世の中には2つのバカがいると思う。
純バカと準バカ。
純バカは純粋なバカで、いわゆる「イっちゃってるヤツ」である。
誰も思いつかないことを信じてやまず、実行に移してしまう。周りから止められていることすら気づかないこともある。
本人は純粋にアドレナリンが出すぎて、楽しくてやめられないだけだ。
次に、準バカ。この人種は基本的に常識人であり、普段は全く変哲のない世界の住人だ。
しかし誰かバカなやつを見ると、ついつい自分も楽しくなって加わってしまい、結果的にバカなことをできてしまうタイプである。
この2つのバカ以外は、一般人であり、バカなやつを見ると「バカだなぁ」と言って批判してみたり、傍観しているのが通常。
だが、戦時中の日本やドイツに見られるように世界が熱狂して、熱狂している状態が常識になったりすると、バカになるのが普通であると認識し、バカの集団を形成するのである。
得てして起こりうる順序としては、以下だ。
1.純バカが全くもってぶっ飛んだことを始める
2.準バカが純バカを見てインスパイアされ加わり、集団バカを形成する
3.さらに準バカが集結し、もはやバカが普通となり、一般人もバカに加わり、ムーブメントが起こる
人間の集団心理とは、そんなものではないかと思っている。
そんな折、おなじみTEDで面白いネタを見つけた。
それがこれ。
3分間の映像とトークで、人間の集団心理を刻銘に描写しており、笑い半分ながらに感心した。
自分はどの部類の人間かというと、専ら純バカである。
・東京から富士山まで人力(チャリ+徒歩)で往復しようと仲間たちを募り、実行した。
・学生時代の最後に「全国の学生が、学生自身の手で卒業式をつくろう!」と仲間を集め、全国5都市、延べ1000人以上の規模で卒業式を開催した。
・大晦日の日のダイビング中に空気が詰まり瀕死状態になったが、New yearを迎える瞬間のナイトダイブをどうしてもやりたくて、無理やりダイブした。
だって、しょうがないんだもん、やりたくなってしまうんだからさ(笑)
バカは死んでも治らない。死ぬまでバカなのである。
しかし、時にはバカが世の中に必要なときだってある。
確立されすぎた集団、例えば日本社会という洗練されすぎて、ルールと権力にしばられた巣窟かもしれない。
バカでもいいから、ストレートにこの国を憂い、天下国家を語り、国のあるべき姿を説いていく。
仕事上がりの飲み屋でそんなことを話したら、旅行でドライブ中の仲間たちに話したら、大抵は「バカじゃねぇのかこいつ、空気が読めないのかよ。」と思われるかもしれない。
ただ、こうしたバカが現れたときに、「たしかに、お前の言っていることは一理ある」と誰かが言えば、その空気は一瞬にして変わる。この時、周りにいる人たちは、「この会話をバカと言ったら、自分が空気が読めないやつになるだろう。」と察知する。この瞬間、当初バカだと思われたやつの発言は、重みのある言葉に変わるのだ。TEDの動画で言う、臨界点なのだろう。一人の人間が放った言葉は変わらない。変わったのは、周囲の人間という集団の「風向き」である。この風向きを変える風見鶏が「準バカ」なのだ。
自分は専らの純バカだ。最近目指す先への努力を重ねているから、目立ったバカはしていないが、根っこは変わらない。だから純バカで居続けると思う。
見えていなかった存在は「準バカ」だ。感覚的には、掴んでいたと思う。いつも自分がバカなことを思いついたら、まずは信頼できる仲間、一緒にバカやってくれそうな仲間を口説くことから始めた。
一緒にとことんバカをやってくれる仲間が集まった。濃すぎる思い出がいくつもできた。一緒にいた期間の長さなんて関係ない。一緒に過ごした時間の密度が、途切れない絆を作ってくれた。
だから、今でも、これからもその絆は消えないと思っている。
ふと、TEDの動画を見ていて、先陣切って踊っているやつみたいに、バカやっていないなーと思い、「また久々にバカやりてぇな!」なんてぼやいたりしたが、それ以上に、自分みたいに純バカが先陣切ってバカやった時に、初期から一緒になってバカやってくれる「準バカ」の存在が、いかにありがたいものだったかを気付かされた。
自分の中で、MBAの準備期間は将来に大きな飛躍をするための、しゃがみこむ時間だと思っている。2年後に飛び跳ねるときは、日本というコミュニティにとどまらず、世界中から集まったやつのなかで、そして米国という異国の地で、思い切りバカをやるはずである。
その時には、準バカの存在をより大事にして、仲間たちとムーブメントを作っていくことをより意識して物事に取り組みたいものだと思った。
バカな動画から、なんだか熱いトークになってしまったが、まぁたまにはこんなのもいいだろう。
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