわけではない。TOEFLだって、もう嫌になるくらい受験した。ただ、結果だけを並べるなら、この惨憺たる状況だ。

ただ、この理由は自分でも十分納得できている。何をやるにせよ、中途半端だったからだ。

今日たまたま、ハーバードEducationに留学し、その後教育系NPOを立ち上げた、筆者よりひとつ年上の方のブログを読んでいたところ、こんなことが書いてあった。

----------------

2006年12月  キャンセル
2007年1月   62点
1月   68点
2月   78点
3月   85点
4月   91点
5月   96点
5月   98点
6月   99点
8月   101点
8月   100点
9月   103点
10月  104点

本当につらかったな~

平日は仕事をしているので、4時間~6時間の勉強時間
休日は13時間

----------------

点数の伸び方が、勉強の密度で十分説明できる。結果を出す人とは、これだけコミットして勉強している人なのだろう。

一方自分はどうか。最近は正直、留学への想いと裏腹に日々の勉強に対するモチベーションが落ちていることもあり、平日は0~2時間、休日3~5時間程度しか勉強していない。

これでは点数が伸びるはずがない。

そんな状況で無駄に受験ばかりするものだから、間もなくTOEFL受験が30回に到達しようとしているのだ。

彼のいう「本当につらかったな~」と、筆者のいう「つらい」「テンションがさがっている」「気を取り直してがんばろう」は、全く言葉の重みが違ったのだろうと、自分を翻りながら読んだ。

つまるところ、自分には単に努力量が足りないだけなのだと思う。いろんなことを言い訳にして、すぐ逃げる悪い癖がついているし、年末に「気持入れ替えます」的なEntryを書いたにもかかわらず、相変わらず本質的には気持が入れ替わっていない。

2012年に入ってから、そのだらだらした状況が続いている。早いもので、それで一年間の4分の1を浪費してしまった。スコアは先日報告したばかりだが、その状況が一目瞭然だろう。

こんな状況では、いつまで経っても結果は出せないだろう。

年度末を締めくくるこの一日で、自分の甘さを改めて認識し、安易な方向へ走らず、厳しく鞭を打ち続けなければならないと痛感した。



MBAへの想いを振り返る意味で、Why MBA?とキャリアゴールに関して、最近少しずつ起きている心境の変化も含め、自分の考えを整理するためにも、丁寧に書いてみたい。



◆はじまりは、"Where is YOYOGI station?"

高校時代にまで話は遡る。大学受験の勉強に打ち込む毎日のなか、親友から「気晴らしに新宿へ買い物にいこう」との連絡があった。たまにはいいかと思い、いざ新宿へ。一通り買い物も終わり、帰りの切符を買おうとしたところ、外国人に声をかけられた。

"Where is YOYOGI station?"

たったこれだけの質問。新宿から代々木へは隣へ山手線でいくだけ。

だが、何も答えられなかった。テンパったというのもあったが、英単語ひとつすら思いつかなかった。筆者が泡をふいているうちに、彼らは質問したことに恐縮し、「OK、自分たちで何とかするよ」という素振りを見せ、去って行ってしまった。

帰り道、自分の不甲斐なさに憤慨した。

なぜ受験勉強と称して、毎日英語を3時間も勉強しているのに、道ひとつ説明できないのか?
なんのために英語を勉強しているのか?
英語というツールを使って、コミュニケーションをするためではないのか?
ではなぜ自分は今日コミュニケーションができなかったのか・・・

日常のなかで見つけた、大きな問題意識であった。


◆失意の入学と世界一人旅

いつしか毎日の勉強に追われ、複数大学を受験し、入学したのは関東6大学のうちの一校。本当は自由闊達な校風に惹かれ早稲田に行きたかったが、受験日に高熱を出してしまい、朦朧としながらの受験で、結果は不合格。

一年浪人を考えたが、いわゆる「MARCH」のうちの一校から、一般受験での成績優良を理由に在学中学費全額免除のオファーを受けたので、これも何かの縁だと思って、一抹の失意を胸にしながらも入学することに。

しかし、入学した直後、やはり志望校へ行けなかったことへの憤りが心のどこかでつっかえになっていて、「どうせ2流の大学に入ったのだから、1流のやつらができないことをしよう」と、アウトローなやり方で自分だけの4年間をつくってやろうと思った。

そこで思い返したのが、新宿でのあの日だった。

「英語をもっとうまく話せるようになりたい。あの悔しさを晴らしたい。」

ネットで見つけた、とある旅行代理店へ走った。日本人がいない場所へ行って、どっぷり英語の環境につかりたい。同時に、語学学校のような狭い教室にとどまるのではなく、フィールドワークを通して生の英語を身につけたい。そんな想いの交点を、その旅行代理店は「現地集合現地解散の、International Volunteerによる、環境保護プログラム」というオーストラリア全土でのプログラムで満たしてくれた。

1ヶ月半の滞在のうち、半分がそのボランティア、半分は旅程を決めないバックパッカーの旅だった。はじめは英語の習得を目的としていた。だが現地に渡ってみて、10人前後での世界各国から集まったボランティアたちと寝食をともにし、語り合い、チームに与えられたミッションを達成するという経験を通して、英語は単なるツールでしかなく、コミュニケーションの手段であること、英語を使いこなせることにより世界70億人のスタンダードのなかで生きられることの喜びを学び、もっといろんな国・地域の人とかかわりたいという想いが沸き起こってきた。

 <ボランティアのメンバーと>

<道中の景色>

それからは、怖いもの知らずで、インド、ネパール、タイ、ラオス、エジプト、トルコ、ペルー、ボリビア、ブラジル、台湾、モンゴルなど、世界各国を飛び回り、現地の人々はもちろん、道中であう欧米人、日本人、韓国人などと交流をもち、「異なる価値観を掛け合わせることで新しい何かが生まれる」という可能性を自身の中核的考えとして思うようになった。

 <灼熱のエジプト>
<アマゾンのワニと一緒に>

◆転機 ~ビジネス入門~

バックパッカーとしての毎日に突然の転機が。大学3年目を目前に控えある春休みの日に、タイの山奥にいる首長族に会いにいくために、道なき道をバイクで爆走。行きはなんとかうまくたどりついたが、本物の首長族に会い、気分をよくしていたのか、気を許して転倒。左足に大怪我を負ってしまった。

<合成ではありません>

これが転機となり、当時引越しのアルバイトをしていたのが、しばらく稼動できなくなり、「体を使えないのなら頭を使おう。頭を使えるなら、卒業して社会人となったときに生きるビジネスの分野にフォーカスしてみよう。」と考え、学生団体が開催する起業家セミナーや著名経営者による講演会などに片っ端から参加した。

その中で縁が会って加わったのが、早稲田の学生が中心となって設立する目前のNPO法人だった。当時のその団体のミッションは「Gapyear制度」を日本に導入しようというものであった。Gapyear制度とは、イギリスの大学で一般的な制度で、大学入学した1年目を、海外留学、ボランティア活動、インターンシップなどに投じ、それを学校にレポートすることで、1年目の必要単位相当分をすべて取得できる制度で、課外活動を通じ社会に通用する学生を育成できる制度だ。

これに共感し活動に参画、直後には法人化し、学生に課外活動を紹介するフリーペーパー発行やイベント企画を中心に活動し、筆者は企業協賛の獲得からイベントへのタレントブッキングなど幅広く貪欲に活動した。


◆次なる転機 ~NPOの法人化失敗、そして自分は何がしたいのか~

一時期学生スタッフ50人を超える組織にまで拡大、代表の鼻息も荒くなり、「代々木公園のイベントスペース(アースデー東京などを開催している野外コンサート会場)を貸し切って、学生3万人を読んだイベントを開催しよう!そしてそれが成功した暁には、その収益金を元手に株式会社化しよう!」とぶち上げた。



イベントのコンセプトは、芸能人によるフリーライブなどで若者を集客しつつ、留学支援・ボランティア・インターンなどを募集する企業・NPOを多数招きブースを設立、学生に課外活動が人間的成長をもたらせてくれる素晴らしいものであるということを周知する。またイベントの規模を武器にメディアを通じて広くパブを張り、大学に制度導入を促そうというもので、やろうとしていたことは間違ってはいなかった。

しかし、あまりにアグレッシブで無知な学生たちには度を超えたイベントだったのだろう、収支計画がずさんで、見込みのない収入をベースにイベント出費だけ豪華になっていく。芸能人もそれなりの人が来てくれることになったのはいいが、ギャラはどうするのかあいまい。一方で広報が不発で参加者の見込みが立たない。

こんな状態が続き、イベント準備は迷走。大学3年生の3月、本当であれば就職活動の真っただ中だ。株式会社化、そしてそこでの幹部就任を約束されていた筆者は、「シューカツ」なるものには興味がないとたかをくくっていたが、さすがに危機感をおぼえた。イベント当日は4月中旬。イベントには全力投球するが、きっとこのイベントは大ゴケする。そうしたら、就職先がない、まずい。

サラリーマンで何の変哲もない父に、ある日正直に全てを話した。

その彼から思わぬ叱咤をされることに。

「事業をやる人間にとって、収支計画は命だ。何が見込める収入で、その収入の確度はどの程度で、だからここまで金が使える。こんな簡単なことだが難しいのがビジネスだ。お前の話を聞く限り、収支計画の「し」の字もない。そんな甘い考えで何が起業だ。ビジネスをする資格はお前にはない。ビジネスのことをもっと本気で考え、一から勉強しなさい。」

その通りだった。

勢いで作った会社は必ず潰れる。しかも従業員やその家族を背負ってまで、だ。想いがどんなに正しかろうが、素晴らしかろうが、経営計画をまともに立てられない、ビジネス感覚のない企業に明日はない。

NPOの活動の傍ら、ふとした縁から六本木の某クラブのオーナーと仲良くなり、足しげく通っていたのだが、ヒルズ族の社長、その社員、芸能人、政治家と毎日のように会い、「大企業なんかかっこ悪い、ベンチャーで自分の力を発揮するんだ」とありがたく説教を頂いていた。

その影響もあり、盲目的にベンチャー志向に突っ走っていたのだが、自身の追い込まれた状況を振り返り、「どんな大企業だって、設立した日はベンチャー起業であった。逆にいえば、100年潰れなかった"ベンチャー"では、どんな経営をしているのだろうか」という点に興味を持ち、大企業へ進むというキャリアパスを考え始めた。


案の定、結果から言うと、400万円ほどの借金を抱えて大失敗。野外イベントだったこともあり悪天候で人足が遠のき、見込んでいた飲食の収入が振るわなかった。協賛金も目標額に達していなかったため、これを穴埋めできなかった。その後の損失処理については、言うまでもなく辛いものであったが、ここではその具体的な話は避けたい。

それまでの人生で最も苦しみ、辛酸を舐める経験となったが、ここでの教訓である「損するビジネスに意味はなし」は決して忘れないし、完膚なきまでに打ち砕かれた経験は人間を強くするもので、間違いなく今の自分を前に突き動かす力の源泉の一つとなっている。

この経験から、負けないビジネスを遂行する経営力を身につけ、将来的には当時の自分と同じように、想いがあって世のために活動しているのに、経営力がなく潰れていく企業や組織を救いたい、と思うようになった。



◆次なるステージへ ~総合商社における金融事業部門~

では、どこで経営力が身につけられ、また具体的にどうやって潰れていく企業を救えばいいのだろうかと次に考えた。

<どこで?>

経営者に近い立場、という意味では、どの会社でもいいから経営企画部に入ればいいのではないかと最初に考えた。だが経営企画部に入るには、営業やその他部局での長い下積み生活を積まなければたどりつけない。

では経営コンサルティング会社はどうか。残念ながら3月中旬にはもうほとんど有名ファームの募集は締め切られていた。また筆者の大学のレベルでは、マッキンゼーやBCGなどトップファームはまず受け入れてくれないだろうと容易に想像ついた。

次に出てきたのがリクルート。社長製造マシーンと言ってもいいほど数多たる社長を輩出している特殊な企業だ。だが、業界が人材や広告会社に集中しているし、またバックパッカーでの経験を通して、世界70億のスタンダードの中でビジネスを展開していきたい、という考えからすれば、国内メインのリクルートのフィールドでは、満足できないと思った。

そして行き着いたのが総合商社。「事業投資」―単なる投資をするのではなく、経営権が獲得できる相当分の出資を通して、事業そのものの価値を中長期的に向上させ、必要であればずっと株式をホールドしインカムゲインを享受するし、それかキャピタルゲインを狙って売却する、というビジネスモデルを確立している。

事業の価値を向上させるために、「ヒト・モノ・カネ・チエ」を惜しげもなく注ぎ込む。若手であっても、日常レベルでの業務は泥臭いタスク処理もあろうが、投資先の経営陣と対峙し事業をどうするべきか同じ目線で考えることができる。

そしてそのフィールドは全世界に張り巡らされている。日本という島国だけの発想では世界には通用しない。多様な文化を許容し、ロジックをゼロから組み立てなおすことで、真に価値あるイノベーションが生まれる。

こんな総合商社という世界に魅せられ、自分はどうしてもここに来たいと思った。

<どうやって?>

では、総合商社に入れば問答無用に経営力が身につき、経営力がなく潰れていく企業や苦境に陥っている企業を救えるのか?

事業にあまりに軸足を置きすぎて、特定事業には強いが、その事業の世界だけでしか戦えなくなってはいけないとも考えた。

「純粋にどんな企業であっても経営できる経営力」とでも言おうか、ユニバーサルな経営力を身につけたいと思い、その折に、「金融」の機能に着目した。

金融とはその字のごとく「金」を「融通」する機能だ。ゴールドスミスの逸話にもあるように、余っている人の金を、必要としている人に融通する。融通してもらうのだから、融通してもらった人は利子というFeeを上乗せして貸主に返済する。

たとえば、ある若者が素晴らしいビジネスプランを思いついたとする。だが彼には金がない。どうするか?

佐川急便で5年汗水流して1000万円貯めるならどうか。一番堅実のように見える。だが、今日のプランが5年後も通用するか保証はない。今だからこそ、うまくいくビジネスだってある。

ビジネスプランを1ヶ月で綿密に練り上げて紙に落とし、エンジェル投資家、銀行に2週間かけて巡ってみてはどうだろう?その内容に隙がなければ、その場で金が出てくる場合が起こりえる。そこで調達した1000万円を元手に、プランを実行へ移し、案の定大当たりとなれば、借金の返済または投資家への利益分配ができる。本人はビジネスを形にしてHappy、世の中にサービスが生み出されUserはハッピー、投資家は余った金で収益を生み出せてHappy、みんなHappyなのである。

さらには「ファンド」も典型的な金融手法の一つだ。ファンドは砕いて説明するなら、「宝の山集金BOX」であるとよく筆者はたとえる。

「宝の山」があっても大抵は一人で辿りつけないことが多い。激流が待ち構えている。途中豪雨が襲ってくる。崖の上にある。誰でもアクセスできるところに宝の山なんてものがあるなら、とっくに誰かが到達し持ち去っているからだ。

それ故、橋をかけたり、雨合羽を買ったり、クライミングブーツを買ったりしなければならない。トレジャーハンターたちを雇ってチームを結成なければならない。これには当然金(=コスト)がかかる。だがこれらのコストを払ってでも宝の山に到達できれば、莫大な利益を獲得できる可能性がある。その金を投資家から集めるのが「宝の山集金BOX」だ。そのBOXには、以下のようなことが書いてある。

・集金額に比例して利益が分配される
・宝の山だと思って金を投じても、藻屑となるリスクがある
・集金後2年間は返金できない
・etc

こういう条件付き集金BOX(=ファンド)という「仕組み」をつくることで、一人ではできないことを実現できる。金融にはそんな力が秘められている。

日本には今、個人金融資産が約1400兆円ある。これまで世界の製造工場として自動車やエレクトロニクス製品を輸出し、言うなれば「日本株式会社」として蓄財してきた資産が山積している。この資産の約7割が日本国債に流れている。つまり、リスクフリーの資産、言いかえればタンス預金しているようなものだ。

日本人は、清貧の文化、投資を博打と見る志向を持つ傾向にあり、投資に対する姿勢が最も保守的な国の一つである。リスクを見極める能力を持った上で、こうした余った金を融通して、金を必要としているところに投じていく。日本に必要とされているのは、金融への知見とリスク耐性の向上ではないだろうか。

ただし、金融はあくまで機能であり、実ビジネスがその先にあって初めて意味をなすものであり、事業に裏付けられた金融プレーをするべきと考えた。

こんな問題意識から、上記すべてを当時の学生の自分が考えることはできなかったが、概念的にこのようなことを考え、総合商社における金融事業部門へ進みたいと熱弁し、見事その扉を開いたのであった。



◆Why MBA?

実際に念願の金融事業部門に配属され、ビジョンを達成する天命を与ったのだとの思いから、やれることは一通りやった。

最初に担当したのは、国内の某自動車リース会社への投資および経営管理。投資先の経営企画部と連携し、営業戦略の立案、社内ITシステムの刷新、全社的なコストカット、企業買収まで、若手ながら様々な業務に携わることができた。約2年半の経験である。

次に、早期グローバル人材育成を掲げる研修プログラムに抜擢され、南米のコロンビア共和国へ。ここでは商社ビジネスの最前線を見ることができたが、何より経験の糧になったのは、派遣元の部署が投資する自動車リース会社が現地にもあり、その経営管理に携わったことだった。

2週間ほどそのリース会社にデスクを設けてもらい、ほぼ全部署の部課長と面談させてもらった。日本で得た経験をベースに、面談する部課長一人一人に、こういう手法で顧客をつなぎとめるといいのではないか、この部分のコストがカットできる、自動車の仕入れはこうするともっとディスカウントできる、など、次々に経営改善策を提言。最後は社長にそのサマリーをプレゼンし、実際にいくつも提言をその後の経営に取り入れてもらった。

ちょうど半年間の研修を終えて帰国した直後からMBA受験を本格的に覚悟し、勉強をはじめた。2010年の4月の話だ。なぜか?

上記は仕事のほんの一部のポジティブサイドで、実際は、これらをその場の思いつきベースで進めてきたにすぎなかった。その場での対応で一応それらしい仕事はできてきただろうが、これらを体系立てて整理する時間や、そういうケースに直面した場合に適用できる理論としてどういったものがあるのかを落ち着いて考える時間がないまま突き進んできた感が否めなかった。

また、コロンビアに行った際には、英語力はそこそこあったものの、もっと突っ込んだ議論ができていればさらに面白いビジネスが生まれたのではなかっただろうと感じる面もあった。

さらに、これから事業と金融の両輪を回していくにあたり、資金の調達先、投資先のビジネスのいずれも世界に張り巡らせていかねばならない未来が見えているなかで、会社からスポット的な世界戦場が与えられるタイミングを待っているわけにもいかない、つまり自分から世界に打って出なければならないと考えた。

その点、まさにビジネススクールは、世界各国から、さまざまなビジネスバックグラウンドを持った腕利きが集まっており、意識高くその想いと頭脳力をぶつけあい、ケーススタディ、お互いの知見などあらゆるソースから将来自分が実現したいことのTipsをTake awayする。

そして卒業後は、金融の力を使いつつ、事業そのものの価値を向上させるプレイヤーになっていきたい、その実現に向けて、MBAという環境に20代最後の2年間を投じたい。この想いから、強い想いを持ってMBA志願を志したのである。


◆ポストMBAの行方

<初志>

当初のシナリオはひとつ。会社を辞めて私費で留学すること。実現したいことがより明確になりつつあるなかで、その達成のために必ずしも今の環境に固執する必要がないと思ったからだ。

実現したいことと何か。たとえるなら、「ポンコツ機を一機でも多く空にかえしてやること」だ。即ち、昔は大空を自由に飛び回っていた飛行機も、ポンコツ機になり飛べなくなるときは当然ある。原因は、パーツの老朽化かもしれないし、飛び方が空のコンディションにあっていないのかもしれない。こうしたポンコツ機を前に、足りないものは部品(モノ)、整備士(ヒト)、調達資金(カネ)、直すためのノウハウ(チエ)を掛け合わせて、ポンコツ機のパイロットやクルーたちと一緒になって修理する。

そして、ここからが重要だが、修理したポンコツ機のコックピットに、一員として乗り離陸、運命を共にすることだ。もしかしたら一緒に墜落するかもしれない覚悟をして手掛ける修理は本気であるし、再び空にかえれたときにはクルーたちとその喜びは分かち合える。

そしてフライトを一本終えて、もはやポンコツ機が立派なジェット機に返り咲いたその姿を見届けて、次なるポンコツ機の再生にひた走る。そうやって、世のため人のためになろうと頑張っているにも関わらず苦しんでいる企業を救いたい。Gapyear制度を日本に導入しようとひた走り、辛酸をなめた経験があるからこそ、同じ苦境に立たされている企業のために力を尽くせる。そんな想いだ。

具体的なキャリアで言うならば、事業再生ファンドやプライベートエクイティ(PE)ファンド(のなかでもディストレスに近いプレイヤー)にJoinしたいと思った。

ここまで明確になれば、あとはその方向に突き進むだけ。異動が前提の総合商社にとどまる理由はもはやないとの結論から、私費留学(偽りの説明で社費を獲得し、MBA卒業後すぐ辞めるのは潔くないとの考えから社費は全く考慮に入れず)を考えたのだった。

<変化 ~本当にやりたいこととは~>

初志に少しずつ変化が表れ始めたのが、昨年10月の部署異動がきっかけだった。それまでは一事業投資家の目線であったので、そのほかの投資家が何を考えているかを深く考える機会がさほどなかった。

一方、異動してきて担当になったのは、①不動産ファンド組成と、②子会社の証券会社のマネジメントであった。前者は国内の不動産に投資し、それをファンド化して投資家に売るという仕事、後者は、親会社(=筆者が所属する事業部)や外部のファンドから投資商品を仕入れ、投資家に売る会社であり、この会社の経営管理。いずれも顧客は日本が中心だ。

要はいずれも、投資家に投資機会を販売するのが仕事で、はじめて日本にはどういったタイプの投資家がいて、何をもとめていて、ボリュームとしてどうセクター配分(株、債券、不動産、ヘッジファンド、PEなど)されているかを認識した。

また、PEは発祥国アメリカでは相当なボリュームがあるものの、日本ではバブル崩壊後に弱体化した会社を一部PEファンドやディストレス投資家が買い叩き「ハゲタカ」というネガティブなブランディングがされてしまったこと、アメリカ的なドラスティックな経営再建を日本人のネイチャーでは実行できず、「事なかれ」主義の銀行や系列親会社がなんとかうまく延命させる風土であることもあり、下火状態が続いている。この事実も、書籍を通じてある程度は知っていたが、業界に入り投資家の声や様々なレポートから実態を知り、課題が多いことも分かった。

また、日本における事業再生の代名詞とも言える産業再生機構についてもかじってみたところ、素晴らしい功績は残したものの、その後解散し産業革新機構に移行してからは、事業規模も人材の質も以前のようにはいかない様子が見えてきた。

こうした時勢を鑑みるに、「この業界を俺の手で変えてやる!」という「パッション」、MBAという名前だけではすでにありふれた「こん棒」を両手に携えてPE業界に突入することが、果たして初志を成し遂げる解となりうるのだろうかと、立ち止まって考えるべきではないかという気もしている。

先に「ポンコツ機を空にかえす」という話をして、かつそれが自分の過去の体験に日もづいていることを書いた。またその想いへの前に、事業と金融を掛け合わせたビジネスを展開したいことも書いた。

どちらも根っこは同じで、要は、「事業経営を軸足におきつつ、金融の力を使って、世界に価値を創造すること」が根源的なビジョンであるということなのだ。その一つの側面が、住んでいる地域という意味で日本の個人金融資産1400兆円をなんとかしたいという考えであったり、NPOの失敗という過去の強烈な体験という意味では苦境に立たされている企業の事業再生であったりと、個別具体的な話に落とし込んでいくことで辿り着く枝葉の話なのである。

<この先の身の振り>

今実際にこの文章を書きながらはじめて自分でも整理できつつあるが、根源的なビジョンに立ち返ると、今いる会社でも外にいる会社でも実現は可能だ、という結論に到達する。

今いる総合商社の金融事業部門では、不動産投資、PE投資、リースが柱で、いずれも実物や実業をベースとする金融事業を展開しており、その地域は、各セクターにより偏りはあるが、日本、アジア、中東、欧州、北米と、世界へ張り巡らせている。

また、日本のマーケットにおいて今いる会社のプレゼンスは相当なものであることを感じており、日本の金融の在り方に一石を投じられるポジションにいることが、足元を見直すことで確認できた。

実際、先日より国内のとある一大プロジェクトに携わっているのだが、これまで積みあがってしまった負の遺産を、金融の力を使って対処しようという主眼で取り組んでいる案件であり、まさに事業の非効率を金融の力で変えるビジョンに合致した仕事だ。このプロジェクトのためにいくら深夜まで残業しようが全く疲れなかった理由は、そこにあるのだろう。

一方、外へ目を向けてみると、たとえば、以前からマークしているベインキャピタルはPEの最高峰の一つで、コンサルティングメソッドを最大限発揮して事業改革を推進し、一定期間で株式価値を高めて売却することで、投資の受け手も出し手もWin-Winの関係構築を実現しているプレイヤーだ。

また、ブラックストーンはPE、不動産、ヘッジファンドなど多様なセクターへ巧みに投資しつつ、それぞれのセクターでは綿密な精査を行ったうえで果敢にリスクを取りに行くアグレッシブなプレイヤーだ。そのほか、踏み込んだリスクを取ることで高いリターンを獲得するディストレス投資を得意とするローンスターについても言及しておきたい。

ただ、これら外資プレイヤーで仮に働くとするとそのDisadvantageは、日本の拠点スタッフとして採用されるケースが基本で、働くフィールドが日本に限定されることが通例であることだ。ややもすれば、中国の金が日本に流れてきたり、日本での経験を生かしてシンガポールに拠点を移し、そこからインドネシアに投資する時代が来て、外資系にJoinしても世界をフィールドに働ける時がそう遠くないうちに来るのかもしれない。ポイントは、そのリスクにBetするかどうかだ。

当初は私費(会社を辞める)が大前提の想定であったが、こうして考えてみると、まずは根源的なビジョンが、会社にとどまってもそうでなくても実現できることがわかったことが一つの発見である。

また、①日本経済を大きな視点から捉え金融の力を使って価値を生み出していきたいのなら今の会社、②グローバルベースでの活動が将来的に可能となることを期待し、かつドラスティックな経営改革と徹底した金融スキルの発揮により価値を生み出していきたいなら外資PEにいくべきだ、という現状の分類も改めてできた。

とするならば、どちらを選ぶか、であるが、これは今日のところではまだ決定できない。どこかの時点でする必要があるかもしれないし、あえてどちらも決めずにMBAに向かって突き進み、社費がつけば今の会社に、そうでなければ辞めて外資の道に、という「縁」で決めてもいいのかもしれない。

実は、このブログにはほとんど書かなかったが、数ヶ月前に社費選考に受験した。結果は最終段階でNGだった。私費が明らかに見えているのに、人事部をだまして社費でいこうという魂胆にはなり下がるまいと思っていたところを受けたのだから、心境の変化はあったはずだ。だがその時点では「迷い」に近い心境で、本当に自分がやりたいことがどこでならできるかをやや見失っていたのかもしれないと振り返って思う。

だが、こうして整理してみると、私費と社費のシーソーの中間点に帰ってきたようで、またリセットして考えていこうという気になった。


◆最後に

私費と社費、どちらを想像しようが、何はともあれ現実に戻ると、留学をするために必要なHomeworkをきっちりやらなければ、もとも子もないわけで、まずは足元のTOEFL・GMATをまずきっちりやろうぜ、という結論に至る。

今日は土曜日で時間があったということもあり、書き始めてからなんと6時間ほど経っている。最近、空き時間があってもなぜか勉強する気になれないことが増えてきており、このEntryの冒頭にも書いたとおり、勉強へのコミットが弱まっていた。

しかし、ここ最近自分がどの方向へ向かっているのか、大方針はぶれていないものの先端がぼやけていたのでモヤモヤしていたし、それもあって勉強に身が入らなかったのかもしれない。

いつのまにかこのブログ始めて以来の超大作になってしまったが、自分の整理のために書いたものであり、もしその思考プロセスを知りたいという読者の方がいれば、その方にお見せすることは一向に構わないというスタンスで書いたこと、ご理解とご容赦いただきたい。


では、一呼吸おいて、勉強再開しますか!!!!!


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2012年2月12日日曜日

ついに、重大な方針転換

以前から読んでいただいている方にはもうお分かりかもしれないが、筆者にとっては重大な方針転換。

そう。

「MBA受験浪人(1浪)」

の宣言だ。今日からこのブログタイトルも「2013年(Class of 2015)を目指すブログ」に変わる。




敗因はもう一つにつきる。

「自分に甘かったこと」

仕事、(実はこのブログには一切明らかにしていなかったが)とあるNPO立ち上げ、その他諸々の事情を言い訳にして、MBA留学に必要な「集中的な勉強」というコミットメントを疎かにした結果が、この事態につながった。もうこれ以外に説明することはない。

強い意志、というものは、言葉にするは易し、実行するに難し、と痛感した。さらっと書いているようだが、実際のダメージはかなりのものである。

真なる結果を出すことがいかに大変なことか。

MBA留学への揺るぎない想いを、いくらブログで威勢よく語ろうが、家族・友人の前で吹聴しようが全く意味はない。

ただひとつ測られるもの、それは「結果」。結果が出せなければ、極論何もしなかったのと同じ。夢を語ろうが、それはただの夢。準備のプロセスで学んだものは多少なりともあれど、そのプロセスを語るのは結果を出してからでないと、つまるところ敗者の言い訳にしか過ぎない。

目の前のハードルを集中して一つ一つ越えることで次のステージに到達できる。今の自分には、自分に甘えず、結果にこだわり、一層の鍛練を積んでいくことがまず必須。

当然目先のハードルを越えることを目的化するのではなく、当初から揺るがない想い、すなわち世界の、そして人類の進歩の過程で価値を生み出し続けられる人間となるべく、世界レベルかつ高い次元で戦い続けるという理念を掲げて走ることも忘れてはならない。

「理想は天に、足は地に」

このバランスを取りながら、揺るぎない想いを秘めて、結果を出すことにこだわり、この辛酸を次なる1年の挑戦への決意としたい。


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2011年12月7日水曜日

GMAT2回目、まさかの400点・・・ そして2012年夏MBAの行方を考える

書くのすら恐ろしいスコアを取ってしまった。

400点。(Math32、Verbal13)

確かに準備は十分にできていなかった面もある。しかし、それなりにやったつもりでもいたし、当日はVerbalは割と一問一問精査して回答はしたので、今回はこんな点数が出るとは思ってもいなかった。

根本的に、英語力がない。

これが今の自分の実態なのだと思う。

先日もとある読者の方からコメントで指摘を頂いた。
「基礎的な英語力の養成に取り組んだ方がよい。最近の筆者はテストを受けることが目的化している。」

まさにその指摘と同じことが、スコアという数字を通して、自分に語りかけられているのだろう。

もう12月も中旬に入ろうとしている。

エッセイは正直手をつけられていない。

TOEFLも、GMATもトップ校に必要とされる水準に遠く及ばない。
この状況下、本当に今年度のラウンドに出願することが適切な戦略なのだろうか。

そもそも「出願する」以前に、出願するための土台作りが終わらない(=スコアが揃わない)事態も十分に考えられるなか、ただスコア作りに焦り試験を受け続ける今のスタンスが正しいのだろうか。

もう一年時間を設け、勉強の仕方(我流では勉強の効率性のみならずモチベーション管理もうまくいかないことがわかってきた。ショック療法的に予備校漬けになるのも、自分を追い込む意味でいいのかもしれない。)、割く時間など、足元から取り組み方を見直し、英語力を本質的に高めるべきではないかと考えている。

このブログのタイトルには、立ち上げ当初から「2012年夏からの留学」を掲げてきた。
それがいま、崩れようとしている。

悔しい。

結果を出せない自分に、情けなさと、憤りを感じる。

そして、悲しい。

自分はこんなに能力がなく、自分に甘く、易きに走る人間であったのかと。表面的にはテストとの戦いをずっと続けてきた様に見えるが、その水面下では、自分の甘えをいかに乗り越えるかという次元で戦ってきたのだと思う。

それがいま、「敗戦」を認めざるを得ない状況まで追い込まれている。



諦めるつもりは全くない。MBA留学にかける想いは微塵も揺るがない。
ただ、いまの自分には、MBA留学を実現する実力が伴っていない。



できるだけ冷静に今の自分を書くなら、こうなるのだと思う。

昨日のGMATの結果を踏まえ、一晩で考えていることだ。

これをもう少し時間をかけて考え、応援してくれているAGOSのカウンセラーとも話して、今後の具体的な準備スケジュールも見直して、またこのブログに出直したい。





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2011年11月19日土曜日

泥沼の戦い

久々の更新。

最近は、TOEFL、GMAT、Essay、コンティンジェンシープランとして来年度への繰り越し検討含め、日々混沌の中で過ごしている。

まずTOEFL。先日16回目と17回目を受験してきたが、ここに来てなんと88点と77点という直滑降スコアをたたき出し、見るも無残な結果。

GMATもYESに通う回数が減った。平日は異動後の業務過多のため封じられたことにより週末に限定されたこと、その肝心な週末もTOEFLや親友結婚式出席などで重なってしまったことによる。結果、最近SCの正答率も下落傾向。Mathは一向に正答率が上がらず、簡単なはずの問題にも回答に時間がかかる。本当に自分の地頭の悪さに溜息が出る状況だ。

EssayはAGOSのTOP校合格コースを受講させてもらっているのものの、まず土台であるTOEFL・GMATのスコアが出ないためか、先方もあまり本気で指導する様子が見られない。

例えば、フルブライトに出願したときに散々話したキャリアビジョンやリーダーシップ発揮のエピソードをコンサルタントがまるっきり忘れていて、「フルブライトの時に話したんですが・・・」と切り出しても「あ、そんな話あったっけ?もう一度説明してよ」という展開になる。

また、リーダーシップを発揮した場面のネタ出しを行っていても「うーん、それじゃあ微妙だな。学生の時のエピソードにしないか?Kelloggのエッセイ課題はその辺をシンプルに聞いてくる質問が多いので、これを土台に書いてみよう」と言われて書き始めたはいいものの、そのエッセイの但し書きに「直近3年のエピソードに限る」と書いてあり、そもそも時間をさかのぼる学生時代の努力はお呼びでないと明言されている。要はクライアントの状況をきちんと分析しないままそれらしいことを言っているに過ぎない、とこちらが感じてしまう状況にある。

なんだか愚痴っぽくなってしまっているが、時間が切羽詰まる中で、全てのピースがごちゃごちゃに絡まってしまい、フォーカスを失い、泥沼にハマっているのが今の状況なのではないかと、心苦しくも思うのである。

そんな中で、当初は2012年夏からの私費留学を想定していたこの重大な方針すら変更しうるような戦略さえ実は仕込んでいる。

それは、2013年夏からの社費留学だ。今までずっと、苦境におかれた企業、頭打ちになった成長を再点火したい企業の力になりたいという想いで、商社から出て事業再生やPE投資のプロ集団に移籍することを考えていた。しかし、足元をよくよく見ると、自分の会社にそのいずれのビジネスも既に存在し、やろうと思えばそのビジョンは実現可能であることも薄々感じていた。

また、新たに異動した部署では子会社に証券会社を保有しており、ここでは他の部署が組成又は出資したファンドを投資家に販売するビジネス、また外資系プレイヤーと組んで不動産投資を行っているため、PE投資や事業再生ファンドが日本の金融市場の中でどういう変遷をたどったのか、その現状はどうなのか、外資系プレイヤーの戦い方など、リアルな情報を手に入れている。

そこで突っ込んだ話を聞いてみると、実際はかなりマーケットとしては存続が危ぶまれており、規模間のあるビジネスをするにはBain Capitalやカーライルなどの欧米系一流ファームか、銀行又は商社の傘下にある和製ファームしかないのだろうということがわかった。

また、外資系ファームは焼畑農業的にマーケットを考えており、日本でそれなりの投資リターンが得られないならあっさり拠点ごと売却するまたは全員解雇して拠点ごと平気で潰すというドライな手段を取りうること、和製ファームに入るなら、傘下の会社にプロパーとして入るより、親会社から出向して入り込んでいかないといいポジションに就けない傾向があるという、いずれの道を選択してもシビアな側面があることもわかった。

そんな中で、私費(=転職)で留学すれば外資PEを中心に考えるだろうし、社費(=今の会社に戻る)で留学すれば傘下のPEを考えるだろうし、それぞれに一長一短あれど、PE産業に関わる道筋はどちらに進もうがあるのだろうという考えに至っている。

つまり、MBA留学に当たっては、私費も社費も関係ない、即ちとにかく行くタイミングで誰がスポンサーになるかは縁で決まるもので、並行して可能性を探ればよいという結論に至ったのである。

長くなったが、こういった考えの変遷から、2012年留学のサイクルには予定通りスコアがきちんと出た場合出願し(=スコアが出なければ今年の受験は見送り)、同時に2013年留学のサイクルには社費出願をすることにした。そして、社費派遣に選ばれないまま出願し合格した場合はすぱっと会社を辞めて私費留学にする予定、というかなりニュートラルな姿勢でいる。

MBA留学への想いは揺るがないが、その意思を日々の勉強に反映させ、結果を出すことがいかに難しいかを痛感し、自分の頭脳力が情けないほど冴えないことに辟易とし、最近現実逃避すらしかけているが、これではいけないのだということだけは嫌というほど分っている。

ここ数カ月のエントリーが言い訳っぽくなっているのを見返して、ほんと自分はだめなやつだなぁと思うばかりだが、この苦労の先には必ずや成長機会と刺激にあふれた世界が待っているのだと鼓舞しながら、くじけそうな自分に打ち勝つしか打つ手はないのだろう。

負け戦が続く中での悪あがきとして、明日はTOEFL@横浜駅西口を受験する。もう18回目だ。受験回数を数えてみて溜息が出たが、仕方ない、やるしかない。そして次々週の12月1日にはGMAT2回目の受験だ。

準備は正直はかどっていない。だが、ここでテストを受けることすら逃げたら、そのままもっと遠くへ逃げて行ってしまいそうな気がして、受けている。

しみったれな自分ではあるが、目の前の課題に正面から向き合い、ボコボコにされても逃げずにいたい。




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2010年8月29日日曜日

8/19 MIT説明会@丸の内 と その後。。。

8/19は単に説明会に行っただけでなく、考えさせられる一日だった。

まず、本題のMIT Sloan説明会。

集まったのは、ざっと150人ほど。立ち見が出るほどの満員で、意外とMBAに興味持っている人が多いことに一安心。

さて、内容はというと、アドミからは非常にシンプルなスライドを使ったプレゼンと、学生が製作したというMBAのプロモーションビデオで構成されていた。

アドミからのメッセージは以下。

・1学年あたり300~350人程度
・約半数がInternational
・男女比率は6:4
・Action-oriented かつ Hands-onのカルチャー
・TechのBackgroundが多い
・G-Laboという世界各国でConsulting bizやEntrepreneual bizに4~5人のチームで取り組むプログラムが特徴的
・EssayやResumeはContextベースで書くべし、Listすべからず

次にAlumniからの自己紹介やQA sessionの時間。

Tech系となるとメーカーから社費で来る方が多いのか、卒業後は元の会社に戻っているようだった。
話自体は鮮烈なほどエッジの効いたものはなく、淡々と学校の特徴やMBA取得後のキャリアを話しているとの印象だった。(要はあまり覚えていない)

全体を通して、少なくともこのInfo Sessionからはこれといった衝撃や発見があった訳ではなかった。
MITについては、ビジットしてみないと判断がつかない、というのがこの日の結論。

むしろ説明会終盤のOpen QAとその後のカフェでの話の方がハイライトであった。

まず、改めて自分の英語力の未熟さを痛感したこと。これが1つ目のトピックだ。
アドミに質問しようと思ったが、大した質問も思い浮かばなかったので、「Start-upを考えているが、Boston及びMITでの環境はどうか?」と聞いてみたが、質問していて自分の稚拙な英語にまず幻滅した。

そして、相手が答えたことに一歩踏み込んで追いかけの質問ができないことにも気づき、「聞いて終わり」のコミュニケーションレベルじゃ、まだまだだなと思った。

 次に、自分のキャリアややりたいことの方向性がまだブレているということ。

Why MBA関連のEntryでも書いたが、事業経営と投資を掛け合わせることで事業体や産業そのものを活性化できるとの考えから、それをやりたいと思ってはいる。

簡単にいえばPEファームである。その傍ら、Stanfordに行ってEntrepreneureshipを学び、Start-upもやってみたいとの考えもちらつく。しかし、2つに共通しているのは、「で、その中身のビジネスって、何?」という点にぶちあたってしまうことだと今日よく考えたら気付いた。

型は考えている。投資をして、経営関与をして企業価値を高めて、売却する。Start-upで新しい技術やサービスの仕組みをつくって一旗あげる。どちらも型はまぁ考えていないわけではない。だが、骨抜きなんだなぁ、どちらも。

具体的に、この産業またはこの分野なら、自分の力を発揮できて、世の中にも貢献できる、というSweet Spotを見つけ切れていないから、どこかブレているのだと気付いた。あとはそこに型があればなおいい。

事業経営と投資がいいなんてこのブログでさんざん語っておきながらも、アドミへ「Start-upの環境はどうだ?」と聞いてしまう自分に、自己矛盾を起こしていると気付き、上記に至ったのである。

説明会終了後は、Stanford Info sessionで会った方とその近くに座っていた方でカフェへ。

ここでも面白い話があった。

自分は、能力は別として公共政策とのDual Degreeができたら面白いと思っている。
戦略がなく、路頭に迷う昨今の政治。といっても、それはメディアからの断片的な情報に踊らされた国民の「人気投票」によって選ばれた政治家が起こしている茶番劇でもある。投票する我々も政治に関するリテラシーは乏しく、それらしく言っている人も、大抵テレビで評論家が言っていたことをさも持論かのごとく語っていたりする。

真に国の将来を考えるならば、国の統計を自分で読み、政党の政策を自分の頭で理解し、政治リテラシーをもった市民と議論し、ようやくもっともらしい意見が出てくるのだと考えている。

そうした、「市民レベルで政治を語れる社会」にならなければ、日本の政治はいつまでたってもダメなのではないか。こう考えている。政治家を叩く前に、自分の足元を見よ、ということだ。

翻って、市民ですべきことは何か。まず、政治をきちんと勉強することである。であるならば、いきなり公共政策の大学院へ行くという解に達するには飛躍してはいるが、きちんと教育機関で政治を学ぶことは意味があるのではないか、こう考えがいたったことから、MBAでビジネスを勉強するとともに、一市民として政治も勉強してみたいという結論に至ったのだ。

前置きは長くなったが、この話を、Stanfordで会ってこの日もお茶をした経産省の方に吹聴してみた。
彼のリアクションは公共政策を仕事としているプロから見た面白いものであった。

まず、そもそも公共政策を学問とすることに意味を見いだせていない、と。

なぜなら、個別事情によって政策はいくらでも変わりえるし、数十年単位で行った政策が結果的にどうだったか振り返られるだけなので、ケーススタディなどで成功例なるものを学んだとしても、それを応用するのは実質的に無理なのではないか、と彼は論じていた。また、政治は金だけでは解決できない世界があり、こういった攪乱項を含めると、合理的な解釈ができないことがむしろ多く、体系化しにくいため学問として成立しないとの見方が彼の主張だった。

それに比べ、ビジネスは基本的には経済合理性に基づいて動いているため、経済的にWorkするものは基本的に実行されるし、そのMethodがモデル化されて、他で応用されることもある。その為、体系化して学ぶことが可能な領域なのだと言っていた。

ビジネスの世界でも経済合理性で動いていない(もしくは経済合理性があるように強引に納得する)面もあるのは仕事をしていても感じるが、確かに、あからさまに損するビジネスが、この世界では淘汰されゆく運命にあるのは真だ。

この会話で、公共政策はもういーらない、と判断するにはあまりにも拙速であるが、公共政策を生業としている方の一意見として、これは貴重であった。

帰り道、こんなことを頭の中でぼんやりぐるぐる考えていたら、こんがらがってきてしまったので、整理のためにも、Entryにぶつけてみた。(なんか、すっきりしてきた。)

何はともあれ、英語力をつけないことには、留学は実現しないし、仮にテストテクで乗り切ったとしても肝心の留学後に多くのチャンスを逃すだろう。

「自分は純日本人だから・・・」とか「帰国子女じゃないし・・・」

なんて言ったらダメだ。

やるしかないんだよ、やるしか。Just Do Itの世界ですよ。

そしてキャリア。これも型を学ぼうとしているのはいいんだけど、型なら型で、いつまで型でビジネスするのか、型の力を磨きながらもどの具体的ビジネスで戦っていくのかを同時並行で考える、こうこなくてはいけない。

型で一生食っていくというのも、一つの「具体的ビジネス」かもしれない。それならそれでいい。
ただ、「まずは型を身につけて、次には具体的に・・・なビジネスを」と言えるようになるのを目指しているならば、それをきちんと追求しなくてはいけない。数か月前に、Mixiでも同じことを書いた気がする。要はまだビジョンを明確に描き切れていない状態が依然続いているということなんだな。

と、書きながら自分を分析してみる。

なんだかさっきまでもやもやしていたが、やはり書いてみると落ち着くところに落ち着くのだなぁ。
勝手に納得してみたが、こうして折に触れ似たような円を描きながら、らせん状に上昇していければいいと思う。

さて、今日はこんなところにしておくか。

2010年7月11日日曜日

なぜB-Schoolでなければダメなのですか?

このタイトルはMBAを目指すにあたり、FAQと呼んでふさわしいほど、質問される項目であろう。


A氏:「卒業後どんな業界いきたい?」

僕:「PEファームかVCかな」

A氏:「じゃ、直接転職すればいいじゃないか」



B氏:「英語力を鍛えるのが理由?」

僕:「ええ、大きな理由を占めています」

B氏:「じゃ、語学学校に行くか直接渡米して仕事探せばいいじゃないか」


こんな話になるわけである。

B-Schoolを挟まなくたって、その後の道が明らかに見えていれば、とっととそれができる環境に身を投じればいいじゃないか、こう反論したくなるのは、当り前だ。

しかし、ふと考えると、こんな疑問も湧いてくる。

・いきなり会社を辞め、ファイナンスの基礎くらいしかわからないままPEやVCに行って成果が出せるか?

・いきなり会社を辞め、英語力が未熟なまま渡米しても、せいぜいレストランのウエイターどまりではないか?


先の反論に反射神経的に反応してしまうと、非現実的な方向に突き進んでしまうことになる。
余程の運と天性に恵まれた強者なら、やってのけてしまうであろうが、残念ながら凡人の自分にはそこまでのパフォーマンスは出せないであろう。

凡人においては、訓練と着実なレベルアップがあって高いパフォーマンスが出せるのであるから、「段階的な成長の場」としてビジネススクールを活用するのが賢明であると考える。

ビジネスマンとしてのキャリア機会をホールドしながら、高度な仕事をするために知識・スキル・英語力を鍛える。次なるステップを踏むための準備期間が、留学中の2年間であるのだ。

自身の場合、世界というビジネスフィールドの中で戦える人間を目指していて、次なるキャリアの場は事業経営と投資を突き詰められる(という仮説だが)PEファームとしている。

世界で戦うためには、英語力は必須で、外国人とのビジネスコミュニケーションができるレベルまで達しなければならない。PEファームで投資先の経営をかじ取りしていくためには、投資の観点からファイナンスの理論を突き詰め、事業経営の観点からマネジメント、マーケティング、ストラテジー、HR、その他広く経営学を学ばなければならない。

いきなり次のキャリアパスに進むことも不可能ではないが、やはり、準備期間(訓練期間)が必要であり、その為にB-Schoolは格好の場なのだ。

エッセイにも通じる話題だが、小手先のテクニックより、会社を辞め、2年間という時間を投じ、1500万円を費やす価値が本当にあるのか、というもっと根本的な問題として、次に進みたい方向の過程になぜB-Schoolが存在するのか、これだけはいつでも対論を用意しておきたい。

2010年3月16日火曜日

Why MBA?

Why MBA?

今後この質問を、自分自身から、B-Schoolから、家族から、友人から、会社の上司から、恋人から、本ブログの読者から、幾度となく尋ねられるだろ う。

全ての根本となるこの質問。
一旦は固めても、時に再定義し、時にゼロベースで練り直す。
そうして、真に納得いくReasonを確信する。

このブログを立ち上げた時点でのWhyを書いてみたい。

エッセイにでも書きそうな小奇麗に纏まった文章ではなく、時系列で起こったイベントがどうMBA受験を決意するに至ったかを徒然なるままに書き連ねる。



話は飛び石の様に遡る。

学生時代。

まだ未来に対しては、偶然と幸運の積み重ねで如何様にも良い方向に持って行けると思っていた。

そんな脳天気な自分でも、気になるキーワードがあった。

”MBA”

世界の頭脳たちが一同に集い、ビジネスという切り口から日々議論を交わし切磋琢磨する。

そんな環境に何となく憧れを持っていた。

いつかは自分もその環境に身を投じてみたい。
しかし自分は日本生まれ日本育ち。
英語力と言えば、俄にバックパッカーの旅で身につけたハッタリ混じりのEasy English程度だ。

いつかはMBAにも挑戦できるように、英語力や国際感覚を養いながら働ける場所はないか?
その一つの場所として、総合商社があった。

自分の出身大学は、偏差値と言い、ネームバリューと言い、総合商社に入るには相当ハードルが高いレベルであった。

しかし周囲の学生と徹底した差別化を図れる様、あらゆる手を尽くし、難関の門を突破することができた。



そして配属。

担当は国内の某金融事業会社への投資管理だった。

金融事業に今後の活路を見出していたので、それは文句なしの配属であったが、国内担当、というのは若干残念な結果だった。

それから2年半、凡そ海外と接点のない国内Onlyの仕事に従事。いつしかMBAの事など記憶から薄れかけていた。



転機は訪れた。

部長から入社以来初めて個室に呼び出された。

「あのさぁ、君海外で生活することに抵抗ある?」

「いや、全くありません!むしろ本望です!」

「そうか、ふーん、わかった。じゃデスク戻って良いよ。」

一瞬の会話。わざわざこの話をするために個室に呼び出したのか。
いや待て、これは何かあるぞ。そんな思いが過ぎった。

1ヶ月後、また部長から同じ個室に呼び出された。

「あのさぁ、君、コロンビアに行くことに決まったから。」

海外研修生として、半年間海外転勤となったのだ。
ついに手に入れた海外へのチケット。

半年間の海外生活は英語とスペイン語を強化できることを意味していた。
また、日本にいたらついつい行ってしまう合コンやToo muchな付き合い事がなく、自分の時間をたっぷり持てる。

何か有効に時間を使えないか。

海外に出るということで、丁度再び世界を相手に戦う闘志が燃えはじめていた事も重なった。
MBAの準備期間にすればいいのではないか?急速にその想いは強まった。


コロンビアに行く前に、MBAを自分の目で確かめたい。



気付いたときには、もうUCLA Andersonのキャンパスまで辿り着いていた。
2009年9月半ばの事である。

出発の3日前に航空券を買った。下調べなんて殆どしていない。勢いのみ。
土曜日のキャンパスには学生はまばら。授業もやっていなかった。

ナンパ(渋谷でナンパする勇気はありません。)並に軽いノリで手当たり次第に話しかけ、MBAについて根掘り葉掘り聞いた。

続いてStanford GSB。さすがに月曜は授業があるだろう。

キャンパスのカフェテリア付近をウロウロしていたら次第に学生達が登校してきた。

その雰囲気には目を見張るものがあった。

活発に議論する者。
分厚い本を一心不乱に読む者。
友達を紹介しあいネットワーク作りに励む者。

その全てが活気に溢れていた。

たまたま話した相手はシンガポール人のアニキ。
自己紹介をして、何でもいいからMBAの授業に出たいが忍び込めないか、率直に聞いた。

「余裕でしょ」

ありがたいことに、venture capitalの授業を聴講できた。

圧倒された。

一人一人の参画意識が極めて高い。
教授が次々と学生を指名し、意見を尋ねる。
答え云々よりも、その答えに至った思考プロセスを徹底的に検証しているといった印象を得た。

さらにナンパは続き、次はOrganization behaviorを聴講。
ここでは「組織は混血と純血どちらがいいか?」というcase studyを元に混血派と純血派に分かれ、なぜそれぞれの派に軍配を上げるのか議論をしていた。

一人一人の学生の発言にキレがあり、さすがは頭脳層集団だと感心した。

授業の出がけ、「日本人ですよね?」と日本語で話しかけられた。
社費留学で来た方とのことだった。

身近な知り合いがいたことからも直ぐに打ち解け、戦略立案の授業にも聴講させてもらった。
その後はStanfordショップでGSB Tシャツを買うのまで付き合ってもらった。

「いいんだよ。こうやってVisitして、妙なバブル感を維持して受験に励めば、きっとうまく行くから。」

こんな言葉と一緒に、GSBのカリキュラムや雰囲気について伺った。

他にも日本人在校生を紹介してもらった。

「称号としてのMBAより、経験としてのMBAが欲しかった。」

彼女の言葉は刺さった。

自分の将来のキャリアを見つめ直し、「だからMBAに行く」と悩みながら自分なりの答えを導く。
留学中はアカデミックなプロセスを経てこれまでの知識や経験を体系化できる。
留学出口を控え、社費であれば派遣元の会社で今後を如何に生きるかを考え、私費であれば2年間の留学生活をどう未来の就職先に結びつけるか考える。

この経験こそにMBAの価値がある、とその在校生は言っていた。



コロンビアに来てから、まず以 下写真の本を買った。



日本人が解説した本もいいが、ゆくゆくは英語で戦っていかねばならない以上、最初から英語で読んだらいいじゃないか、そんな発想であった。

なるほど、この本のエッセンスは以下と理解した。

・B-Schoolは将来のキャリアゴール自分でを描ける人間を求めている。
・B-Schoolは将来の企業トップや中枢に成りうるリーダーシップある人間を求めている。
・B-Schoolは自己変革を続けるMind setをされた人間を求めている。

以上の様なスクリーニングしているので、大方はそれに当てはまる人間が世界から集まってくるはずだ。

それに、ただ頭が良い集団ではなく、国籍、前職、ジェンダーの観点からもDiviersifyされていて、この環境で2年間を過ごすことの価値が深いのだ と再認識した。



翻って、自分のキャリアとMBAを照らし合わせると、どういった結論が導き出されるか。
Why MBAの核心に一歩近づいてきた。

商社では近年「貿易」から「事業投資(=中長期で企業価値を高めExitする戦略)」と言われる事業に軸足をシフトしている。

自身は事業投資の仕事に約3年携わった。
投資によりオウンリスクを抱え、それと引き替えに経営の細部まで舵取りをしていく。
「投資と経営の両輪」のビジネススタイルに惹かれ、投資と経営に関する知見を更に深めたいと思っている。

それに関する勉強を独学では取り組んできた。
滅法マクロ志向になりがちな自分は、数字という楔でビジネスに型をつける発想を身につけたいと想い、投資やファイナンスを適度な範囲で学べる証券アナリス トに手をつけた。
今は2次試験を間近に控えている状況だ。
他にも経営に関する本を手当たり次第に読んでみた。

ただやはりこのままでは成長に限界を感じるようになった。
経営や投資という高度な「業」を専門に学べる場所で思い切り打ち込みたい。

そんな想いから、「MBA留学」が徐々に自分が次に身を置く場ではないのか、と固まっていった。

同時にキャリアゴールについても考えた。
今は商社で事業投資と呼ばれる、投資と経営のハイブリッド的な仕事に従事している。
日本では一流企業の一角を占めると言われる総合商社。
働いた感想として、事業投資とは、明確な意思決定によって投資先が決まっているのではなく、グループの過去の延長線上の事情などによって決まっていること が以外と多く、投資後も経営的観点から企業価値を向上していく意識が乏しい様に感じた。

投資も経営も「何となくやっている」状況にもどかしさはあった。だが逆に自分がその道のプロフェッショナルになれば地位が築ける、いつかは自分のやりたい 様に事業を展開できる。
そう自分を鼓舞した。

しかし、確固とした年功序列の昇進制度が整っているこの会社で、上記の目標まで達するにはあと30年はかかる。
このまま留まれば給与や雇用の面から「ノーリスクミドルリターン」は手に入れられる。
日本では誰に聞いても「いい会社に勤めていますね」と言われる。不満はない。
だが、この会社に留まることは、自分が望むようなペースでの成長ステップを棄てることを意味していると感じざるを得なかった。

外に目を向けてみると、「投資と経営の両輪」で言えばPEがあり、VCもそれに近いものがある。世界、日本、区切り無くみれば無数と自分がやりたいことを 実現できそうな場所がある。

会社には社費制度があり、これに挑戦する手もある。
外の世界へ飛び立つ踏ん切りをつける意味で、会社を辞めて私費(+奨学金)で行く手もある。
正直、どちらにするかは決めきれていない。

どちらを取るにせよ、世界市場の中で「投資と経営改善」を通じてこの世にValueをクリエイトしていくには、一旦アカデミックな環境で、どっぷりそれら を学びたいという結論に至った。

こうして、第一歩としてのWhy MBAが固まったのであった。