2015年夏(Class of 2017)からの米国MBA留学を目指す、某仕事人の軌跡

2012年7月12日木曜日

10万PV到達(驚)

久々の投稿。

色々と環境の変化が続いている中、読者のみなさんが読む中身のあるネタができたら投稿しようと思っていたら、ついつい時間が空いてしまった。反省。

と思いつつ、PVの欄を見たら、見慣れない数字の並び。

桁が、ついに6ケタ。10万PVを超えた。

さすがにここまで来ると、自分でも人のブログを見ているような感覚になる。

それだけ多くの人がMBA留学に関心があり、またその中には同じくもがきながらもまい進しているのだろうと、察しがつく。

最近は勉強のペースがスローになりつつ、朝つらくてもGMATのMathを10分でも15分でも取り組み、勉強そのものをとぎらせないようにしている。

当初7月にはGMATを受験しようとしていたが、これもリスケの必要がありそうで、ただ一方でだらだら先延ばしにしないよう、日々のコントロールをしていきたい次第。

取り急ぎの投稿。

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2012年5月31日木曜日

突破口

1ヶ月間彷徨って、ようやく見つけたと思う。


今後の出願戦略。


もう一カ月も前のEntryになってしまうが、突然決まった人事異動により、任期を全うする前提だと来年(13年夏)からの留学が難しくなるという見通しが立ったことを綴った。

それ以降は、

①この重責かつ総合商社の経営の中枢に携われるポジションを途中リタイア(任期は13年9月末まで)して来年夏(13年7~8月)に飛び出してしまうか、
②任期を全うしてからの留学(即ち14年夏)にターゲットを変えるか

という葛藤、さらに②については

A:Defferを前提に今年(12年秋~13年春)のRoundで出願するか
B:来年(13年秋~14年春)のRoundで出願するか

という選択肢のどれをとるかという2重の葛藤に、どうしたものかと頭を抱えていた。

1ヶ月ほどぼんやり考えながら隙間の時間でGMATを勉強していたが、どうしても勉強に身が入らず、だらだらと時間を過ごしてしまっていた。先日のGood Luck Party2012に参加した時も、他のアプリカントと話しながら、自分の方針がぐらぐらしていることにも気付いた。

どうにか道を決めないといけないと思いつつ、一人で抱えていたが、不意に今日、同じ部署で某米国東海岸のTop Schoolを卒業した先輩(前から正直ベースで会社の進退も含めて打ち明けていた)に相談する機会があり、率直にぶつけてみた。



まずは上記のシナリオ①か②のどちらを選ぶか。

会社的には言わずもがな①はまず許されない。そもそも任期が短く、若手はほんの数人しかいない中で、組織的には抜けられては困るし、筆者としても相当引け目を感じる。会社とネゴって「BSに行きたいんです!任期を繰り上げ終了させてください!」なんていうわがままも通じる可能性はまずない。つまり、会社を辞めでもしない限り、①の選択肢は実行できない。

とはいえ、裏を返せば、辞めると決めてしまえば、あまり会社の都合など考えなくてもいいというのもまた事実。

では、MBAを絶対優先して辞めてしまえばいいではないかと思った。が、そこはやや侍魂が許さないというか、やはりこれだけ重責を任ぜられて、ミッションを背負うとわかって引き受けた(まぁ拒否権は実際なかったが、引き受けるとは言った)ので、途中で投げ出すことは自分のディシプリンとしても許しがたい部分があり、最後までその職務は全うしたいと思った。「立つ鳥跡を濁さず」といったところだ。

当然留学が2年半先になることで、年齢的には30歳になるタイミングだし、合格率は多少なりとも下がるし、私費の場合転職リスクが上がるし、モチベーション管理は大変だし、デメリットが目がつく。

だが両者を天秤につるしてみてもなお、潔くやりきることに意義と仁義を感じた。ということで①は消すべきだと思った。こんな話を先輩にしたところ、それは立派なことだと推してくれた。


②のなかのAとBのケースどちらを考えるべきか。ここは先輩もふむふむと聞いていた。というのは、以下の観点から、AとBで戦い方がまるで変わるからだ。

・私費or社費
・Essayの内容の濃さ
・Recommendationの頼み方
・Re-applyの影響

ケース毎に書くと以下のようになる。

<Aのケース>

出願時期は12年10月~13年1月頃。一方社内選考は毎年12月から始まり、2月に結果が出るため、出願時点ではApplication formにSponsoredと書けないため、出願上自動的に私費前提となる。

また、何より悩ましいのは、仮にSchoolから合格通知をもらい、Defferを認めてもらったうえで、社費選考に落ちた場合だ。

Recommendationを書いてもらう上司にはきっと、「お願いですから、書いてください!もちろん、社費で受けるからには、辞める気なんてありません!でも、受験のチャンスを増やしたいので、便宜上私費の前提でサポートしてください!ほんとです、やめませんから!」などと、会社に誠意を尽くすような説明をするだろう。当然上司としては、「もし仮にSchoolだけ通って社費に落ちた場合、そこまで会社のため云々というなら、Schoolを諦める覚悟はあるよな?」と念を押したくなるだろう。そして自分も、その念押しにYESというだろう。

でも、実際にそのケースになった場合、MBAへの切符を手にしたのに、諦めることができるだろうか。正直、答えはNOだ。会社を辞めるという覚悟をしてでも、やはり初志を貫徹するという選択肢を選ぶと思う。その場合、上司を裏切る形になるが、それは腹積もりしておくしかない。

Essayの濃さという観点では、現在いる金融の部署では10カ月の経験でやや中途半端感があるし、出願時点では8月から異動する新部署での経験が3~6カ月程度と、いいEssayが書けるような仕事上の結果を出せているか不明だ。その中での出願。懸念は払しょくしきれない。

ただここは先輩のアドバイスだと、あまり心配する必要はないとのことだった。それは、あくまでEssayは骨太なビジョンやPost MBAのキャリアを語るべきで、直近の細かな業務上の成果が評価される場面はそんなにないとの理由にもとづくものだった。

むしろその先輩に言わせれば、Re-applyも多少はネガティブに働くSchoolはあろうが、シンプルに考えれば、受験回数が多ければ多いほど合格率は上がるし、損はあまりないとのことだった。

そう考えると、Aを選ばない理由はさほどないと思えた。


<Bのケース>

Aのケースの裏返しなのであまり書く必要がないくらいだが、敢えて書いておこう。

出願時点(13年10月~14年1月)では社費があるかないかは結論が出ているし、Essayの内容的にも新部署の任期を完遂してから書くことになるので充実した内容になるだろう。

Recommendationについては、社費が通っていれば会社に残る前提で上司から気兼ねなく書いてもらえるし、社費に落ちてしまったら、覚悟を決めて、会社を辞める前提で上司に書いてもらえばいい。裏切りみたいな後味の悪さも残らない。

きれいな状態での出願になるように見える。

ただ、Criticalなポイントしては、出願時点で29歳かつWork experience満6年というのは、Candidateの年齢的なMid rangeからすれば外れているし、合格率もぐっと下がる年齢でもあるということを忘れてはならない。

更に、ここで気合いを入れたにも関わらずTop School全てに落ちてしまった場合、翌年(15年夏からの留学)には更に厳しい戦いが待っている。このリスクに耐えられるか。


<AB両方を踏まえて>

その先輩との会話の結果、Aで行ってみようとの結論に至った。判断材料としては、

①直近の仕事では多少の未完成感が残ったとしてもデカいビジョンさえ語れれば大丈夫であろう
②1歳でも若いうちに受験し(Schoolには出願時点でDefferするなど言うつもりは全くない)、早めに留学への切符を手にするべき
③ケースB一発に賭けて出願に失敗したら、後がつらい。一発勝負の前に、ケースAのように保険としてでもいいので受験して受かったらラッキーという感覚でやればよい

という点があったからだ。

ずっともやもやしていたが、その先輩との会話で、突破口が見えた気がした。


会話の最後は百も承知のシンプルなことだが、

「受かるスコアを揃えておくのがまずベース」

つまり、GMATをさっさと終わらせるべき。これに尽きた。

迷いがあったせいか、どうもGMATの勉強に身が入らずにいた。

GMATかぁ、本当に大変で、手ごわい奴だ。特にMath。毎日コツコツ勉強しているつもりだが、なかなかスピーディに解けん。SCは自信を持って答えたつもりがどこで見誤ったか、間違ってしまうこと多数。CRはAffinity野口先生に伝授してもらったStrategy(勉強に身が入らなかったとは言え、ゴールデンウィークはGMAT勉強漬けだった)を使ったところ前よりは正答率が上がった気がするが、スピードが出ん。とにかく、やっかいなやつだ、GMATというものは。

またもやしみったれ発言の連続で情けないが、本音をさらすとこんなところ。しかし、そんなんではだめだ。今年出願するなら、なおさらGMATは早々にやっつけてしまわねばならない。

明日もちゃんと朝起きて、Mathの問題を解いてから会社へ行こう。電車の中ではSCの一発切り表現を覚えよう。早く仕事を上がれた日には、寄り道せずに帰宅してCRで頭を使おう。週末は遊びにいきたい気持をこらえて「GMAT・GMAT・GMAT」とぶつぶつ言いながら、机に座ろう。それでいいんだ。一歩ずつだ。近道などない。そして時にはこのブログで愚痴ることもあろうが、愚痴ってすっきりしたら、弱い自分に負けないで、あとはやればいい。

と、気休めかもしれないがこう自分に言い聞かせて、明日からまた気を引き締めてテンション上げて勉強に励むことにしよう。

最後に、いつかのEntryで見たことのある写真のアップグレード版を共有したいと思う。(左下、ちょっと追加事項 笑)

頑張れ、俺!!



PS.ぜひ読者の皆さんも、くじけそうなときにはデスクの前にこんな張り紙をはることをおすすめします(笑)

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2012年5月23日水曜日

Good Luck Party 2012

久々の更新。

5月20日(日)に、MBA友の会が主催するGood Luck Party2012に参加してきた。
自身も運営幹事を務めているが、今回は当日参加のみ。

「Good Luck Party」とは、MBA友の会が主催する、毎年恒例のビッグイベントで、その年の夏頃から留学に旅立つキャンディデートを盛大に送り出す壮行会イベントである。

毎年150~200人程度集まるこのイベントには、ホルダー・キャンディデート・アプリカントが程良くまじっていて、自分と同じステージの人はもちろん、それぞれのステータスの人と交流できる有意義な会だ。

例年ビッグな講演者を呼んでいて、例えば当時ファーストリテイリング社長だった玉塚氏、DeNA創業者南波氏など、名だたるMBAホルダーの著名人から刺激あふれる話を聞ける貴重な会だ。

今回はKellog97年卒、日本交通の川鍋一郎氏がゲスト。

創業者3代目として継ぎ、債務超過の会社を立て直し、「タクシー王子」というニックネームを持つ大物。


見ての通りナイスガイで、講演開始早々ユーモアあふれる話しぶり。聴衆がみるみる話に吸い込まれていく様子がわかった。

創業者3代目として入社したときは、債務超過。社員の士気は低い。おかしな柵や慣行だらけ。前代の社長がメモしたノートがあらわにもスクリーンに投影されたが、そこには「どうせ300億円(だったと記憶)なんて無理!」と、借金を返せずバンザイしてしまうような暴露トークもあった。



そんななか、川鍋氏が注力したのが、地道に分析して導き出された「小さな改善の仮説」を、とにかく数が勝負との割り切りのもとチャレンジして、10個に2個くらいヒットを打つくらいの気持ちで取り組み続けるということだった。

はじめは改革者への風当たりは強く、労働組合の刊行物に

「一郎社長はどこまで社員を苦しめれば気が済むのか!!」

と書かれたり、クールビズをやろうと社内にメッセージを発信したときには、

「一郎さん、暑苦しいのはあなた。あなたがいなければ、会社はもっと、クールビズ」→(会場、笑)

などと社員からメッセージがあり、くじけそうなことが何度もあったとのことだ。

しかし、何度も、何度も、何度も、社員を集めて意識改革を呼び起こす対話に時間を費やしたり、10個に2個くらい本当にヒットを打ったりと、結果を出したことによって、響く社員には響き、協力者があらわれ、社員の士気高揚と業績の回復につながったとのことだった。

印象的だったのは、以下。

・出しやすい結果、目に見える分かりやすい結果をまず出す
・結果が出たら、アピールしまくる。逆にミスったら流す(隠す、ではない)
・10個やったら2個必ずあたるから、とにかく数をこなす

こんな話を聞きながら、

「結果を出す」→「信頼を獲得する」→「信頼の集積によって、大きな組織を動かす」

というLessonを感じ取れた。

また、プレゼンのスライドでは、随所で明らかに社内文書と思われるものや、「そこまで言っていいの!?」という情報も含まれていたが、ぎりぎりまで伝えるからこそリアリティと説得力が出るし、競合に聞かれて困る話だって、本質ではマネできないので言っても差し支えない、との説明で、あっぱれ、というところだった。

最後、「質問は一人だけ受け付けます」と司会が言うので、これはチャンスと思い、まっすぐ手を挙げた。

挙げたのは筆者一人。川鍋氏からは「このシチュエーションで真っ先に手が上がるとは、すばらしい!」とお褒めの言葉を頂きつつ、素朴な疑問をぶつけてみた。

「抵抗勢力に立ち向かう中で、自分が潰れないようにするために、どんなポイントに気をつけたのですか?」

答えはこうだった。

まず、「好きな人としか付き合わない」こと。これは理解できない人を簡単に見切るような視野の狭い行動ではなく、徹底抗戦の姿勢を見せる人より、まず理解し味方してくれる同志と一緒に過ごす時間を選択的に増やすという意味だった。

やはり人間弱いもので、人に突き刺されるような仕打ちをされればテンションは下がる。当り前だ。一人二人と、打たれても打たれても戦い続ける先鋭的な戦士は探せばいるもので、こうした人たちとチームを組むことで、抵抗勢力と戦えるようになるとの話だった。

また、自分も戦えば戦うほど戦闘能力が上がり、多少の矢であればひょいひょいよける(受け流す)身軽さもついてくるので、余計なストレスを感じずに戦えるという回答だった。

たしか前にStanfordのAlumniイベントで元・産業再生機構COO/現・経営共創基盤創業者の冨山和彦氏とお話させていただいた際にも、抵抗勢力との戦いにおいて重要なのは、無理に人の考えを曲げようとしても反撃をくらうだけなので、理解してくれる人から固めにいく、というようなお話を聞いた記憶があっただけに、重なるところがあった。 

単なるナイスガイではなく、苦難を乗り越えて偉業を達成した男の話は心に響くものがあるなぁ、と痛感した筆者であった。



講演は大きな拍手で幕を下ろし、すかさず名刺交換を済ませ、歓談タイムへ。


このブログから知り合った方が某トップスクールに合格されていたのに驚き、またその方から声をかけて頂いて、こういうブログを書いていたことでいろんな人と繋がれて面白いなぁなんて思っていたら、その場で一緒に話していた方が「あれ、その(筆者の)ブログ、読んだことある!」となった。更には近くにいた方から、「あのブログの筆者の方ですよね?」次々と声をかけられ、驚きが止まらなかった。

そういえば、もうすぐこのブログも累計PVが9万に達する。最近は1日400~500PV、月間12000~15000PVにも上る。PVの数字の感覚がよくわからなかったが、これほどまでにインパクトがあるのかと気づいた。


2次会へ。

ここでもまた話した方から「ブログ読んでいますよ」と伺い、ますますこれは留学達成しないとやばいぞという、いいプレッシャーになった。

また、1次会でもう一人講演をしていた、ロコンド.jpの田中社長とも、少々込み入ったお話をすることができた。

ここではあまり書くつもりはないが、筆者が立ち上げたNPO団体で、ちょうどファンドレイズを行っていることもあり、田中社長がどうやって09年にUC BerkeleyのMBAを卒業し、起業してからわずか1年で22億円の出資をベンチャーキャピタル(ドイツVCから15億、日本VCから7億)から獲得できたのか、Tipsを聞いてみた。

非常にシンプルな回答だった。

・「やりたいことはコレ、それを実現する仲間がこれだけいる。」というような、30秒でわかるピッチ(説明)をする。
・FactでGapをえぐりだす(例:▲の市場はアメリカで●億円ある、中国でも●億円ある、でも日本では●億円しかない。But▲は誰もがつかう。日本で▲の市場が膨らまないはずはない)
・電話かメールが一番早い、資料は作らんでいい。特にパワポは悪。エクセル1~2枚でOK、あとは口で説明すりゃわかる
・金余っている人世界でたくさんいる。片っ端から金くださいと聞けばいい。聞くのはタダ。当たればウン億。安いもん。


ちなみに筆者のファンドレイズの状況を聞いて一言。

「NPOだから、財団じゃない?早いところまずビルゲイツ財団に聞いてみなよ。ホームページからメールするだけだよ。もし断られても、しばらくしたら相手忘れるから、また時間置いてチャレンジすればいい。」

冗談ではなく、いとも簡単に言ってくれた。並ではないことをする人の視点は、常人のチャレンジ感覚を凌駕していた。早く自分もその視点まで首を伸ばしたいものだと思った。



最近はGMATの勉強を進めながら、前回のEntryに書いたとおり、2014年夏に留学時期をずらす方向が濃厚になってきていることもあり、MBA留学を通して得られる「何か」を改めて確認したくなっていた頃であった。

MBAコミュニティに関わることで、飛び抜けた経験をした人たちに自然と会えることがまさに今回のGood Luck Partyへの参加から再確認できたので、大変有意義な一日となった。

日々の地味な勉強の合間に、取組み意義に立ち返るこうしたイベントに顔を出すことは大事だなぁと感じた次第であった。


PS.最近はブログを読んでいる方とリアルに繋がる機会が増え、ブログに書くことがこっぱずかしいことも増えてきましたが、これまで通りしみったれたことも、嬉しかったことも、全て赤裸々に書き綴っていこうと思いますので、今後も読んでいただけたら幸いです!


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2012年4月22日日曜日

晴天の霹靂と苦悩

人生とは、悪戯なものである。


一昨日、突然の人事内定があった。職務事情なので詳細は書けないが、要は、会社経営の中枢に関連する部署への異動が決まったのだ。

任期は2012年8月~2013年9月末(1年2カ月)

この間、職務の重さ、与える影響力の大きさから、相当高いコミットメントが必然的に生まれてくるし、その職務内容を聞く限り、とても手を抜ける立場にない、というほどの部署なのである。

それが一昨日、突然決まったのだ。

ただ、それはほんとうに晴天の霹靂だったかと言えば、そうではない。そのポジションに近い仕事にこれまで多少携わっていたし、前任者からの打診に対しても、MBA留学を最優先にはしたいがきっぱりお断りする、というところまではしていなかった。

その意味では、きちんとその部署へのPathに蓋をする対処に抜かりがあり、自分にも非があったのだろう。

起こることは何か。一昨日の衝撃でうまく整理しきれていなかったが、以下にまとめてみたい。

◆全体表



◆出願スケジュール

2013年のクラス(Class of 2015)が厳密に始まる時期は2013年7月初頭のSummer Schoolからだろう。早い人は6月下旬に渡航して、7月より開始するSessionに参加する。ということは、新しい職務の任期を全うする前提においては、13年9月までは任期なので、そもそも13年スタートが難しいということになる。

Summer SchoolはInternational Student向けに設けられるクラスで、米国の教育スタイルに慣れたり、基礎的な英語でのDiscussionができるようになる予備授業で、全員が受けるわけではない。ただし、自分の様な純ドメの人間にとっては、Schoolへの参加は必須だろうし、突然9月末(任期を前倒し終了することも考えられる)からクラス参加、というのは無理がある。

任期を完全に全うしてからの出願、ということなら、この時点で自動的にClass of 2016へずれ込むことになってしまう。

Class of 2016の出願を想定したときに、数値的には以下になる。

留学時点の年齢:30歳(になる年)
留学時点のWork Experience:満7年
卒業時点の年齢:32歳(になる年)

この数値、どうだろう・・・

ぱっと見、若年化が進んでいるHBSやStanfordなどDream Schoolは少なくとも、相当厳しい戦いになることが想定される。(Stanfordでは年齢にこだわりないとは言っているが、平均が4年ということで、ボリュームゾーンからは外れることは間違いない)

そして、当初から自分のなかにあった、「30代のビジネスライフをロケットスタートするための、20代の締めくくりとして、MBAを」という観点からも大幅に崩れることになる。この点、残念である。



◆「Essayに書けるような職務経験」と「Recommendation」

昨年10月に今の部署に移ってきて、我武者羅に働いた甲斐もあり、部署内では一定の評価をいただき、上司とのチームワークもSolidなものになったのだろう、質のいい仕事がバンバン入ってくるようになった。

とは言っても、新しい部署への異動までの期間を数えるとわずか10カ月しかなく、当然ラーニング期間も含まれていたわけで、自分としても、「これは自分が中心的になって成し遂げた実績だ!」と断言できるような仕事とは言い切れない状況にある。(もちろん、金額的にはけっこうな額の金融ビジネスに携わったので、こねようと思ったらいくらでもこねられるではあるが)

これは当然上司も同じで、Recommendationの書きぶりには難しいところがあるだろう。更に言えば、アドミ側としても「10か月でできる仕事がどのほどのものか」という視点である程度は割り引いて見てしまうだろう。

では、新部署での経験を書けばいいのでは、という話が出てくる。上の表を見てもお分かりの通り、任期満了直後に出願期間を迎えることになる。直前の1年2カ月をネタにしてEssayをかけばいいのではないかという話ができる。

たしかにこれは一理ある。総合商社という巨大な組織を相手に、経営の中枢に近いポジションで働けるため、通常の若手社員からするとかなりJump upした経験ができる。これは伝え方次第では相当なバリューがあるはずだ。また、先日のEntryでも書いた、「事業経営を軸足におきつつ、金融の力を使って、世界に価値を創造すること」というグラウンドビジョンからしても、この総合商社というとてつもない経営体の事業をとらえられるようになることは、大変意義のあることだとも思う。

時間的に専門性(金融)を追求することが難しくなる向こう1~2年は、単純だが

・全部の部署で死ぬほど働いて密度を上げることで専門性を一定レベルまで担保する
・部署を転々とすることをTake chanceして幅広い視野を身につける

の2点につきるのだろう。どの組織でも「ぶち抜く成果」を出せば、極論、誰でもRecommendationは書いてくれるはずだ。

ただ、繰り返しになるが、それぞれの部署での経験をストーリーとして仕立てないと、単なる社内Job Hopperに成り下がってしまうため、各経験をうまく腹に落としておかなければならない。


◆スコアメイキング

TOEFLの有効期限は気になるポイント。先日めでたく103点を獲得したが、これが2012年3月25日だったので、有効期限は2014年3月25日。単純に考えれば、1stか2ndで出願すれば、有効期限内なので何も気にすることはないように思える。一方、なぜ2年弱も前に取って出願が遅れたのか、など指摘するSchoolがなくはないような気がして、どう見えるかがやや気がかり。

先にも仕事を死ぬほどこなさないと真の成長につながらないと書いたとおりで、さらに新部署ではそもそもの職務の重さもあり、常時気を抜けず、相当ハードな毎日が続くことが想定される。任期中にGMATを悠長に勉強する時間がそもそもあるか、大きな懸念だ。

では、異動までの残された3カ月程度で高得点を取ってしまうのはどうだろう?これはあり得る対策だ。GWは勉強をみっちりやる予定だし、7月後半にとりあえず受験日設定はしてある。これをターゲットに、GMATに集中すれば達成できる可能性は十分ある。ただこれも一方で、7月までをターゲットに現在の部署で新規事業の立ち上げを画策しており、5~7月のどこかで1カ月ほど海外に缶詰で死ぬほど働く可能性があり、GMATどころではないかもしれない。(とはいえ、英語圏なので、逆に相乗効果で成果が上がるかもしれない)

何事もできるうちにこなすという意味では、7月までに最低1回はGMATを受験し、高得点を目指すというのが、まっとうな選択肢だろう。


◆Essay

これは大変悩ましい。去年アゴスの特別奨学生に選ばれながらも、約束の12年夏からの留学を実現できなかったことから、一旦受講期間は終了したのだが、実は、スコアが出ていなかったので事実上ほとんどエッセイカウンセラーとの会話がなく、支払った金額をドブに捨てた状態になっていたため、ネゴの結果1年受講期間を伸ばすことにしてもらっている。ただこれも相当頭を下げたし、AGOSもやむなく飲んでくれた話なので、そこに来てもう一年伸びるという事情は、お互いに困った話である。

ただ、こうなった以上、AGOSには腹を割って事情を説明するしかなく、相手に迷惑をかけないためにも、潔く受講延長を取り消してもらうことを申し出るべきかとは思う。

それか、いっそのことDefferを前提として今年出願して合格をとってしまうという策もありえる。


◆社費と私費

Essay以上に、スポンサーの考え方には、相当悩ましい事情がある。昨年いろいろ考えた末社内選考を受験したが、この際に上司とは、「12年中は現場で腕を磨き、12年冬の社内選考に再チャレンジし、13年秋冬に出願し、14年夏から留学することを目指そう」という話で着地していた。その意味では、今の状況を順当に考えれば、悩むことはないように見える。

だが、AGOSとは12年秋冬の出願(順当にいけば13年夏からの留学)という話で折り合いがついていた。そのズレはというと・・・

作戦1:筆者が落選した13年夏からの社費留学に無理やりねじこむ。つまり、社費が決まったにも関わらず肝心のSchoolに受からない、もっとひどい例ではスコアがそもそも出ない、という人が例年少なからずいるようで、その人らが諦めるタイミング(13年1~3月ころ)に、筆者が「実は受かってました、留学させてください」と躍り出る、という作戦。実際これは過去事例があるようで、あわよくば、という考えである。

作戦2:Defferを前提に出願。つまり、出願は12年秋冬に終わらせてしまい、Schoolとネゴの上、留学時期を13年夏から14年夏にずらすという作戦。これはむしろよくある話で、仕事の都合で1年遅らせるというのはどのSchoolで受け入れ体制が整っているとのこと。ただし、Schoolによっては一切の事情を問わずDefferを認めないらしく、綿密な調査が必要だ。そして、先にSchoolの合格を決めてしまってから、社費選考を事後的に受け、社費をつけてもらう。

ということで、社費とAGOSの受講期間がそもそもずれていることにより、上記の作戦を考えていたのだが、そもそも新部署の任期の都合で作戦1が自動的に消え、作戦2しか残っていない。

もしくは、AGOSを一旦辞退して、上司と握っていた社費再チャレンジ路線に絞るか、という選択肢になる。(AGOS受講期間の再々延長(13年秋冬の出願)を申し出るという裏ワザは考えられなくもないが、さすがにやりすぎ感がある。)

整理すると、出願戦略は以下の2択に絞られることになる。

①作戦2(Defferを前提に12年秋冬に出願)
②13年秋冬に出願

①の場合は、②の出願スケジュールを念頭に置いている上司を説得しなければならない。上司としては、「若者よ、あせるな。順当に②のスケジュールでいいじゃないか」という反論をしてくる可能性が多分にありえる。

また次なる質問として、「じゃあ、仮に①でDeffer含めてSchoolに合格し、社費がつかなかったらどうする?Schoolを諦めるか、会社をやめるか、どっちだ?まさか、会社をやめるとか言わないよな?」というものが想定される。Recommendationを控えている身分として当然口先では、「もちろん、Schoolを諦めます!」と言うだろうが、いざ実際にSchoolに合格して社費がつかなかったら、正直に書くと、Schoolに最短で行ける手段を選びたいと思っているので、会社を辞めざるをえないと思っている。その場合、上司から「Schoolを諦めると言ってたじゃないか!この裏切り者め!」と非常に後味の悪い縁切れとなることが目に浮かんでくる。

①は確実かつ早期に決着をつけられる分、自ら背水の陣に追い込む危険な選択肢でもある。

②は、次のポイントで詳しく書くが、モチベーションと英語力の維持が大変というのが最大の難点で、次いでAGOSのサポートをせっかく再延長していただいたのに、それが無効になってしまう可能性が極めて高い、という点だろうか。

一方、社費や上司との人間関係上都合よく、Defferが不可なSchoolも受験できるという点では、メリットはあるだろう。また、新部署の経験もちょうど満了する頃にEssayを書くことになるので、そこでの経験も厚く書けるはずだ。


◆モチベーションと英語力の維持

14年夏、となると、2年以上先まで留学を先送りすることになる。たかが2年、されど2年。どっちとも取れるが、今の自分にとっては、10年の初頭にMBA留学を決意して当初は12年夏をターゲットにしていたし、それを13年夏にずらした時点で相当悔しかっただけに、更にもう1年、というのは、大変耐えがたいものを感じる。

初志を打ち立ててから、4年後の実現か。。。考えただけで、得も言えぬものがふつふつとこみあげてくる。

グッとこらえて、こらえぬくしかないのだろうが、それにしても、

!!!!!!!!!!!!(だけど黙る、耐える!!)

という心境だ。

だからと言ってMBAへの想いが途絶えることはないので、その点は全く歯牙にもかけないが、この間にモチベーションを高く上げる環境を整えておくかは、考える必要がある。

・現在運営幹事を務めているMBA友の会に積極参加する
・各Schoolの在日Almuniネットワークにガンガン突っ込み、卒業後の一員となったつもりで交わる
・在日外国籍MBAホルダーと定期的に交流や勉強する場をつくり、勝手にMBA留学中の環境に近い状況をセットしてしまう

ぱっと思いつく限りはこんなところだ。

もうひとつ、英語力の維持も難題。これまでTOEFLで何度も勉強から逃げ、打ちのめされ、また挑戦し、何とか勝ち取った103点。穴のあいた浴槽にお湯を注ぐようのと同じように、練習を怠れば(=お湯を入れなければ)、英語力(=浴槽の水位)はみるみる下がっていく。13年秋冬の1stに出願するとしても、あと1年5カ月はじっと英語力の維持に取り組まなければならない。

この意味は、今までの勉強を振り返ると、そら恐ろしい話だと筆者には思える。

勢いに乗ってきている今、一気にGMATまで終わらせてしまい、その流れで今年の秋冬に決着をつけたい気持ちにはなってくる。うーん、これも大きな論点だ。。。


◆結論

なんだかんだ書いたし、重複するが、やはり選択肢は以下2つしかない。


①作戦2(Defferを前提に12年秋冬に出願)
②13年秋冬に出願

まずはAGOSに相談し、どちらの選択肢を基本路線にするか決める必要がある。また、いずれにせよ、GMATは7月中に何とか高得点を取るべく、急ピッチで勉強をするほかない。

嗚呼これはもう修羅場以外の何物でもない!!

やれることに集中し、気を抜かず、引き続き走り抜けよう。

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2012年4月4日水曜日

ついに達成!!悲願のTOEFL100点超え!!!

ついに出た!!!!

TOEFL103点!!!

R29
L24
S22
W28

長い戦いだった。苦しかった。
しかし、諦めなかったことで、掴み取った悲願の100点超え。

もう28回も受験した。いったいいくらETSに上納金を納めただろうか。
だが、この際そんなことはどうでもよい。

とにかく、この結果にまずは一人祝杯をあげることとしたい。

できる限り詳細を思い出してみよう。


<開始前>

前日に有給休暇を取り、BarronsのPC版模試を一回分受け、あとは昼寝をたくさんして、体を休めたおかげもあり、当日はいつもにないくらい体調万全。

いつもの通り、板チョコ半分を行きの電車でほおばり、多少の100%果汁オレンジジュースを飲み、頭に糖分を充填。

以前のEntryでも書いた、気休めかもしれないがツボを刺激して、集中力を高める。

入室時間は9:50頃。実はこの時間帯が一番Sweet spotなのかもしれない。理由は追って書こう。


<Reading>

Passage1が終わった時点で経過15分。1Passageあたり20分の時間配分からすると、上々のペース。以下の点に気をつけながら、淡々と進める。

・単語問題は知っていれば速攻で選択、あやしければ前後の文脈で判断。
・一問あたり時間をかけすぎないように進む。わからなければざっくりクリックで、あとにまわす
・メモは、自身のない問題の番号のみ書きとる。内容については取らない(時間の無駄)

<Listening>

どうしても弱点が弱点のままであったため、24点という結果だったのだろう。ここについては、いつも全力を尽くしているが、手法含め、なかなか25点を超えられない。日々リスニング問題を聞きながら通勤しているが、これでは足りないか。

メモの取り方については、毎回試行錯誤している。聞いたままがっつりメモを取るパターン、重要そうな部分のみを書き取り、あとは暗記するパターン。今回は前者を採用し、書けるだけ書いた。今まででも手ごたえあったほうだったが、この結果ということを踏まえると、次回以降は要検討。

一方後者は、実際は重要なMinor Detailが問題になったりして、そこを聞き逃したり記憶が曖昧になってしまうこともあり、結局どちらの戦略でいくかはまだ定まっていない。

<Speaking>

ここ最近コンスタントに23点以上出せていたところ、よりによって22点というのが悔しい。
たしかにこの日はミスった感があった。

Independentでは、内容は忘れてしまったが、2題ともトピックの個別性が高く(最近の傾向)、ドナルドの戦略がうまくフィットしなかった。このためIndependentでGoodが出せず、伸びがよくなかったのだろう。

そのほかの問題では、4題目がいつもと違って、講師が紹介する例が2つあり、内容が煩雑だったため、ここで点を落としてしまったのかもしれない。あとは思い当たる節はない。

話は変わるが、最近の発見として、会場に9:40到着が一番いいのではないかと思っている。というのは、Listeningの第3セクションが毎回ダミー問題で、お決まりの"Student ID紛失事件"か"Bird migrationの文献がなくてこまりました事件"の2つであり、ここをボリュームゼロにして他の人のSpeaking問題の回答をつぶさに聞くことができるのだ。

ちなみにダミー問題は、ETSが統計のために出題しているらしく、一切回答しなくても点数に響かないセクション。

9:40の理由は、手続き含め9:50頃開始となり、自分のListening第2セクションが終わるくらいに9:30あたりに到着した人がSpeakingを開始するので、自分はListeningを静かな環境で集中して解け、またダミー問題中に紙とペンを交換しSpeakingの回答メモテンプレートを作成したり、ほかの人の言うことを聞くなど、準備ができるからだ。

この戦略でここ最近23点以上をコンスタントに出せていただけに、今回の22点が悔やまれて仕方ない。

<Writing>

自身過去最高得点の28点。これは明らかに手ごたえあったので、取るべくして取った点数だ。

Integrateは、いつもの通りお決まりのテンプレートを2-3分程度で、一瞬の迷いもなく高速タイプで打ち込む。筆者はAffinityから伝授してもらったシンプルなテンプレートを毎回利用する。

Both the reading and the listening discuss ... However, while the reading emphasizes ... , the professor stresses ...
First, the passage describes that ... However, the speaker says that ...
Second, according to the author, ... By contrast, the lecturer says that ...
Third, the reading suggests that . However, the professor says that ...

と、こんな感じだ。ご覧の通り、Bodyパラグラフを見て頂くと、Howeverを2回使っているし、リスニング部分への導入が says that で全部同じだ。この部分は今まで複数の先生に聞く限りは、点数の差異にはつながらないとのこと。であれば、このくらいの重なりはOKなのだろう。

そのほかは、以下を注意しながら書いている。

・テンプレート→ListeningのBody→導入→ReadingのBodyの順番で書く
・Listening9割、Reading1割程度のボリューム感
・Listeningは可能な限り聞き取ったフレーズを打ち込む。それに尽きる。ただ、文章をなめらかにするために多少自分の言葉を使うことはOK

Independentは、なんと偶然なことに、前日に練習していたトピックと全く同じものが出てきたおかげで、スムーズに取りかかれた。とはいえ、前日の練習ではアイデア出しに時間をかけすぎたので失敗したし、前日書いたことと全く違うことをそこでは書いた。要は、集中力を高めてやるしかなく、あとは問題との相性は運みたいなところもあるので、難しいものが出たら残念賞、とでも割り切るしかない。

その中でも、気をつけるポイントとしては以下。

・文章の構成要素をきちんと盛り込む(以前のEntry参照)
・アイデア出しの時間は必須だが、MAX3分程度にとどめる
・Introduction→Conclusion→Body1→Body2の順で書く。よくあるパターンとして、Bodyに熱中しすぎて、Conclusionを書き忘れたり、かなり中途半端になってしまうことがある。Bodyは内容が完結していれば多少ボリュームが減っても問題ないので、要素を書き洩らさないようにする

で、今回は、「学校で子供がいい成績をとるために、テレビを見る時間を親がコントロールすべきか?」がテーマだったので、以下のような構成で書いた。

スタンス:
賛成

理由:
①テレビの時間をリミットすることで、勉強をせざるを得ない環境が整う
具体例→Demandingな父が、毎日テレビの時間を計測し、時間に達するとTurn offしてしまい、私を勉強机に座らせた。はじめはいやだったが、徐々に勉強の楽しさを知り、高得点を取った

②テレビの時間をリミットすることで、困ったときに助けてくれる友達が得られる
具体例→優しい母が、「最も大事なのは友達と過ごすこと」と教えてくれ、私はテレビを見るより友達と外で遊んでいた。As she had predicted,数学のテストで困ったときにBest friendが懇切丁寧に教えてくれたおかげで、いい点数をとれた。持つべきものは友であると痛感した

と、こんな感じだ。いずれも、事実無根の作り話だ。TOEFLに慣れると、やたら想像力に富んだ人になれるのかもしれない(笑)

とにかく、それらしい作り話をさっと練り上げ、もっともらしく書ければいいのである。今回はすぐ作り話が思い浮かんだので、アイデア出しは1分程度にして、あとは最後まで目いっぱいかいて、420Wordくらい打ち込むことができた。

今回はIntegrate、Independentいずれも集中力高く、過去最高点となったのだろう。




と、レビューするとこんなかんじだ。まずはこの結果に祝杯をあげたいのだが、さっそく次なる問題が。。。

103点って、高いようで、実は微妙。

言わずと知れたHBSの足切り109点、たしかChicagoなど一部TOPスクールの足切り105点があり、その意味では103点というのは、なんとも言えないスコア。

ここでやめてしまうと後で痛い目を見る可能性がある。

GMATに軸足をシフトしつつ、納得いく点数(少なくとも105点)が出るまでTOEFLは受け続けようと思う。


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2012年3月31日土曜日

【超大作】2011年度を、そしてMBA留学への想いを振り返る

※今日のEntryは超大作ですので、読者の皆様、悪しからず・・・


今日で2011年度が最後だ。

明日からは2012年度、もう自分もWork experienceは満5年、まもなく28歳、MBA留学的にはもう残りわずかの年齢だ。

結論からいうと、この一年間を振り返ってみて、いろいろやったようで、何も結果が残らない一年だった。

TOEFL: 100点未満。TOP校に出願するレベルに到底至らず
GMAT: 400点台。まったく話にならないお粗末なスコア
奨学金: フルブライトは2次書類選考で落選、社費は最終選考まで残るも落選
エッセイ: せっかくAGOSの特別奨学生に選抜されるも、スコアメイクができずほとんどエッセイコンサルタントと会話できないまま受講期間終了

ご覧の通りだ。

自分ではそれなりに頑張った気がする。勉強をしなかったわけではない。TOEFLだって、もう嫌になるくらい受験した。ただ、結果だけを並べるなら、この惨憺たる状況だ。

ただ、この理由は自分でも十分納得できている。何をやるにせよ、中途半端だったからだ。

今日たまたま、ハーバードEducationに留学し、その後教育系NPOを立ち上げた、筆者よりひとつ年上の方のブログを読んでいたところ、こんなことが書いてあった。

----------------

2006年12月  キャンセル
2007年1月   62点
1月   68点
2月   78点
3月   85点
4月   91点
5月   96点
5月   98点
6月   99点
8月   101点
8月   100点
9月   103点
10月  104点

本当につらかったな~

平日は仕事をしているので、4時間~6時間の勉強時間
休日は13時間

----------------

点数の伸び方が、勉強の密度で十分説明できる。結果を出す人とは、これだけコミットして勉強している人なのだろう。

一方自分はどうか。最近は正直、留学への想いと裏腹に日々の勉強に対するモチベーションが落ちていることもあり、平日は0~2時間、休日3~5時間程度しか勉強していない。

これでは点数が伸びるはずがない。

そんな状況で無駄に受験ばかりするものだから、間もなくTOEFL受験が30回に到達しようとしているのだ。

彼のいう「本当につらかったな~」と、筆者のいう「つらい」「テンションがさがっている」「気を取り直してがんばろう」は、全く言葉の重みが違ったのだろうと、自分を翻りながら読んだ。

つまるところ、自分には単に努力量が足りないだけなのだと思う。いろんなことを言い訳にして、すぐ逃げる悪い癖がついているし、年末に「気持入れ替えます」的なEntryを書いたにもかかわらず、相変わらず本質的には気持が入れ替わっていない。

2012年に入ってから、そのだらだらした状況が続いている。早いもので、それで一年間の4分の1を浪費してしまった。スコアは先日報告したばかりだが、その状況が一目瞭然だろう。

こんな状況では、いつまで経っても結果は出せないだろう。

年度末を締めくくるこの一日で、自分の甘さを改めて認識し、安易な方向へ走らず、厳しく鞭を打ち続けなければならないと痛感した。



MBAへの想いを振り返る意味で、Why MBA?とキャリアゴールに関して、最近少しずつ起きている心境の変化も含め、自分の考えを整理するためにも、丁寧に書いてみたい。



◆はじまりは、"Where is YOYOGI station?"

高校時代にまで話は遡る。大学受験の勉強に打ち込む毎日のなか、親友から「気晴らしに新宿へ買い物にいこう」との連絡があった。たまにはいいかと思い、いざ新宿へ。一通り買い物も終わり、帰りの切符を買おうとしたところ、外国人に声をかけられた。

"Where is YOYOGI station?"

たったこれだけの質問。新宿から代々木へは隣へ山手線でいくだけ。

だが、何も答えられなかった。テンパったというのもあったが、英単語ひとつすら思いつかなかった。筆者が泡をふいているうちに、彼らは質問したことに恐縮し、「OK、自分たちで何とかするよ」という素振りを見せ、去って行ってしまった。

帰り道、自分の不甲斐なさに憤慨した。

なぜ受験勉強と称して、毎日英語を3時間も勉強しているのに、道ひとつ説明できないのか?
なんのために英語を勉強しているのか?
英語というツールを使って、コミュニケーションをするためではないのか?
ではなぜ自分は今日コミュニケーションができなかったのか・・・

日常のなかで見つけた、大きな問題意識であった。


◆失意の入学と世界一人旅

いつしか毎日の勉強に追われ、複数大学を受験し、入学したのは関東6大学のうちの一校。本当は自由闊達な校風に惹かれ早稲田に行きたかったが、受験日に高熱を出してしまい、朦朧としながらの受験で、結果は不合格。

一年浪人を考えたが、いわゆる「MARCH」のうちの一校から、一般受験での成績優良を理由に在学中学費全額免除のオファーを受けたので、これも何かの縁だと思って、一抹の失意を胸にしながらも入学することに。

しかし、入学した直後、やはり志望校へ行けなかったことへの憤りが心のどこかでつっかえになっていて、「どうせ2流の大学に入ったのだから、1流のやつらができないことをしよう」と、アウトローなやり方で自分だけの4年間をつくってやろうと思った。

そこで思い返したのが、新宿でのあの日だった。

「英語をもっとうまく話せるようになりたい。あの悔しさを晴らしたい。」

ネットで見つけた、とある旅行代理店へ走った。日本人がいない場所へ行って、どっぷり英語の環境につかりたい。同時に、語学学校のような狭い教室にとどまるのではなく、フィールドワークを通して生の英語を身につけたい。そんな想いの交点を、その旅行代理店は「現地集合現地解散の、International Volunteerによる、環境保護プログラム」というオーストラリア全土でのプログラムで満たしてくれた。

1ヶ月半の滞在のうち、半分がそのボランティア、半分は旅程を決めないバックパッカーの旅だった。はじめは英語の習得を目的としていた。だが現地に渡ってみて、10人前後での世界各国から集まったボランティアたちと寝食をともにし、語り合い、チームに与えられたミッションを達成するという経験を通して、英語は単なるツールでしかなく、コミュニケーションの手段であること、英語を使いこなせることにより世界70億人のスタンダードのなかで生きられることの喜びを学び、もっといろんな国・地域の人とかかわりたいという想いが沸き起こってきた。

 <ボランティアのメンバーと>

<道中の景色>

それからは、怖いもの知らずで、インド、ネパール、タイ、ラオス、エジプト、トルコ、ペルー、ボリビア、ブラジル、台湾、モンゴルなど、世界各国を飛び回り、現地の人々はもちろん、道中であう欧米人、日本人、韓国人などと交流をもち、「異なる価値観を掛け合わせることで新しい何かが生まれる」という可能性を自身の中核的考えとして思うようになった。

 <灼熱のエジプト>
<アマゾンのワニと一緒に>

◆転機 ~ビジネス入門~

バックパッカーとしての毎日に突然の転機が。大学3年目を目前に控えある春休みの日に、タイの山奥にいる首長族に会いにいくために、道なき道をバイクで爆走。行きはなんとかうまくたどりついたが、本物の首長族に会い、気分をよくしていたのか、気を許して転倒。左足に大怪我を負ってしまった。

<合成ではありません>

これが転機となり、当時引越しのアルバイトをしていたのが、しばらく稼動できなくなり、「体を使えないのなら頭を使おう。頭を使えるなら、卒業して社会人となったときに生きるビジネスの分野にフォーカスしてみよう。」と考え、学生団体が開催する起業家セミナーや著名経営者による講演会などに片っ端から参加した。

その中で縁が会って加わったのが、早稲田の学生が中心となって設立する目前のNPO法人だった。当時のその団体のミッションは「Gapyear制度」を日本に導入しようというものであった。Gapyear制度とは、イギリスの大学で一般的な制度で、大学入学した1年目を、海外留学、ボランティア活動、インターンシップなどに投じ、それを学校にレポートすることで、1年目の必要単位相当分をすべて取得できる制度で、課外活動を通じ社会に通用する学生を育成できる制度だ。

これに共感し活動に参画、直後には法人化し、学生に課外活動を紹介するフリーペーパー発行やイベント企画を中心に活動し、筆者は企業協賛の獲得からイベントへのタレントブッキングなど幅広く貪欲に活動した。


◆次なる転機 ~NPOの法人化失敗、そして自分は何がしたいのか~

一時期学生スタッフ50人を超える組織にまで拡大、代表の鼻息も荒くなり、「代々木公園のイベントスペース(アースデー東京などを開催している野外コンサート会場)を貸し切って、学生3万人を読んだイベントを開催しよう!そしてそれが成功した暁には、その収益金を元手に株式会社化しよう!」とぶち上げた。



イベントのコンセプトは、芸能人によるフリーライブなどで若者を集客しつつ、留学支援・ボランティア・インターンなどを募集する企業・NPOを多数招きブースを設立、学生に課外活動が人間的成長をもたらせてくれる素晴らしいものであるということを周知する。またイベントの規模を武器にメディアを通じて広くパブを張り、大学に制度導入を促そうというもので、やろうとしていたことは間違ってはいなかった。

しかし、あまりにアグレッシブで無知な学生たちには度を超えたイベントだったのだろう、収支計画がずさんで、見込みのない収入をベースにイベント出費だけ豪華になっていく。芸能人もそれなりの人が来てくれることになったのはいいが、ギャラはどうするのかあいまい。一方で広報が不発で参加者の見込みが立たない。

こんな状態が続き、イベント準備は迷走。大学3年生の3月、本当であれば就職活動の真っただ中だ。株式会社化、そしてそこでの幹部就任を約束されていた筆者は、「シューカツ」なるものには興味がないとたかをくくっていたが、さすがに危機感をおぼえた。イベント当日は4月中旬。イベントには全力投球するが、きっとこのイベントは大ゴケする。そうしたら、就職先がない、まずい。

サラリーマンで何の変哲もない父に、ある日正直に全てを話した。

その彼から思わぬ叱咤をされることに。

「事業をやる人間にとって、収支計画は命だ。何が見込める収入で、その収入の確度はどの程度で、だからここまで金が使える。こんな簡単なことだが難しいのがビジネスだ。お前の話を聞く限り、収支計画の「し」の字もない。そんな甘い考えで何が起業だ。ビジネスをする資格はお前にはない。ビジネスのことをもっと本気で考え、一から勉強しなさい。」

その通りだった。

勢いで作った会社は必ず潰れる。しかも従業員やその家族を背負ってまで、だ。想いがどんなに正しかろうが、素晴らしかろうが、経営計画をまともに立てられない、ビジネス感覚のない企業に明日はない。

NPOの活動の傍ら、ふとした縁から六本木の某クラブのオーナーと仲良くなり、足しげく通っていたのだが、ヒルズ族の社長、その社員、芸能人、政治家と毎日のように会い、「大企業なんかかっこ悪い、ベンチャーで自分の力を発揮するんだ」とありがたく説教を頂いていた。

その影響もあり、盲目的にベンチャー志向に突っ走っていたのだが、自身の追い込まれた状況を振り返り、「どんな大企業だって、設立した日はベンチャー起業であった。逆にいえば、100年潰れなかった"ベンチャー"では、どんな経営をしているのだろうか」という点に興味を持ち、大企業へ進むというキャリアパスを考え始めた。


案の定、結果から言うと、400万円ほどの借金を抱えて大失敗。野外イベントだったこともあり悪天候で人足が遠のき、見込んでいた飲食の収入が振るわなかった。協賛金も目標額に達していなかったため、これを穴埋めできなかった。その後の損失処理については、言うまでもなく辛いものであったが、ここではその具体的な話は避けたい。

それまでの人生で最も苦しみ、辛酸を舐める経験となったが、ここでの教訓である「損するビジネスに意味はなし」は決して忘れないし、完膚なきまでに打ち砕かれた経験は人間を強くするもので、間違いなく今の自分を前に突き動かす力の源泉の一つとなっている。

この経験から、負けないビジネスを遂行する経営力を身につけ、将来的には当時の自分と同じように、想いがあって世のために活動しているのに、経営力がなく潰れていく企業や組織を救いたい、と思うようになった。



◆次なるステージへ ~総合商社における金融事業部門~

では、どこで経営力が身につけられ、また具体的にどうやって潰れていく企業を救えばいいのだろうかと次に考えた。

<どこで?>

経営者に近い立場、という意味では、どの会社でもいいから経営企画部に入ればいいのではないかと最初に考えた。だが経営企画部に入るには、営業やその他部局での長い下積み生活を積まなければたどりつけない。

では経営コンサルティング会社はどうか。残念ながら3月中旬にはもうほとんど有名ファームの募集は締め切られていた。また筆者の大学のレベルでは、マッキンゼーやBCGなどトップファームはまず受け入れてくれないだろうと容易に想像ついた。

次に出てきたのがリクルート。社長製造マシーンと言ってもいいほど数多たる社長を輩出している特殊な企業だ。だが、業界が人材や広告会社に集中しているし、またバックパッカーでの経験を通して、世界70億のスタンダードの中でビジネスを展開していきたい、という考えからすれば、国内メインのリクルートのフィールドでは、満足できないと思った。

そして行き着いたのが総合商社。「事業投資」―単なる投資をするのではなく、経営権が獲得できる相当分の出資を通して、事業そのものの価値を中長期的に向上させ、必要であればずっと株式をホールドしインカムゲインを享受するし、それかキャピタルゲインを狙って売却する、というビジネスモデルを確立している。

事業の価値を向上させるために、「ヒト・モノ・カネ・チエ」を惜しげもなく注ぎ込む。若手であっても、日常レベルでの業務は泥臭いタスク処理もあろうが、投資先の経営陣と対峙し事業をどうするべきか同じ目線で考えることができる。

そしてそのフィールドは全世界に張り巡らされている。日本という島国だけの発想では世界には通用しない。多様な文化を許容し、ロジックをゼロから組み立てなおすことで、真に価値あるイノベーションが生まれる。

こんな総合商社という世界に魅せられ、自分はどうしてもここに来たいと思った。

<どうやって?>

では、総合商社に入れば問答無用に経営力が身につき、経営力がなく潰れていく企業や苦境に陥っている企業を救えるのか?

事業にあまりに軸足を置きすぎて、特定事業には強いが、その事業の世界だけでしか戦えなくなってはいけないとも考えた。

「純粋にどんな企業であっても経営できる経営力」とでも言おうか、ユニバーサルな経営力を身につけたいと思い、その折に、「金融」の機能に着目した。

金融とはその字のごとく「金」を「融通」する機能だ。ゴールドスミスの逸話にもあるように、余っている人の金を、必要としている人に融通する。融通してもらうのだから、融通してもらった人は利子というFeeを上乗せして貸主に返済する。

たとえば、ある若者が素晴らしいビジネスプランを思いついたとする。だが彼には金がない。どうするか?

佐川急便で5年汗水流して1000万円貯めるならどうか。一番堅実のように見える。だが、今日のプランが5年後も通用するか保証はない。今だからこそ、うまくいくビジネスだってある。

ビジネスプランを1ヶ月で綿密に練り上げて紙に落とし、エンジェル投資家、銀行に2週間かけて巡ってみてはどうだろう?その内容に隙がなければ、その場で金が出てくる場合が起こりえる。そこで調達した1000万円を元手に、プランを実行へ移し、案の定大当たりとなれば、借金の返済または投資家への利益分配ができる。本人はビジネスを形にしてHappy、世の中にサービスが生み出されUserはハッピー、投資家は余った金で収益を生み出せてHappy、みんなHappyなのである。

さらには「ファンド」も典型的な金融手法の一つだ。ファンドは砕いて説明するなら、「宝の山集金BOX」であるとよく筆者はたとえる。

「宝の山」があっても大抵は一人で辿りつけないことが多い。激流が待ち構えている。途中豪雨が襲ってくる。崖の上にある。誰でもアクセスできるところに宝の山なんてものがあるなら、とっくに誰かが到達し持ち去っているからだ。

それ故、橋をかけたり、雨合羽を買ったり、クライミングブーツを買ったりしなければならない。トレジャーハンターたちを雇ってチームを結成なければならない。これには当然金(=コスト)がかかる。だがこれらのコストを払ってでも宝の山に到達できれば、莫大な利益を獲得できる可能性がある。その金を投資家から集めるのが「宝の山集金BOX」だ。そのBOXには、以下のようなことが書いてある。

・集金額に比例して利益が分配される
・宝の山だと思って金を投じても、藻屑となるリスクがある
・集金後2年間は返金できない
・etc

こういう条件付き集金BOX(=ファンド)という「仕組み」をつくることで、一人ではできないことを実現できる。金融にはそんな力が秘められている。

日本には今、個人金融資産が約1400兆円ある。これまで世界の製造工場として自動車やエレクトロニクス製品を輸出し、言うなれば「日本株式会社」として蓄財してきた資産が山積している。この資産の約7割が日本国債に流れている。つまり、リスクフリーの資産、言いかえればタンス預金しているようなものだ。

日本人は、清貧の文化、投資を博打と見る志向を持つ傾向にあり、投資に対する姿勢が最も保守的な国の一つである。リスクを見極める能力を持った上で、こうした余った金を融通して、金を必要としているところに投じていく。日本に必要とされているのは、金融への知見とリスク耐性の向上ではないだろうか。

ただし、金融はあくまで機能であり、実ビジネスがその先にあって初めて意味をなすものであり、事業に裏付けられた金融プレーをするべきと考えた。

こんな問題意識から、上記すべてを当時の学生の自分が考えることはできなかったが、概念的にこのようなことを考え、総合商社における金融事業部門へ進みたいと熱弁し、見事その扉を開いたのであった。



◆Why MBA?

実際に念願の金融事業部門に配属され、ビジョンを達成する天命を与ったのだとの思いから、やれることは一通りやった。

最初に担当したのは、国内の某自動車リース会社への投資および経営管理。投資先の経営企画部と連携し、営業戦略の立案、社内ITシステムの刷新、全社的なコストカット、企業買収まで、若手ながら様々な業務に携わることができた。約2年半の経験である。

次に、早期グローバル人材育成を掲げる研修プログラムに抜擢され、南米のコロンビア共和国へ。ここでは商社ビジネスの最前線を見ることができたが、何より経験の糧になったのは、派遣元の部署が投資する自動車リース会社が現地にもあり、その経営管理に携わったことだった。

2週間ほどそのリース会社にデスクを設けてもらい、ほぼ全部署の部課長と面談させてもらった。日本で得た経験をベースに、面談する部課長一人一人に、こういう手法で顧客をつなぎとめるといいのではないか、この部分のコストがカットできる、自動車の仕入れはこうするともっとディスカウントできる、など、次々に経営改善策を提言。最後は社長にそのサマリーをプレゼンし、実際にいくつも提言をその後の経営に取り入れてもらった。

ちょうど半年間の研修を終えて帰国した直後からMBA受験を本格的に覚悟し、勉強をはじめた。2010年の4月の話だ。なぜか?

上記は仕事のほんの一部のポジティブサイドで、実際は、これらをその場の思いつきベースで進めてきたにすぎなかった。その場での対応で一応それらしい仕事はできてきただろうが、これらを体系立てて整理する時間や、そういうケースに直面した場合に適用できる理論としてどういったものがあるのかを落ち着いて考える時間がないまま突き進んできた感が否めなかった。

また、コロンビアに行った際には、英語力はそこそこあったものの、もっと突っ込んだ議論ができていればさらに面白いビジネスが生まれたのではなかっただろうと感じる面もあった。

さらに、これから事業と金融の両輪を回していくにあたり、資金の調達先、投資先のビジネスのいずれも世界に張り巡らせていかねばならない未来が見えているなかで、会社からスポット的な世界戦場が与えられるタイミングを待っているわけにもいかない、つまり自分から世界に打って出なければならないと考えた。

その点、まさにビジネススクールは、世界各国から、さまざまなビジネスバックグラウンドを持った腕利きが集まっており、意識高くその想いと頭脳力をぶつけあい、ケーススタディ、お互いの知見などあらゆるソースから将来自分が実現したいことのTipsをTake awayする。

そして卒業後は、金融の力を使いつつ、事業そのものの価値を向上させるプレイヤーになっていきたい、その実現に向けて、MBAという環境に20代最後の2年間を投じたい。この想いから、強い想いを持ってMBA志願を志したのである。


◆ポストMBAの行方

<初志>

当初のシナリオはひとつ。会社を辞めて私費で留学すること。実現したいことがより明確になりつつあるなかで、その達成のために必ずしも今の環境に固執する必要がないと思ったからだ。

実現したいことと何か。たとえるなら、「ポンコツ機を一機でも多く空にかえしてやること」だ。即ち、昔は大空を自由に飛び回っていた飛行機も、ポンコツ機になり飛べなくなるときは当然ある。原因は、パーツの老朽化かもしれないし、飛び方が空のコンディションにあっていないのかもしれない。こうしたポンコツ機を前に、足りないものは部品(モノ)、整備士(ヒト)、調達資金(カネ)、直すためのノウハウ(チエ)を掛け合わせて、ポンコツ機のパイロットやクルーたちと一緒になって修理する。

そして、ここからが重要だが、修理したポンコツ機のコックピットに、一員として乗り離陸、運命を共にすることだ。もしかしたら一緒に墜落するかもしれない覚悟をして手掛ける修理は本気であるし、再び空にかえれたときにはクルーたちとその喜びは分かち合える。

そしてフライトを一本終えて、もはやポンコツ機が立派なジェット機に返り咲いたその姿を見届けて、次なるポンコツ機の再生にひた走る。そうやって、世のため人のためになろうと頑張っているにも関わらず苦しんでいる企業を救いたい。Gapyear制度を日本に導入しようとひた走り、辛酸をなめた経験があるからこそ、同じ苦境に立たされている企業のために力を尽くせる。そんな想いだ。

具体的なキャリアで言うならば、事業再生ファンドやプライベートエクイティ(PE)ファンド(のなかでもディストレスに近いプレイヤー)にJoinしたいと思った。

ここまで明確になれば、あとはその方向に突き進むだけ。異動が前提の総合商社にとどまる理由はもはやないとの結論から、私費留学(偽りの説明で社費を獲得し、MBA卒業後すぐ辞めるのは潔くないとの考えから社費は全く考慮に入れず)を考えたのだった。

<変化 ~本当にやりたいこととは~>

初志に少しずつ変化が表れ始めたのが、昨年10月の部署異動がきっかけだった。それまでは一事業投資家の目線であったので、そのほかの投資家が何を考えているかを深く考える機会がさほどなかった。

一方、異動してきて担当になったのは、①不動産ファンド組成と、②子会社の証券会社のマネジメントであった。前者は国内の不動産に投資し、それをファンド化して投資家に売るという仕事、後者は、親会社(=筆者が所属する事業部)や外部のファンドから投資商品を仕入れ、投資家に売る会社であり、この会社の経営管理。いずれも顧客は日本が中心だ。

要はいずれも、投資家に投資機会を販売するのが仕事で、はじめて日本にはどういったタイプの投資家がいて、何をもとめていて、ボリュームとしてどうセクター配分(株、債券、不動産、ヘッジファンド、PEなど)されているかを認識した。

また、PEは発祥国アメリカでは相当なボリュームがあるものの、日本ではバブル崩壊後に弱体化した会社を一部PEファンドやディストレス投資家が買い叩き「ハゲタカ」というネガティブなブランディングがされてしまったこと、アメリカ的なドラスティックな経営再建を日本人のネイチャーでは実行できず、「事なかれ」主義の銀行や系列親会社がなんとかうまく延命させる風土であることもあり、下火状態が続いている。この事実も、書籍を通じてある程度は知っていたが、業界に入り投資家の声や様々なレポートから実態を知り、課題が多いことも分かった。

また、日本における事業再生の代名詞とも言える産業再生機構についてもかじってみたところ、素晴らしい功績は残したものの、その後解散し産業革新機構に移行してからは、事業規模も人材の質も以前のようにはいかない様子が見えてきた。

こうした時勢を鑑みるに、「この業界を俺の手で変えてやる!」という「パッション」、MBAという名前だけではすでにありふれた「こん棒」を両手に携えてPE業界に突入することが、果たして初志を成し遂げる解となりうるのだろうかと、立ち止まって考えるべきではないかという気もしている。

先に「ポンコツ機を空にかえす」という話をして、かつそれが自分の過去の体験に日もづいていることを書いた。またその想いへの前に、事業と金融を掛け合わせたビジネスを展開したいことも書いた。

どちらも根っこは同じで、要は、「事業経営を軸足におきつつ、金融の力を使って、世界に価値を創造すること」が根源的なビジョンであるということなのだ。その一つの側面が、住んでいる地域という意味で日本の個人金融資産1400兆円をなんとかしたいという考えであったり、NPOの失敗という過去の強烈な体験という意味では苦境に立たされている企業の事業再生であったりと、個別具体的な話に落とし込んでいくことで辿り着く枝葉の話なのである。

<この先の身の振り>

今実際にこの文章を書きながらはじめて自分でも整理できつつあるが、根源的なビジョンに立ち返ると、今いる会社でも外にいる会社でも実現は可能だ、という結論に到達する。

今いる総合商社の金融事業部門では、不動産投資、PE投資、リースが柱で、いずれも実物や実業をベースとする金融事業を展開しており、その地域は、各セクターにより偏りはあるが、日本、アジア、中東、欧州、北米と、世界へ張り巡らせている。

また、日本のマーケットにおいて今いる会社のプレゼンスは相当なものであることを感じており、日本の金融の在り方に一石を投じられるポジションにいることが、足元を見直すことで確認できた。

実際、先日より国内のとある一大プロジェクトに携わっているのだが、これまで積みあがってしまった負の遺産を、金融の力を使って対処しようという主眼で取り組んでいる案件であり、まさに事業の非効率を金融の力で変えるビジョンに合致した仕事だ。このプロジェクトのためにいくら深夜まで残業しようが全く疲れなかった理由は、そこにあるのだろう。

一方、外へ目を向けてみると、たとえば、以前からマークしているベインキャピタルはPEの最高峰の一つで、コンサルティングメソッドを最大限発揮して事業改革を推進し、一定期間で株式価値を高めて売却することで、投資の受け手も出し手もWin-Winの関係構築を実現しているプレイヤーだ。

また、ブラックストーンはPE、不動産、ヘッジファンドなど多様なセクターへ巧みに投資しつつ、それぞれのセクターでは綿密な精査を行ったうえで果敢にリスクを取りに行くアグレッシブなプレイヤーだ。そのほか、踏み込んだリスクを取ることで高いリターンを獲得するディストレス投資を得意とするローンスターについても言及しておきたい。

ただ、これら外資プレイヤーで仮に働くとするとそのDisadvantageは、日本の拠点スタッフとして採用されるケースが基本で、働くフィールドが日本に限定されることが通例であることだ。ややもすれば、中国の金が日本に流れてきたり、日本での経験を生かしてシンガポールに拠点を移し、そこからインドネシアに投資する時代が来て、外資系にJoinしても世界をフィールドに働ける時がそう遠くないうちに来るのかもしれない。ポイントは、そのリスクにBetするかどうかだ。

当初は私費(会社を辞める)が大前提の想定であったが、こうして考えてみると、まずは根源的なビジョンが、会社にとどまってもそうでなくても実現できることがわかったことが一つの発見である。

また、①日本経済を大きな視点から捉え金融の力を使って価値を生み出していきたいのなら今の会社、②グローバルベースでの活動が将来的に可能となることを期待し、かつドラスティックな経営改革と徹底した金融スキルの発揮により価値を生み出していきたいなら外資PEにいくべきだ、という現状の分類も改めてできた。

とするならば、どちらを選ぶか、であるが、これは今日のところではまだ決定できない。どこかの時点でする必要があるかもしれないし、あえてどちらも決めずにMBAに向かって突き進み、社費がつけば今の会社に、そうでなければ辞めて外資の道に、という「縁」で決めてもいいのかもしれない。

実は、このブログにはほとんど書かなかったが、数ヶ月前に社費選考に受験した。結果は最終段階でNGだった。私費が明らかに見えているのに、人事部をだまして社費でいこうという魂胆にはなり下がるまいと思っていたところを受けたのだから、心境の変化はあったはずだ。だがその時点では「迷い」に近い心境で、本当に自分がやりたいことがどこでならできるかをやや見失っていたのかもしれないと振り返って思う。

だが、こうして整理してみると、私費と社費のシーソーの中間点に帰ってきたようで、またリセットして考えていこうという気になった。


◆最後に

私費と社費、どちらを想像しようが、何はともあれ現実に戻ると、留学をするために必要なHomeworkをきっちりやらなければ、もとも子もないわけで、まずは足元のTOEFL・GMATをまずきっちりやろうぜ、という結論に至る。

今日は土曜日で時間があったということもあり、書き始めてからなんと6時間ほど経っている。最近、空き時間があってもなぜか勉強する気になれないことが増えてきており、このEntryの冒頭にも書いたとおり、勉強へのコミットが弱まっていた。

しかし、ここ最近自分がどの方向へ向かっているのか、大方針はぶれていないものの先端がぼやけていたのでモヤモヤしていたし、それもあって勉強に身が入らなかったのかもしれない。

いつのまにかこのブログ始めて以来の超大作になってしまったが、自分の整理のために書いたものであり、もしその思考プロセスを知りたいという読者の方がいれば、その方にお見せすることは一向に構わないというスタンスで書いたこと、ご理解とご容赦いただきたい。


では、一呼吸おいて、勉強再開しますか!!!!!


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2012年3月28日水曜日

TOEFL27回目も100点超えならず・・・

27回目の結果が出た。


■27回目(3月18日)
R29(最高点)
L22
S22
W24
合計97


この回数をこなしてようやくRが最高点。セクション別にはいい点がそろってきたので、あとはこれら能力を1回のテストでまとめて発揮すれば、TOEFLめでたく卒業となる。


28回目のテスト結果は来週出るが、さてそれがどうなるか。


次のテストは4月14日と少々間があいてしまううえ、その間いろいろと予定をいれてしまっており、勉強に割ける時間が少なくなるシーズンに突入するので、ここ数回いいテンポで高めてきたペースがリセットされないようにしたい。



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2012年3月27日火曜日

最近のTOEFL戦歴まとめて更新

すっかり時間が空いてしまったが、最近は虚しさと悔しさを押し殺し、黙々とTOEFLを受け続けている。

もう何回目の受験になるかなんて、考えないようにして走ってきたが、以下にまとめて更新してみると、「もうこんなに受けたのか・・・」と驚いた。

まぁ、しょうがないです。結果出せないんだから。やるしかない。

■24回目(2月25日)
R25
L19
S22
W21
合計87


■25回目(3月4日)
R25
L20
S24
W22
合計91


■26回目(3月10日)
R23
L25
S22
W24
合計94


27回目(3月18日)と28回目(3月24日)の結果はこれから。

28回目のテストはここ最近のなかで割と手ごたえあったので、この結果がよいことを祈るばかり。

GMATもそろそろ再開しないといけない。
フルブライトも今年応募するなら4月末が一次締め切りだ。

そこそこ先と思っていた次回アプリケーションサイクルが、もう本格的に動き始めている。

一回打ち砕かれただけに、その恐ろしさがわかる。

だから億劫になる部分もあるが、そこで逃げたらまた辛酸の一年を迎えることになる。

時間がたてばたつほど苦しい戦いになるので、ここで立ち止まらずに、突き進むしかないと思う。

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2012年3月11日日曜日

あっという間の6万PV

前回、感慨深く5万PV到達のEntryを書いたが、それから程ない期間で、もう6万PVに達してしまった。

ますます結果を残さないと示しがつかない状況になってきているので、何とかしたいところ。

まずはTOEFLを仕留めることに集中したい。

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2012年3月3日土曜日

Speakingで心がけていること

使いまわしですみませんが、最近Speakingで心がけていることを以下に列挙しようと思う。
明日は茅場町でTOEFLだ。いい点とれるようがんばります!

 ・大きな声でしゃべる

他の受験者に迷惑で申し訳ないのですが、やはり、はっきり発音した言葉は、はっきり聞こえるはずですし、自分もあいまいに口ごもることが減るので、結果的にいい回答ができるのかなと。

 ・わざとらしいくらい抑揚をつける

これはSpeakingのドナルド先生から聞いたのですが、日本人の英語は、お経の様に聞こえて、非常に違和感あるとのこと。演技派の俳優になったつもりで抑揚をつけると、日本人としてはアメリカ人からしてちょうどいいくらいの抑揚になるようです。

・テンプレートは遵守

Speakingで高得点を狙うためには、1秒たりとも浪費する暇はないと思います。うまくしゃべろうとすればするほど、考えがまとまらなくなったり、途中で言葉がつっかえるリスクが高まると思います。流暢にしゃべることより、つまらないありきたりなテンプレート回答でぜんぜんかまわないので、とにかくロジカルに無駄なく回答するように心がけています。

ただ、テンプレートが通用しない場合やそれに当てはめることでぎこちなくなる場合は当然崩しますが、限られた時間の中ではそれでもなお、どこまで崩せば全うな回答になるか、にフォーカスすることが大事かなと思います。

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